147話 三方挟撃

 気が付けばコハクの力でラプラタ川を渡り切り、渡った後もコハクは繋いだ手を放そうとしなかったので引き続きアイレと三人並んで歩いている。帝国軍とジオルディーネ軍との戦の喧騒は遠ざかり、今はただ野をゆく三人と一匹だ。


 向かう先は予定通りジオルディーネ王国王都イシュドル。コハク曰く方角は変わっていないとの事なので、女王ルイは移動したりどこかへ連れられたりはしていないと思って差し支えないだろう。


 南へ最短距離をゆく。三体の幻獣、いわゆる三獣がいるため、危険と言われている樹人国ピクリアを抜けるルートを選択した訳だが、ジオルディーネ王国に向かうルートは実はもう一本ある。一度南東へ進路を変え、そこから再度南へ向かうと水人アクリアの国ミルガルズを抜けるルートがあるのだ。


 だが、このルートは遠回りになる上、魔人を倒した後に冒険者達の元へ駆けつけた帝国軍の伝令員曰く、ミルガルズは未だジオルディーネ軍の占領下にあるとの事だった。


 危険度で言えばピクリアの方がはるかに高いが、敵と遭遇し戦闘になる確率はミルガルズの方が高い。さっさと通り抜ける程度なら、そこまで恐れる事は無いとアイレも言うので、ピクリアルートを選んだという訳。現にジオルディーネ軍は、万の軍勢でピクリアを抜けてラクリまで進軍して来ているというのがその根拠だ。


 伝令員は同時に、エーデルタクトの里リュディアが帝国軍のミトレス東部本営となった事、エーデルタクトおよびドラゴニアは既に解放されている旨を伝えた。


 この報にアイレは素直に喜んで胸を撫で下ろしていた。ミトレス全土の解放と、この戦争の終結を見るまで避難民の帰国は難しいとの事だったが、現時点の戦況を見る限りそう遠い話ではない。


「これで心置きなくルイの元に行ける」


 と、決意新たにアイレは拳を握っていた。


 今は穏やかに歩を進めている。何もずっと緊張している必要は無いし、王国に入ったらどうなるか分からない。そう簡単に女王の元へたどり着くわけもない。この先の苦労が見えているが、何と言ってもコハクの願いだ。


 これに応えねば冒険者、いや、男じゃない。決してコハクの無垢さにやられている訳では無いのだ。


「しかし、こうしてると懐かしくなるな」


 ふと、スルト村でアリアに手を引かれ歩いた事を思い出し、つい口を突いた。あの時のアリアも今のコハクのように楽しそうにしていたな。


「わかる。私もエトがもっと小っちゃかった頃よく引っ張られてたなぁ」

「察しがいいな。エトか…元気にしてるといいが」


 共にブリザードホークを倒した記憶が蘇る。そう昔の事でもないのに、色々あり過ぎて懐かしく感じてしまうな。


「大丈夫でしょ。ドッキアは鉄臭い街だけど退屈しないし、衛士さんの手伝いとかして張り切ってると思うわ」


「ははっ、何とも頼れる衛士だな」


「まぁアリアほどじゃないけどね。あの子すっごいわ。冒険者さん二人いっぺんに治してたし、あの年でリビングメイル級に突っ込んでいくとか、さすが軍神の子って感じ。エトのライバルになってくれれば面白いかも」


 ……ん?


「しかもコーデリアそっくりで美人っていうか、ちょー可愛いって言った方がいいかな? あんたが少女好きなのも残念ながら分かる気がするわ」


 ………。


「あ、そうそう。コーデリアから伝言」


「ちょっと待てぃ」


「『怪我を負ったなら傷薬ではなく必ず回復部隊の世話になりなさい』だってさ。なに?」


 アイレの言葉を何とか整理し、一つ一つ潰していく。


「冗談だろ。帝国軍にコーデリアさんがいるのか? スウィンズウェルは帝国北方の領土だぞ? こんな東部戦線に派遣されるはずが無い。いや、帝国軍部の差配は分からんがいくら何でも遠すぎる」


「だが、俺はコーデリアさんやアリアの事は一切話していない。にもかかわらず二人の名を出した。アリアがコーデリアさんに瓜二つと言うもの事実だし、次々と現実味のあるエピソードを語っている以上、君が二人に会った事は認めざるを得ない」


「しかも、コーデリアさんを呼び捨てにできる程までの関係になっている。君の性格を考えれば、それくらいの関係を構築するのは容易いという事まで理解できてしまう…まぁ、それはさておき。元騎士のコーデリアさんの参戦は百歩譲って納得しよう」


「だが…なぜアリアまで!? 君はあっさり語ってしまったが、リビングメイル級に突っ込んだって、この戦場では魔人兵の事だろ! 魔人兵と戦った? アリアは治癒術師ヒーラーで後方部隊のはずだぞ? 帝国軍の布陣は知らんがまず間違いない! 万の軍勢がありながらなぜ誰もアリアを守らなかったんだ! 帝国軍めがふざけるな!」


「そもそも十を過ぎたばかりの子女を、こんな未知の戦場に連れて来るコーデリアさんは何をお考えなのか!!」


 はぁはぁと息を切らせながらまくし立てる俺に、アイレは完全に引いている。だが瞬時に顔色を変え、何か面白いものを見つけたかのような不気味な表情に化けた。


「あらあら、がそんっなに慌てるなんて、私に温泉を取られそうになった時以来ねぇ♪」


「っっ!? その名までっ…ふっ、慌ててなどおらん。これは困惑と怒りというものだ。それにその物騒な名はやめろ。他人ならまだしも君に言われるとかゆくなる」


 アイレの一言で上がり切った熱が瞬く間に冷めてゆく。


 ここは冷静に対処せねばならない。これは戦闘、今は劣勢だとみるべきだ。


「へぇ~…まぁ、王竜殺しドラゴンキラーやめたげる。でも、帝国軍の名誉のために伝えなきゃね」


 くっ、あくまで自分の為か…


「まぁいい。で、どういう事だ」


「アリアは前線から漏れて街まで来ちゃった魔人兵の迎撃役を志願したらしいわ。『為すべき事を為す 私も戦える』ってね。しかも、一度は反対した側付きの騎士団員と地人ドワーフ三十人をその一言で説得して、引き連れて」


「なにっ!? …あ」


 不覚にもアリアの勇猛さに興奮してしまった。確かに意志の強い子ではあった。でもまさか、自ら人を引き連れて戦いに赴くなど誰が想像できよう。


「ぷぷっ…わかりやすっ…ど、どうする? まだ続きあるけど?」


「聞こう」


「素直じゃないわねぇ…まぁギリギリ及第点。それで地人ドワーフと騎士団員はみんなやられちゃったけど、アリアは折れた脚を強化魔法で何とか持たせながら、応援が来るまで短剣一本でその場に留めたんだって」


「折れた…だと? 魔人兵許さんコロス」


「ぷっ!…で、最後は重傷でたまたま運び込まれたジャックさんがブレイアム…回復部隊長の治療を受けて、その魔人兵を粉砕しましたとさ」


「ま、まさか…ジャックさんって、さっきの獣人ジャックさんか?」


「そ。サイの獣人ジャックさん」


「ぐあーっ! なぜもっと早く言わんのだ! 礼の一つでもせねば気が済まん! もどっ…れんじゃないか!」


「そうねぇ。そもそもジャックさんもお礼なんか逆に迷惑なんじゃないかなぁ~? 別にあんたの為にアリアを助けたワケじゃないんだし?」


「ぐっ!…その通りだっ」


 おのれ…俺と魔人との戦いの熱も冷めやらぬ内に話せる事では無かったのは確かだし、アイレは一分いちぶも悪くない。逆に聞かせてもらって有り難いと言える。


 だが…全く腑に落ちない。ニヤついているその顔のたくらみがどうしようもなく腹立たしいっ!


 だがここで、もう一つの罠に気が付いてしまう。


「ちょっと待てよ…なら、先程アイレと共に魔人と戦ったもう一人って」


「コーデリアしかいないわねぇ」


「ぬぐっ! つ、つまり…」


「飛び込む前にあんたが言った通り、結構ヤバかったのよ? 毒にやられてたし、魔力も空っぽで。でもさすがコーデリア。その前に敵司令官の魔人を穴だらけにしてたわ。雑魚扱いしてたけど、そんな嘘ついたりしないだろうし、あの人にとっては事実ねぇ」


「その通りだ。コーデリアさんは無意味な見栄は張るが、下らん嘘はつかん」


 という事は、ジャックさんがアリアの命の恩人であるのと同様に、アイレはコーデリアさんの…


「敵司令官ともあろう魔人が弱いはずが無い。ならば、コーデリアさんがそれを大きく上回っていたという事。うむ、さすがあの人だ」


 ………。


「…ココニイルヨ?」

「……」

「ジャックさんはいないけど、ココニイルヨ?」

「………」

「イノチノオンジン」


 くっ。


「…アイレは義母上ははうえの命の恩人だ。ありがとう」


「いいよ♪」


 後ろに手を組み、満面の笑みを浮かべて勝利宣言をしてくる。


 事前情報という強力な武器と、コーデリアさんとアリアという俺の弱点ワナ戦場を自由に選べるいつでも言える選択肢、そしてこの笑顔トドメ。全部卑怯だ。


「まぁでも、わたしが生きてるのはマーナのお陰なんだ。一緒に居させてくれてありがとう」


 そしてこの素直さだ死体蹴り。無残なものである。


「なんだその手は」


 アイレが手を差し出している。


「ああ、魔力か。熱心なこと―――」

「おなか減った」


 はぁ…


 収納魔法スクエアガーデンを展開して適当に見繕うのも束の間、普段は出て来た物を特に何も言わずに美味そうに食べているアイレから、珍しく注文が入った。


「お肉がいいなぁ」

「そうだな。確かに戦闘後の肉は筋肉の回復にいいと聞く」

「ツクヨさん達もう食べたかな? 黒王竜のお肉」


 ピクリと反応する俺。…と、白い少女に翼狼。


 王竜殺しドラゴンキラーの名を知り、カマをかけて来たかっ!


 しかし、ここで慌てて付け入る隙を与える訳にはいかない。貴重な肉だ。温泉上がりの晩餐、もしくは食堂に食材として渡して料理してもらう事にしているのだ。こんなぱらで披露してたまるか。


「あるわけ無いだろそんなの。確かに手に入れる機会はあったが売って金に換えた」

「ねぇマーナ。あるよね? おいしいお肉」


 ふっ…無駄だ。黒王竜ティアマットとはマーナと出会う前の事。さすがに存在は知らない。


『わふぅ!(あるよ!)』

「ほら、マーナも無いって言ってるだろ」


 自信満々に虚言吐いたぞこやつ!

 知りもせんクセに…いや、まて…こやつらまさか…っ!?


「コハク。マーナ何て言ったの?」


 リン―――


 前髪で隠れたコハクの視線が下を向き、握っていた手の力が抜けていくのが分かる。


 そう、コハクは今……ガッカリしている!!


「見損なったぞ! どこまで汚いんだ!」


「ふふん。戦術と言って欲しいわね」


 この後コハクにガッカリされたくは無いが、黒王竜の肉も惜しいので適当な肉で誤魔化そうとしたが、ツクヨさんに渡した肉の種類を全て覚えていたアイレに看破され、アイレに教えていない肉、つまり黒王竜の肉を泣く泣く手放した。


 さすがに生肉なので焼く間は俺は無防備になるし、肉を焼く匂いでコハクを恐れない魔獣が寄って来るかもしれない、と一応脅してはみたが、二人と一匹は躊躇なく俺を、というか肉を囲むように警戒態勢に入った。アイレに限っては魔力も無いはず。


 その食い意地やよし。こうなれば全力で焼くのみだ。


「何か忘れてるような…いや、今は焦がさぬ事が大事だ。集中しよう」


 黒王竜の肉の焼ける芳醇な香りが、野原に広がった。




 おおかみさん おおかみさん


 んー?


 おねえちゃん うれしい?


 嬉しい…と、楽しいかな。おねえちゃんを怒らせちゃいけないって事だよ


 おねえちゃん たのしい


 君は戦うまでもないけどね!


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