164話 仕立て屋とストール

 夜な夜な宿に戻ったにも拘らず、宿の一階の待ち合い所には明りが灯っていた。先程案内してくれた若い女性ではなく老爺ろうやに変わっていたが、俺達を見るやニッコリと微笑んで迎え入れてくれる。


 安宿なら間違いなく小言の一つでも言われるか、表は開いておらず裏からこっそりと出入りしなければならないのだが、さすがは高級宿といったところか。


「大きゅう音でございましたなぁ」

「ははは…そうですね。何かあったのかもしれません」


 柔らかな物腰でそう言った老爺には誤魔化すしかない。宿に迷惑が掛かるのは明らかなので、『悪漢を殺してきました』『建物一軒破壊してきました』なんて間違っても言えない。


 だが頼み事をしなくてはならない手前、あまり適当にあしらい続けるのも気が引けるので、早々に話を切り出す事にした。


「あの、針が出来る方をご存じありませんか?」

「繕いものですかな? 身どもの娘と孫娘が仕立て屋を営んでおります故、明日でよければ伺わせますぞ」

「それは好都合です。こちらから伺いますので場所を教えて頂けますか?」


 老爺とのやり取りを終え、部屋に戻る。


 着物の修繕に時間が掛かれば、最悪この街でもう一泊する羽目になる事請け合いだが、その事はまた明日考えよう。


 とにかく休めと身体が悲鳴を上げつつある。風呂上がりにも拘わらず大暴れした俺達は再度交代で風呂に入り、もう一度素晴らしいベッドと柔らかな布団に身を包んで休んだ。


 ◇


 翌朝。少し遅めに起床した俺達は街に繰り出し、老爺の娘が営んでいるという仕立て屋に向かっている。


「あそこの奴らデカい顔してたからな。清々したわ」

「帝国がやったらしいぞ」

「領主様を脅したりするからその天罰だ」


 道中あちこちから昨晩起こったムバチェフ商会崩壊の話が聞こえてくる。意外だったのは、この街の領主であるユリエフ卿に対し、住民達があまり悪い印象を抱いていない事だった。


 帝国に降伏する前は、この街も例にもれず重税を課されていたはず。それまで余程善政を敷いていたのか何なのかは分からないが、とにかく冒険者や亜人という単語が聞こえて来ない事に、多少の安心を得る事ができた。


 さておき昨日この街に着いた頃と比べ、明らかに道行く人が多い。時間帯の影響もあるのかもしれないが、旅装の者が多いのも気のせいではなさそうだ。


「人、多いわね」


 ぬいぐるみのマーナを抱くコハクを真ん中に、アイレがぽそりとつぶやいた。


「そうだな。旅装の者が特に多い」


 なぜかを考察する材料もさして持ち合わせていないので、今は考えても仕方のない事だ。



「いらっしゃいませー!」


 仕立て屋のドアを開けると、元気な女性の声が響いた。笑顔でパタパタと駆け寄り、用件を聞いてくる。それほど広くは無いが、綺麗に並べられた服と清潔な店内は印象が良い。仕立て屋と聞いて、道具が所狭しと並べられた工房をイメージしていたのだが、どうやら普段着を扱う服屋でもあるらしい。


 帝都で初めて入った服屋にはその品揃えに驚かされたし、ドッキアでジェンキンス総合商店にも出入りしていたので、さすがにもう驚かない。俺も田舎者ではなくなり始めているという事なのかもしれない。


「この服を元通りにしてもらいたのですが」


 そういって、背中がボロボロになったコハクの着物を取り出し、元気な店員に渡した。


「修繕ですね! 拝見させて頂きます…わっ! 凄い事になってますね…」


 着物を広げるや驚く店員。なぜこうなったと問われたら飼い狼のせいにしようと思っていたのだが、その必要はなかった。


「針は母がやりますので少々お待ちください!」


 そう言うと着物を置いて奥に引っ込んでいった。その間アイレとコハクはというと、店内の商品をアレコレいいながら吟味しているようだった。コハクからは『おー』という声しか聞こえてこないが、少しは楽しめているみたいだ。


「ローザさんには及ばないけど…なかなかのモノね」


 誰だローザさんって…店員が引っ込んでるからよかったものの、布を引っ張りながら失礼な事を口走るな。


 それから少し待っていると、奥の扉から先程の店員とその母親が戻り、母親は女主人である事を述べて着物を観察するや、間もなく顔あげた。


「お待たせしました。一目痛んで見えますが、切れているだけで欠損していませんね。生地もセーリスクで編まれていますので、十分修繕できます」


 セーリスクと言われてもさっぱり分からない。聞いても動物繊維で独特の光沢と滑らかな質感が特徴とかなんとか言っていたが、全然頭に入ってこなかった。しかし問題はそこではない。完成は明日になると言うのだ。


「急かして申し訳ないのですが、今日中に何とか間に合いませんか? 少し急ぎの旅でして。もちろんタダでとは言いません。倍をお支払いさせて頂く」


 金にモノを言わせるようで気が引けるが、今は店の心証など気にしていられない。俺の申し出に対して、母親が顎に手を当てて思案に耽りそうになった瞬間、追撃する。


「さらに、糸もこちらで用意させて頂きます。減額の必要はありません」


 そういって収納魔法スクエアガーデンからエルナト鉱糸を取り出して手渡した。素材を持ち込むのが当たり前の武具工房では無いのだ。仕立て屋に糸を指定して良いものなのかどうか分からないが、素人なりに透明なエルナト鉱糸なら何にでも合うのではと予想した。


「この糸は…」

「エルナト鉱糸です。使えませんか?」


「「エルナト鉱糸!?」」


 女主人と娘の店員は驚いた様子で同時に声を上げ、なぜか娘は急ぎ店を出て行ってしまった。女主人は持っていたエルナト鉱糸を台の上に置き、おずおずと話し始める。


「お、お客様。この糸なら問題ないどころか、これ以上は無いと言えます。ですが…本当によろしいのですか?」


「と、言いますと?」


「量も十分ですしこの糸で一から仕立てれば、それこそ計り知れない価値になりますが…」


 確かに高価な糸だが、ツクヨさんが繕った着物であり、コハクの大事な服だ。使えるのなら、渋るつもりは無い。


「問題ありません。この服は大事なものなのです」

「それは失礼いたしました。僭越ながら、まさか五大鉱糸を扱える日が来るとは思いませんでした。本日中に作業を終わらせて頂きます!」


 力強く宣言した女主人がさっそく準備に取り掛かろうとしたその時、娘の店員と一人の男性が仕立て屋の扉をバンと勢いよく開けた。


「エルナト鉱糸はどこだー!!」

「お父さん! お客様がいらっしゃるって言ったでしょ!?」


 父親らしい男性は、店に入るや台の上に置かれた糸の塊と俺を見るや、ズンズンと近づき勢いよく頭を下げた。


「あ、あの…」


 戸惑う俺を尻目に、父親が大声で続けた。


「お客様! 私は店主の夫で細工師をやっている者です! どうか一目、エルナト鉱糸を見せて頂きたいっ!!」


 職人気質な者に、たまにこうなる人がいる事を俺は知っている。珍しい素材とみると好奇心や探求心が爆発するのだ。こういう人は正直、嫌いじゃなかったりする。


「あなた止めて下さい、ご迷惑でしょう! 申し訳ありませんお客様!」

「落ち着いてって言ったでしょう! 申し訳ありません、父が五大鉱糸に憧れていたのでつい知らせてしまって…」

「ははっ。構いません、いくらでも見て下さい。そもそも今は奥方様にお渡ししたものですし、私の手からは既に離れています」

「おおっ! ありがとうございます! では早速…これが夢にまでみたエルナト鉱糸…」


 ブツブツ言いながら台の上に置かれた糸を慈しむように見ている。そこまでかとも思ってしまうが、見る人から見ればそうなるものなのかもしれない。


 アヴィオール鉱糸もあるぜと恰好をつけそうになったが、また話が長くなりそうなので止めておいた。


 母と娘は呆れつつ頭を下げ、母は着物を繕うための準備に、娘は気を取り直して改めてアイレ達に商品の説明を始めた。


 アイレは色々と娘に聞いているみたいだが、別に彼女の服を買うとは一言も言っていない。精々、服の見聞を広めてくれたまえ。


「ジン、これどう? 似合う?」


 服を体に当てて聞いてくる。仕方なく答えてやる事にした。


 俺は知っている。女がこうなった場合、ちゃんと答えてやらねばむくれるのだ。帝都暮らしでそれを学んでいたし、ドッキアでもミコトとオルガナが実際そうだった。


「似合う。しかしなんだそのヒラヒラは。走る度に風になびいて邪魔だ」


「なら、これは?」

「似合う。しかし色が良くない。敵に発見されやすい」


「…これは?」

「似合う。しかし動きに制約がありそうだからよく考えないとな」


「む…じゃあこ…」

「似合う。しかし生地が統一されてないから、洗う際にあちこち…」


「しかしっ! しかししかしばっかり! しかしいらないっ!!」


 お怒りのご様子だ。俺に聞いたらこうなる事くらい分からなかったんだろうか。


「まぁまぁ、お連れ様。全部お似合いだと言ってくださっていますし、ウチの店に冒険者様向けの物は置てないので仕方がありませんよ」


 娘の店員がそう言って上手い事俺とアイレにフォローを入れる。


 あっさり冒険者だと見破られた事に一瞬焦ったが、よく考えたら俺もアイレも腰に剣を差しているのだ。誰だって一見すればわかるというもの。


「店員さん。聞いての通りあれはただ反射よ。とりあえず似合うって言っとけばいいとか思ってるのよ」


 ははは、と苦笑いを浮かべる娘の店員。


「そんな事はない。君の容姿なら何でも似合うだろう」


 適当にそう言いながら女主人と出来上がりの時間帯と値段についての話をまとめ、そろそろ店をいったん出ようかと踵を返す。


「じゃあ買ってよ」

「………」


 俺がヒラヒラが邪魔だと、最初に却下した黒っぽいフード付きストールを手に持ち、ゆく手を阻んだのは言わずもがな。


「似合うって言ったよね? フードあればいいし、ローブ一枚じゃ洗えもしないわ。それにほら」


 スッと指差した方を見ると、既にコハクがアイレの持つストールと色の異なる物を着ていた。


「な…なんということだ…」


 コハクが着ていたのは毛足の長い毛羽立っているような質感の素材で、白を基調としながらも薄い桃の差し色が鮮やかなもの。ボタンなどは無く胸の高い位置に一つある留め具で前を留めるらしく、細工が施された金属製の留め具と、それを差して固定するための部位には革が用いられている。それがストール全体の淡い色彩をグッと引き締めている印象だ。


 さらに、俺がヒラヒラだとダメ出しした裾の部分は少し厚めに縫われているからなのか、ストンと落ちている感じだった。さすがに風に吹かれればはためいてしまうと思うが、俺の抱いていた印象とは全く異なった。


 見るのと実際に着てみるのとは違うのだなと感心しつつ、アイレの方に目線をやる。すると彼女はニヤリと笑みを浮かべ、ちょんちょんと台の上に置かれたコハクの着物を指差した。


「なんだ? まだ何か…っ!?」


 そう、アイレは着物の上にこれを着ている所を想像しろと言っているのだ。確かにこのストールの色彩なら着物と色が揃うし、反幅帯の桃の差し色とストールの差し色も一致する。


 服の部類はまるで違うが、見てみたいという気持ちが波の様に押し寄せてきた。


 コハクは訳も分からぬまま着せられ、じーっとこちらを見上げている。ローブを脱いで着ているので、共に試着室に入ったはず店員はコハクの耳と尻尾を見たはずだが、気にも留めていないようだった。


 俺達は客だから店員が妙な態度を取れるはずも無いと分かってはいるが、亜人を蔑んでいるのなら少しはその様子が垣間見えるはず。アイレからも店員からその様子を感じ取ったというサインは見えない。


 その事が嬉しくなり、途端に服の事がどうでもよくなってしまった。二つ頂くと伝えると、アイレはその場で着替え、俺は返されたローブを溜息をつきながら収納魔法スクエアガーデンにしまった。


「コハクー、お揃いだね」

「おそろい」


 二人揃って礼を言われる。軽くなっていく一方の金袋に不安を覚えるが、この国にはギルドが無いのでギルドバンクから引き出す事も出来ない。


「まぁ…何とかなるか」


 悩んで金が増えるなら苦労はしない。幸い食べ物は収納魔法スクエアガーデンにまだまだ入っているので、金が底をついてもどうとでもなると切り替え、機嫌の良さそうな二人を連れて店を出た。


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