134話 静寂と喧騒と

 細剣レイピアを納刀し、アイレは未だ毒の腫れは引いていないが、苦痛は和らいでいるのか片膝を立てて座っているコーデリアの元へ駆け寄る。傍にはマーナが丸くなって寝転がっていた。


 駆け寄って来たアイレに対し、コーデリアはまず勝利の祝いの言葉を口にする。戦った者への騎士の礼儀である。


「お見事です、アイレ姫」

「ありがと。でも…私がこうして生きてるのは、全部マーナこの子のお陰」


 はにかみながらマーナを抱き寄せ、慈しむように頭を撫でて感謝の言葉を口にする。コーデリアは二人の最後の攻防からのやり取りを見聞きしていたので、この場でマーナに関して深く聞くつもりはない。


「私もその子を撫でても平気ですか?」


 アイレにはマーナが人間の言葉を完全に理解して、ごく一部の者には会話すらできる事を彼女に言ってよいかの判断が出来ない。だが答えに逡巡したのもつかの間、マーナはアイレの腕からコーデリアの元へ飛び込んだ。


『ぉん(いいよ)』

「まぁ―――なんて愛らしいのでしょう…助けて頂き感謝します。マーナさん』

『くるるる(この人やっぱりジンの匂いがするなぁ)』


 ひとしきりマーナを撫でた後、コーデリアは名乗っていない事に気が付き、改めて自己紹介する。


「私はコーデリア・レイムヘイト・ティズウェル。アイレ姫には命を救われました。本当にありがとう」

「そのってのはちょっと…ね。アイレでいいわよ。私もあいつに仲間を何人もやられてたから、ほんっと清々したわ」

「そうでしたか…仇が討てて何よりです」


 立ち上がろうとするコーデリアをアイレが支え、肩を貸す形になる。


「すみません」

「いいの。ところでさ。あっちでボロボロになって倒れてるのって魔人よね?」


 瀕死の重傷を負わされた挙句、ニーナに蹴飛ばされて伏したままのベルダインを指差して言う。


「そうです。まだ消えていないという事は死んでいないのですね。一応敵軍の司令官という事になっているようです」

「えー…顔も体も穴だらけなのになんで死んで無いの?」

「さぁ…ニーナあの娘は生きるか死ぬかは五分五分だと言っていましたが」

「あなたがやった、のよね?」

「そうですが、あの娘より遥かに弱いといいますか、未熟な魔人ですよ。復活したところで恐るるに足りません」


 にべも無く言ってのけるコーデリアに身震いを覚えた。


(魔人に弱いやつとかいるのかしら…? 司令官らしいし、この人ってもしかして超強いんじゃ…)


「放っておきましょう。わざわざ止めを刺すほどの脅威ではありません。自分で言うのもなんですが、私が回復する方が先決です。このまま軍後方の回復部隊まで連れて行って頂けると助かります」


「ははは…りょーかい。マーナは」

『くるおーん(ついてくよー。は大丈夫でしょ)』


 マーナがふわりと頭に乗り、ついて来てくれる事に胸を撫で下ろしたアイレは、風纏いを使って渡河作戦決行中の帝国軍後方へ飛んだ。


 後方へ向かう間、凄まじい軍神コールと姫君コールが眼下から二人を突きあげている。


「あらー…なんかエラい事に」

「これで皆の士気が上がるなら甘んじて受けましょう。軍神は止めて頂きたいですが」

「軍神って…凄い二つ名ね。魔人を倒しちゃうだけはあるって事かしら」


 古い戦果の残火みたいなものですよ、とコーデリアはどうでも良さげに振る舞った。アイレも自分が姫と呼ばれる感覚に似てるのかなと、あっさり理解を示し、二人して笑い合うのであった。


「お母様!」


 回復部隊の待機場所に差し掛かった途端、アイレ達の眼下からコーデリアを呼ぶ声がする。


「お、おかあ…さま?」

「娘ですよ。どうやらまだ回復部隊の手は空いているようですね」


 川に面した前線は地人ドワーフ達による土塁が完成したばかりで、これから橋の建造が始まる段階である。ここから帝国軍と、橋の造成に気付いて攻撃して来るジオルディーネ軍との遠距離攻撃合戦が始まる。最も危険なのは建造途中の橋の先端にいる者達で、敵は必ずここを集中砲火して来るだろう。


 来ると分かっている攻撃に備えるのは簡単。逆に考えればここに防御を集中しておけば、岸にいる味方には大して攻撃は行われないという事である。橋の先端には帝国軍の壁である重装歩兵隊が配置され、味方が撃ち漏らした敵の遠距離魔法に備えている。


 地人ドワーフ三百名の大工は帝国軍が守ってくれることを信じ、ひたすら建造に集中。事前の計画によれば幅十メートル、長さ二百メートルという騎馬が六騎横並びで駆け抜ける事が出来るという巨大な橋を、わずか一時間で造り上げるという奇跡のような工事が行われる。


 未だ本格開戦前であり、軍後方に控える回復部隊は静かなものだった。


 回復部隊員が一斉に胸に手を当て、円陣を作って二人に降りる場所を促す。


 アイレに支えられながらコーデリアが円の中心に着地すると、ここまでの群衆とはうって変わり、回復部隊は静けさをもって軍神の帰還を迎えた。二人の正面に出て来たのは回復部隊長のブレイアムとアリアである。


「司令官へ伝令を! レイムヘイト様、ご無事のご帰還です!」

「はっ!」


「レイムヘイト様。まずはそちらの傷の治癒を」

「お願い」


 ブレイアムは一目でコーデリアが毒攻を受けた事を把握し、自らコーデリアの治癒を買って出た。アリアは怪我の治癒は出来るが、毒に関してはどうしようもない。すでに風人エルフの秘薬で解毒は完了しつつあるが、念のため解毒魔法アンチヴェノムを掛けるつもりでいる。


 右手に回復魔法エクスヒール、左手に解毒魔法アンチヴェノムを展開して即座に治療を開始。コーデリアは瞬く間に全快した。


「流石を通り越して、凄まじいですね。貴方の聖魔法は」

「ありがたく。ですがそれ以上は」

「ああ、そうでした。真面目ですねぇ」

「一応、隊長ですので」


 蛇足だが、帝国の軍規の一部にはこうある。


 戦った者への謝意を禁ずる

 治療を行った者への謝意を禁ずる


 つまり、武器を持つ者が戦う事はで、その逆、戦いで傷ついた者の治療を行う事は当然の事だ、という事である。上辺だけをあげつらえば血も涙もない規則に思えるが、実際の戦場において互いが究極的に思うのは、『戦うからさっさと治せ』『治すからとっとと戦え』なのである。


 それをあえて明文化する事により、個々人の性格や感情から起こる余計な軋轢あつれきが生まれる可能性を潰そう、というのがこの軍規の目論見である。ドルムンド防衛戦においても、治癒を受けた兵は何も言わず前線に戻っているし、回復部隊員も前線の兵を叩き出している。


 しかし未だに信じられない、と呆然としたままのアイレがまず口にしたのはその事ではない。


「コーデリア…この子が娘って、ホントに?」

「本当ですよ? 何かおかしいですか?」


 アイレはまさかコーデリアにこんな大きな子供がいるとは到底思えなかった。確かにコーデリアとアリアは瓜二つと言ってもいいぐらい似ているので娘だと言うのは認めざるを得ないが、見た目からして若すぎるし、子供を戦争に連れてきている事も信じられなかった。その事を滔々と話すとコーデリア、アリア、ブレイアムの三人はクスクスと笑う。


 レイムヘイト家は武門なのです、とコーデリアは今は関係の無い、ましてやアリアに名乗らせてすらいない実家の名を持ち出してアイレの疑問を流した。今は説明している場合では無いだけで、ただの建前である。


「お初にお目にかかります、大いなる風を纏いし風人エルフの姫君。コーデリア・レイムヘイト・ティズウェルが娘、アリア・ティズウェルと申します」


 アリアは本来ならスカートの裾を持ちふわりと挨拶をするところだが、今はスカートでは無くマニッシュテイストのキュロットを着用している。胸に手を当て、騎士風に挨拶をした。アリアの大仰な挨拶に慌ててアイレも自己紹介し、堅っ苦しいのは苦手という事で気軽に呼び合うよう提案した。


「なるほどねぇ、アリアを鍛えるためにここに」

「ええ。でもブレイアムさんに任せっきりですけどね」

「感情のコントロールはまだまだですが、アリアは本当によくやってくれていますよ」


 大人三人に自分の事について語られているアリアに口を挟む余地は無かった。にも魔人兵に飛び掛かって行ったが、結果多くの命を救った事、その事がきっかけで獣人ジャックと地人ドワーフの長ワジルなどはアリアを痛く気に入り、今となってはアリアにご執心だった。


 ブレイアムはひとしきりアリアの事について語り、次はコーデリアの事についても自分の事の様に話し出す。アイレはやっとコーデリアのこの軍の、ひいては帝国での影響力を理解するに至った。


「それくらいにして下さいなブレイアムさん。私は一人の女傭兵に過ぎません」

「そう言うところでございます。アスケリノ団長の気苦労というものを少しでもご理解頂けるよい機会かと」

「こ、困りましたねぇ…」


 ここぞとばかりにブレイアムはコーデリアの振る舞いをいさめようとしている。自分の立場を少しはお考えろと言わんばかりだ。


 言われるコーデリアも同性からここまで言われたことが今までになく、さらに戦場に来てからアリアの教育を押し付けてしまっている立場上、強く言い返せない。


「分かりました…今後この様な無茶はしないようにします。さすがに先程は死を覚悟しましたからね」

「今のお言葉、何卒お心に留め置きください」


「それもこれもアイレ様のお陰です。私からも帝国騎士に代わり御礼申し上げます」

「わ、私も!」


 ブレイアムとアリアは、コーデリアの命があるのはアイレのお陰だと深く頭を下げた。


「も、もういいって! そもそもあそこに私を行かせたのもあの人だ…し…」


 という単語に反応し、三人はこぼれそうになるほど目を見開いてアイレを凝視した。


「ど、どうしたの?」


 それぞれあの人についての考察は既に済んでいる。コーデリアは軍議で王竜殺しドラゴンキラー風人エルフの姫を連れている事は聞いていたし、アリアは実際に本人を見ている。ブレイアムもアリアの反応から王竜殺しドラゴンキラー、ひいては魔人をものともしないアジェンテに興味を抱いているのだ。


「で、ジンあの子はこの私を放置してどこへ行ったのです」

「ジン様は今戦っておられるのですよね!?」

「やはり王竜殺しドラゴンキラーはレイムヘイト様のお知り合いでしたか…」


 その迫力にアイレは戸惑い、まさかここでジンを知っている人に会うとは思いもよらず逆に聞き返す。


「ジ、ジンを知ってるの?」

「知ってるも何も―――」


 とコーデリアはブレイアムが自身を語ったように、ジンの事についてとめどなく話し始めた。


「―――という事で、ジンあの子は私の息子同然なのですよ」


 ふふんと得意げなコーデリアを見て、アイレとブレイアムは急に様子おかしくなった彼女を見て若干引き気味である。


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