117話 雪人

 ギンジさんの好意に甘え、家の中へお邪魔することになった。


 広々とした土間にはかまど、台所、うまやが併設されており、奥には客間が二つと納戸なんどがある。


 囲炉裏のある客間へ通され、俺とアイレ、ギンジさんが囲炉裏を囲んで座る。囲炉裏も俺が前世で知る物とほぼ変わらず、小さくかれたまきからは、時折パチリと火の粉が舞う。音を立てて徐々に黒く、炭へと姿を変えるその様は、人の生にも似た無常なものだ。


 若い生木なまぎ炎立ほのおたちよく燃えるが、灰汁あく(煙)が強い。勢い良く燃えた後、年を重ねた生木は、炎では無く熱を発する炭へと変わり、やがて力尽きて灰となる。


 天井から吊るされた、すすで下半分が真っ黒になった茶器からはくつくつと湯気が立ち、その温かみは、冷たい土間との境界線で一層際立っている。


 俺に歌(和歌)の造詣ぞうけいがあれば、確実にここで一首出来ただろう。


 その内余裕が出来れば、この光景を思い出して練習でもしてみようか。歌才はないけどな。


「改めて、私はこの村の村長をしておりますギンジと申します。先程は失礼しました」

「いいえこちらこそ。私の事はジンと気楽に呼んでください。それにギンジさん、どうか敬語はお止め下さい。私はまだまだ若輩者です」


「そうなのですか? あっと…そうなのか。なら、そうさせてもらおう。この子は息子のアカツキだ。五歳になる。アカツキ、ジン兄さんに挨拶しようか」


 アカツキと呼ばれた少年は、アイレの膝の上で囲炉裏に向かって足をパタパタさせていた。


「こんにちは、アカツキ。俺はジンだ。よろしくな」

「ジンに…ジンにい。アカツキです! よろ★%&おねがいしあす!」


 膝の上でペコリとお辞儀をする。


 いやぁ…なんというか、いい子だ。大人しいし、ちゃんと言えてないところも、頑張ってる感じがいい。


「若輩と言いつつ雰囲気がないんだが…何歳なんだい?」

「十六を半分過ぎました」

「ははぁ…思った以上に若いね。しかし、気付いてるかい? 風格がとんでもないことになってるよ」

「はて、私にはなんとも。仮にそうお見えでしたら、母上のお陰です」


 ここで言う母上には、コーデリアさんも含まれていたりする。礼儀や所作は、殆どあの人に仕込まれたようなものだ。


「うんうん。そういう謙虚な所もいいね。人間は皆そうなのかな?」

「どうでしょう…仲間には『おっさん臭い』だのと、からかわれていましたが」


 レオ達四人に言われていた事だ。礼儀や所作は確かにコーデリアさんに仕込まれたが、見えない部分というか、行動原理みたいなものは、それもこれも父上とエドガーさん、オプトさんの教育の賜物だろう。変なたしなみと言うか、何というか。


 良く言えば清濁併せ吞む、というやつか。悪く言えば…八方美人。


「はっはっは! そうだろうね。アイレ? どうした?」


 ふとギンジさんがアイレの様子を見て声を掛けた。先程からアイレが黙りこくって虚空を見つめている。


「はっ! いえっ、何でもありません! アカツキが可愛くて可愛くて!」


 絶対に何かあるなこれは。


 いぶかしんでいると、裏手の戸がゴトリと開く音がして人が入って来る気配がする。しずしずと裏手から居間に歩いて来るや、その姿を目の当たりにすると、俺はその人の姿に釘付けになってしまった。


 真っ白な長い髪に、これまた真っ白な毛に覆われた長い耳を持つ雪人ニクスらしき人。耳はギンジさんやアカツキと違って下を向いている。しかし、それはそれで目を見張る美しさだったが、俺が釘付けになったのは彼女が着ていた服。


 この村の家々を見てからと言うもの、あり得るのではと思ってはいたが、ギンジさんやアカツキの着ている服を見て、その思いは霧散していた。俺が知る服と大して違いは無かったからだ。


 だがここで巡り合った。着物に。


 白を基調とした布地に、所々に赤や橙の梅?のような花が大小散りばめられており、半幅帯はんはばおびは淡い草色。着物というより身拭みぬぐい(浴衣)に近いが、そんなは事どうでもいい。とにかく着物があった。建物だけでなく、衣装でも前世に触れられるとは、感動ものだった。


「紹介しよう、妻のツクヨだ。ツクヨ、アイレが無事な姿を見せてくれた上に、面白い人を連れて来てくれた」


「初めまして奥方様。ジンと申します」

「やほー、ツクヨさん! 相変わらず無茶苦茶綺麗でびっくりするよ!」


 言葉なくフワリと笑ったツクヨさんは、居間の隅に上がり、静かに座って頭を下げた。


「妻のツクヨと申します。ジン様。ようこそお越しくださいました。ごゆるりとお過ごしいただけますよう」

「こ、これはご丁寧に。突然の訪問痛み入ります。どうかお気遣いなく」


 ツクヨさんは、消え入りそうな声で深々と頭を下げたまま言う。


 平安貴族かな?


 ここまで前世を想起させる女性は初めてだ。なるべく感情を表に出さず、無用な声も出さない、今のが最大声量では無いかと思わせる程の雰囲気がツクヨさんにはある。


「アイレ様、ご壮健で何よりでございます。またお会いできてうれしゅうございます」


「ツクヨさんのおかげで完璧に治ったよ! 本当にありがとう!」


 アカツキを俺にパスし、頭を下げているツクヨさんを無理やり起こして抱き着くアイレ。


 こらこらこらこら、よく見ろ。ツクヨさん無茶苦茶困った顔してるじゃないか。


 今の俺の距離感では注意する事もできず、あきれ顔を向けてやる事しか出来ない。


 アイレから解放されたツクヨさんは夕餉ゆうげの準備に取り掛かかると言い、台所に姿を消した。俺とアイレの分も用意してくれるらしく、正直楽しみでしかない。


 ギンジさんの話では、この村の食料事情はとても安定しているらしく、家の前は全て畑だという。一年の内の二ヶ月ほど、この山間やまあいは雪が解けるそうで、その間に畑仕事を終えてしまうらしい。来る途中、雪中に埋まっていた杭は畑の範囲と、何を植えているかの識別に使っているものだそうで、収穫する際は雪を掘り起こすとの事だった。


 この地方の野菜や果物は、厳しい寒さに耐えるために自衛手段として多くの栄養を蓄えて育つ。冷たい雪の中で育つから、虫食いや病、それに収穫後の腐敗とはほぼ無縁と言うこともあり、食料事情安定の大きな理由でもあるらしい。


 そんな話が始まった頃のアカツキはと言うと、今も引き続き俺の肩に乗っている、肩車されている。俺の膝が硬くて嫌になったのか、飽きたのか、服を掴んで身体をヨジヨジと登り始めたと思ったら、そこに落ち着いたらしい。髪を握りしめ、まるで暴れ馬に乗っているかのように『おわー』と遊んでいる。


 ギンジさんとツクヨさんがアカツキを下ろそうとしたが、丁重にお断りし、そのままにしておいてもらった。所詮は五歳児だ。軽いし、暴れようが何をしようが、強化魔法を上半身にかけている俺には何の影響もないのだ。それくらいの魔力はいくらでもくれてやるさ。


「そういえば、村の四方の氷柱は昔からある物なのですか? とても立派で驚きました」


 ふと気になった事を聞いてみた。あれは自然物ではないはず。誰かが作ったものだ。


「初めて見る人は驚くだろうね。あの氷柱は三百年程前、我々雪人ニクスの偉大な魔法師様がお作りになられたものでね。そのお方の名前がフクジュ様。この村はフクジュ様のお名前を頂いているんだ」


「あ、あれを? 魔法で? そんな馬鹿な…どうやって三百年もの間、形を保っていられるのです」


「伝承ではフクジュ様が作り出した氷では無く、元々ここにあった雪を固めて作られたものだかららしいね。形作ってしまえば、後はこの地方の気候が守ってくれるって寸法だろう」


「あ…なるほど」


 氷魔法で作られたものなら魔素に還り跡形も無くなるが、氷魔法を使って形成しただけなら、その力が無くなっても確かに形は残るな。


「作られて暫くは、魔物や魔獣はこの村に近づけなかったらしいよ。魔除けの魔法が込められていたらしい。当時は分からないけど、今はこの国には強い魔物や魔獣はいないから、効果が無くてもどうという事は無いんだけど」


「確かに、ここに来るまでに何度か見かけましたが、力のない魔物ばかりでした」


「だろうね。それでも五年前、エンペラープラントが根を下ろしちゃってね。それはもう大変だったんだよ。山向こうの村は暴れまわる根っこのせいで地盤が割れて村ごと飲まれるし、雪崩もしょっちゅう」


「それは大変な…」


「次はどこに移動するのか、それは恐れたもんだよ。だけど、その危機を救ってくれたのが”山神様”って訳だ」


 ピクッと反応してアイレに目線をやると、浅くうなずいた。


 そう、俺とアイレがこのホワイトリムまで来た理由は、まさしくその山神様だった。


「山神様とエンペラープラントの戦いは山向こうなのに、ここまで轟音が聞こえて来たほどだ。戦いの後何人かで現地を見に行ったんだけど、バラバラになったエンペラープラントの残骸が今も脳裏に焼き付いているよ」


 当時の記憶をつらつらと話してくれるギンジさん。時折つらそうな顔をしつつも話してくれているのは、次の言葉を紡がなければならないという、村長としての使命感だったのかもしれない。


「だけどね…感謝と畏怖の念を込めてみんな山神様とは呼んではいるものの、今度はその山神様が、雪人ニクスの恐れの存在となってしまったんだ。命の恩人だけれど、皆にとっては感謝の気持ちより、恐れの気持ちが遥かに大きくなっていったんだ。皮肉なことにね」


「………」


「我々雪人ニクスは、臆病で弱い。今となっては、この村で山神様にお供えをするのは私一人だけだよ」


「人間も」


「?」


「我々人間も同じですよ。自分より遥かに強大な存在は、排除か忌避のいずれかを選択する者がほとんどだと思います。決して、雪人ニクス達がという事ではありません。あるべき生存本能だと、私は思います。それに、ギンジさんは一人でもお供えをされているのでしょう? 人間よりよっぽど立派なお方だ」


「…そう言ってもらえると、少しは救われるよ。…ありがとう」


 俯き肩を震わせるギンジさん。俺の肩から降り、心配そうに父を覗き込んだアカツキは、何も言わずにそっと父の膝の上に座った。


 包丁がまな板を小気味よく叩いていた音がいつの間にか消え、コトコトと鍋が揺れる音だけが、土間から聞こえてくる。


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