102話 ドルムンド防衛戦Ⅸ
時は少し遡り、全ての魔人兵の解放と帝国中央軍が前進を始めた頃。
ジオルディーネ軍本陣で、司令官のバーゼルと二人の魔人が自軍の戦況を眺めていた。
「バーゼルさぁん、もしかしてジオルディーネ兵って弱いんじゃないのぉ?」
魔人ニーナは髪を指でクルクルといじりながら事も無げに言う。
「ぐぬっ…弱いはずがない! 実際ピレウスでは我らジオルディーネ軍の勢いは止められておらん! エリスもSランクなど現れなければ、今頃滅ぼしていたに違いないのだ!」
自軍が弱いと言われ、不快に思わない将官はいないだろう。だが、右翼の劣勢は明らか。ジオルディーネ兵ではないが、左翼の先鋒魔人兵達もほぼ全滅している。
すかさずバーゼルの言葉の不足を、今度は魔人ウギョウが補った。
「帝国兵が強いのだ」
「…認めたくはないがな。参謀殿のお見立ては正しかったという訳だ! 忌々しいっ!」
ギリギリと歯噛みしながら悔しがるバーゼル。
ドルムンド方面軍の司令官としてこの場には居るが、このドルムンド攻めの大局を描いていたのは、遠い本国にいる作戦参謀のフルカスだった。バーゼルは局所的な指揮権しか与えられておらず、今回の戦いに不満を抱きつつも参謀の命令には逆らえない。ドルムンド攻めは絶対成功させねばならないからだ。
「エーデルタクト方面軍の撤退に始まり、
「
「分からんのなら言う事を聞いてろ。お主ら二人いれば必ず勝てる。だが既に五人もの魔人が各方面でやられているのだ。参謀殿の言う通り、無闇に突っ込ませる訳にはいかん。だから、間違っても先程の様に腕輪を外すんじゃないぞ! 存在が漏れたら作戦が台無しだ!」
「しょーがないじゃん、これピリピリしてイラつくんだもーん。それにすぐ
右腕に嵌められた腕輪を空にかざし、魔人ニーナはうんざりとした表情で不満を漏らす。
「魔力を練っても霧散してしまう。人間は凄いものを作るんだな」
手のひらでパチッと静電気が発生して消えるのを見て、魔人ウギョウもつぶやいた。
「謎の多い御仁だが、メフィスト殿が作られた腕輪だ。我々もその効果に驚いている」
二人の魔人が身に着けていたのは、魔力を遮断する腕輪だった。魔法師の質と数、魔道具に関する技術といった魔法体系に関して大陸一を謳う帝国でさえ、腕輪に付与された技術を持ち得ていなかった。
開戦前、帝国軍は念入りに魔人の存在を警戒していた。だが、この腕輪のおかげで戦場にいた魔人の存在に気付けなかった事が、後に大きな被害を生む結果となったのである。
「敵の中央も上がってきたようだ。作戦通り、ウギョウは左翼の冒険者を優先して狩ってくれ。冒険者さえ片付ければ後は魔人兵が蹂躙するだろう」
「ああ」
「ニーナは中央の司令官だ。恐らく…いや、間違いなく我が軍は挟撃にあう。そこで深く入って来た所を狙え」
「ぐふふっ…勝ったとか思ってる奴ら絶望させるのってサイコー! いい趣味してるわぁ参謀さん!」
状況を楽しんでいる魔人ニーナに、司令官バーゼルは
「勘違いするな。無闇に攻めて優勢となったところで、帝国軍は背後に
「この後エーデルタクト行って
「……絶世と言われていたようだな」
「あー…殺したいっ!」
状況を軽んじるニーナに苦い顔をしながら、バーゼルが言葉を発する。
「集中しろ! 今はそんな事どうでもいい!」
「はいはい。あ゛~っ、早くここまで来てくれないかなぁ♪」
◇ ◇ ◇ ◇
中央軍後方で戦況を見守っていた帝国軍司令官のヒューブレストは、隣で
「この圧力…っ! 間違いない! 魔人だ!」
「くっ、どうやって気配を隠したのか…」
「近衛隊! 右翼の魔人は冒険者に預け、我々本陣は中央軍に加わるぞ!」
急遽本陣の移動に取り掛かったヒューブレスト。司令官の言葉に異論はないと、ティズウェル男爵夫人も馬を駆けた。
ヒューブレストは馬上で冷汗を流しながら、先をゆく彼女に声を上げる。
「私とフィオレ殿で魔人を相手します! 貴方には中央軍にご加勢頂きたい!」
「………」
(それにしても、なぜここまで押し込まれてから奴らが出てきたのかが問題です。もしこれまでの展開が敵の作戦だったとしたら…まさか、撤退できぬよう誘いこまれた!? このまま本陣を前線近く上げれば全軍の撤退は難しくなる。仮にそこまで読まれていたとしたら、中央軍長が危ない!)
多くを逡巡しながらヒューブレストに返答する。
「―――了解!」
最悪の事態を想像しつつも振り払い、懸命に馬を駆ける。一刻も早く前線に合流し魔人に到達せねばならない。
急いで中央軍に合流せんと駆ける本陣に、前方から伝令と思われる騎馬が駆けて来た。騎馬は本陣が中央軍に向かってくる事に気付き、並走すべく馬を
「本陣へ伝令! フィオレ中央軍長、魔人の手に掛かり戦闘不能! 生死不明! 乱戦により離脱困難な状況であります! 繰り返しま―――」
「続きを!」
報告により本陣に衝撃が走る。そして、フィオレと共に魔人を食い止めるというヒューブレストの目算が外れた瞬間だった。
「はっ! 現在大隊ごとに副長が指揮を執り、中隊で魔人と交戦しておりますが圧倒されております!」
「両翼への報告は!?」
「影響を鑑み秘匿伝令をすでに!」
「よし、このまま我々と共に来い!」
「はっ!」
「
「はっ!」
慌てることなく指示を下し、次の手を模索するヒューブレストへ、ティズウェル男爵夫人が声を上げる。
「司令官。私が当たって時間を稼ぎます。その間に敵本陣を落として下さい」
「っつ! しかしそれでは…っ!」
「騎士団は騎士団長が率いるべきです。時がありません、ご決断を」
「……申し訳ありません。それが最善のようです。ご武運をっ!」
「お任せを」
◇ ◇ ◇ ◇
「軍長ーっ!」
「お逃げ下さいっ!」
「なんだこの女! いつの間にこんなところに!?」
当てられた殺気により膝を折りながらも、中央軍の兵達がフィオレの危機を懸命に叫ぶ。だが、時すでに遅し。
突如目の前に現れた魔人ニーナは、中央軍長フィオレの抜剣を待たずに馬上に向かい跳躍する。
フィオレも騎士団長である。戦の最中に決して油断や慢心をするような未熟では当然ない。しかし、あまりにも唐突に表れ、経験した事のない強烈な殺気を目の前で放たれた事によって、その体が瞬時に反応することは無かった。
女だと!?
どこから現れた!?
魔力は感じなかった!
なぜこのタイミング?
これが魔人なのか?
跳躍!? なんて速さだ!
攻撃される!
馬上では躱せん 受けねば!
早く剣を抜ぬくのだ!
反射的に命の危機を察知したフィオレの思考は瞬時に巡る。だが、
ズブリ――――
突き立てられた二本の
「獲ったり~♪」
主を失った馬上に悠然と立つ魔人ニーナ。顔を愉悦で歪ませながら、血の滴る
「あ…あ…ああああ!」
「き、貴様ぁ!」
「団長をよくもっ!」
何もできずに軍長が落馬する瞬間を目の当たりにした帝国兵の中には、悲鳴を上げ悲嘆に暮れる者もいたが、ほとんどの者が当てられた殺気から立ち直り、魔人ニーナに怒りと武器を向けた。
「あっれー? 何でもう元気なのぉ? 普通もっと『だんちょ~』とか言ってピーピー泣くんじゃないのぉ?」
「貴様らとは違うっ!」
「帝国騎士を舐めるな!」
「まだ生きておられるに違いないっ! 軍長を運べ!」
自分の思惑とは違った反応を見せる帝国兵。
屈服させんとする魔人ニーナは再度殺気を放つ。
「……つまんない…つまんないつまんないつまんないっ! もっとビビれよぉ! 泣き叫べよぉ!」
「かかれ! 相手は一人だ!」
「うぉぉぉぉ!」
「魔物めぇ!」
だが、ニーナの殺気に屈するものはいない。抗いようのない力の差を感じつつも勇敢に剣を取り立ち向かう帝国兵に、ニーナのフラストレーションは溜まる一方だった。
「気に入らないっ! 雑魚共が! 全員あの世へ送ったげるわ!」
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