87話 慟哭

 火球魔法イグ・スフィアの熱風で目を覚ましたアイレは、直後に信じられないモノを目の当たりにする。


 自分を圧倒したはずの魔人が、上半身と下半身に真っ二つにされながらわめき散らしていた。悲壮感をはらんだその声は悲鳴のようにも聞こえる。


 何やら見知らぬ黒髪の人間が上半身だけの魔人と話しているようだが、会話の内容は聞こえない。


 間もなく魔人は消え去り、次に人間はジオルディーネ兵と話し始めると、兵達はトボトボと退却していった。


「あの人が魔人あいつをやったの…?」


『わふっ!(そうだよ!)』


 ―――!?


 すぐ側で聞こえた鳴き声に驚く。いつの間にか魔獣に接近されていた。


「くっ! ついてないっ! っ!?」


 腕に激痛が走る。どうやら利き腕を折られているらしく、それに頭痛も酷い。


 とにかく小さかろうが魔獣は魔獣。直視する事も出来ず、反射的に距離を取ろうと悲鳴を上げる身体を無理やり起こし、木陰に隠れた。


 全神経を集中し、魔獣と離れた場所にいる人間の動向に注意を払う。


 視線は感じなかったし、まだ気付かれてはいないはず…何とか戻って知らせないと、あの人間にみんなの居場所が見つかってしまったらそれこそ…っ!


 ザッザッ―――


 すると人間はこちらへ向かって歩き出した。


 いけないっ、こっちへ来る!


 咄嗟に無事な手で、腰にあるはずの細剣レイピアを取ろうとするが、その手は空を切った。


 当然か…ご丁寧に敵が武器を戻すはずも無いわよね。もう祈るしか出来ない…どうか、見つかりませんように。


 しかしその祈りは一瞬で砕かれる。人間が何やら独り言を話していたかと思いきや、突如明確に場所を知っているかのように、こちらへ言葉を投げかけて来た。


「おーい、何もしないから出て来てくれないか。この魔獣も俺の仲間で君に危害は加えないから」


「怪我の治療も出来る範囲でやりたいんだ。ここで酒でも飲んで待ってるから、気が向いたら出てきてくれよ」


 ……な、何を考えてるの!? あの人間!! さっきから一人で喋ってるし、絶対ヤバいやつっ!


 何が何だか分からないけど、言葉通りに受け止める程、私は馬鹿じゃない。



 良い匂いがする…一体何をやっているのかしら? 酒を飲むとか言ってたけど… 


 不意にゴクリと喉が鳴る。


 里を焼かれ、畑も荒らされ、あの日から着の身着のままの逃亡生活。採取も、今までやってこなかった狩猟も、敵にいつ遭遇するか分からないから満足に出来ない。生き残った風人エルフ達の野営には戦えない者が殆どだ。


 私達はギリギリ食つなぐので精一杯だった。


 それを見越しているのかしら…こんな手を使うなんて卑劣な人間め!!


 ◇


 持久戦開始から一時間程経ったか。


 日はすっかり森の木々に隠れ、辺りは暗くなって来ている。まだ女の魔力反応はあるものの、姿を現す気配はない。徐々に気温も下がってきているし、怪我人には特に辛い時間だろう。


「うーむ…このままじゃ凍えてしまうぞ。マーナ、すまないがこれを彼女に渡してあげてくれないか? 俺が行くよりまだ警戒されないと思うんだ」


 そう言うと収納魔法スクエアガーデンから毛布を一枚取り出し、マーナの前足に挟ませる。


《 お~ま~か~せ~ 》


 酔っているのか、マーナの雰囲気がいつも以上に緩い気がする。


 聖獣にも酔いは回るのか。つまり内からの攻撃は無効化できないと。マーナに勝つには毒が有効…っていかん。悪い癖だ。


 不穏な俺の思考はさておき、マーナはパタパタと女のいる木陰に飛んでいった。


「ひゃっ!…しまった」


 突然現れたマーナに驚いたのか、悲鳴を上げた後、やらかしたようなセリフが聞こえる。いや、この期に及んで見つかっていないと思ってるはずは無いと思いたい。


 それにしても警戒し過ぎだろ…冒険者なら、この七輪が醸し出す匂いに耐えられるはずは無いんだがなぁ。


 まさか、心配させて俺の懐柔を狙っていたのか? ならば毛布を渡した時点で負けたという事に…


 自慢の忍耐力は何処いずこへ行ってしまったのか。


 ふと、ミコトとオルガナが森の湯治場とうじばで涙目になっていた事を思い出す。あの時は一角兎オーガラビットの肉だったか。そんな昔の事でもないのに、もう懐かしい気がする。


 不覚にも独り笑いをしてしまった。


 そうして物思いにふけるのも束の間、ガサガサと音がしてとうとう女が姿を現した。


「やぁ。出て来てくれたな。これで引き分け―――ん?」


 毛布を頭から被り、顔は良く見えないが何やら耳が長い。


「亜人…いや、風人エルフだったのか」


「…あなた何者なの?」


 勝手に勝負して、勝手に引き分けに持ち込んだ俺に、女の冷たい視線が突き刺さる。姿を現したは良いが、警戒心は全く解かれていないようだ。


 まさか風人エルフだったとは…ならば、これだけ警戒するのも頷ける。なんせこの国は人間に侵略されているのだから。


 とにかく警戒されては、治療も話も出来ない。まずはこちらから話すべきだろう。


「俺は冒険者だ。全ての質問に答えられない事は先に言っておく。だが、君に…亜人に危害を加えるつもりは無い」

「さっき魔人を倒したのは誰?」

「俺だ」

「…私を助けたのはあなた?」

「違う。ここにいる仲間だ」


 隣に座るマーナの頭を撫でてやる。さすがに聖獣である事と名前は伏せる事にした。『ぉんっ!(もっと撫でて!)』と一鳴きする。


 魔獣を仲間と呼ぶなんて普通はおかしいと思われるだろうが、事実なのだから仕方が無い。


「っつ!? ま、まぁ危害が無いならいいわ…この国に何しに来たの?」


 依頼内容を鑑みると、見知らぬ者に話すべきではないだろう。だが相手は亜人。しかもこのエーデルタクトの住人である風人エルフだ。話したところで不利な状況にはなるまい。


「ミトレス全域の調査と魔人の討伐、帝国への亡命を希望する亜人の手助けだ」

「それを証明できる?」

「今は無理だな。まぁやれる事とすれば…」


 モシャモシャとマーナの頭を撫でながら、収納魔法スクエアガーデンから水の入った瓶と傷薬、傷に巻くための布と採取用のナイフを取り出す。


 現れた魔法陣に女は身構えたが、その説明は後だ。


「傷を洗うための水と傷薬、布を渡しておく。夜の森は危険だ、傷は早く治した方がいい。あと流石に丸腰じゃ困るだろうから短剣も。信用できないなら、それを持って去ってくれ」


 束の間の沈黙の後、女は重々しく口を開いたがその内容には耳を疑わざるを得ない。


「…私の分は?」

「は?」

「私の分の食べ物は?」


 なんと強欲な…しかしこの風人エルフに聞きたいこともあるしな。振る舞ってやらんでも無い。


「名を聞かせてくれたら、美味いものを食わせてやってもいいぞ?」

「…アイレ」


 その素直さに少し笑ってしまった。


 酒のアテでは腹は満たせないだろうから、収納魔法スクエアガーデンから片手でも食べやすいように工夫された、『燻製肉とキャベットの卵サンド』を出してやる。レオ達と塔のダンジョン周回の時によく食べた、俺のお気に入りの一つだ。


「…何がおかしいのよ」

「気にしないでくれ。そのしかめっ面と素直さがな」


「っ! うるさいっ」

「見たところ片腕は動かないんだろ? これならいけるはずだ。何なら毒味もするが?」

「…いい」


 そっと対面に置いてやると、アイレはおずおずと近づいて料理を手に取る。見た事が無い料理だったのか、匂いを嗅いだり、パンをめくって中身を見たりしていたが、意を決した様子でそっと口に運んだ。


いたっ! …美味しい」


 口の中も怪我をしているのか、食べながら頬をさすっている。顔面を蹴られた痕跡もあり、近くで見て初めて顔も体も傷だらけの様子が見て取れた。


 なんとも痛々しい…だが、決して憐れむ事はしない。アイレと名乗った目の前の風人エルフは、魔人とも戦った戦士なのだから。負傷も覚悟の内だろう。


 怪我人に酒は禁物なので、水を目の前に置いてやる。ドッキアの鉱山で採れる無機質ミネラル豊富な…一本銅貨三枚、とにかくいい水だ。


 あまり見られるのも落ち着かないだろうと思い、俺はゴロっと寝転がり夜空を見上げて目を閉じた。すると、胸にマーナが乗っかって丸くなる。


《 この人大丈夫かなぁ。ジンの邪魔したりしないかなぁ 》

《 さぁ…なるようになるだろ。腹が膨れれば少しは落ち着くさ。そこは人間も亜人も聖獣も変わらないだろ? 》

《 だねー。私もお腹減ったらイライラするもん 》

《 マーナはこの風人エルフの事嫌いか? 》

《 うーん、別に嫌いじゃないけど…遊んでくれたら考えてもいいかな 》

《 ブレないなぁ 》


 結局こういう事だ。マーナにとって人間の善悪なんてどうでもよく、聖人君子だろうが犯罪者だろうが自分が楽しければそれでいいのだ。ある意味絶対強者だけが持ちうる思考だよな…


 しばらくマーナとの会話を楽しんでいると、ようやく食べ終わったのか、出された水をゴクゴク飲み干して風人エルフは一息ついたようだ。


 美しい虫の声と月明りが、周囲の静けさを際立たせる。


 『ふうっ』と溜息をもらし、先程とは打って変わって落ち着きを取り戻した様子で口を開いた。


「ご馳走さま。…ありがとう」


 ちゃんと礼も言えるようで何よりだ。


「どういたしまして」


「…それでさっき言ってた、その…亜人に危害は加えない、亜人の手助けだ――って、本当?」


 正確には手助けだが、まぁ今はいい。


「危害も加えないし、手助けも本当だ」

「本当の本当に?」

「任務だからな」


 言葉を重ねるたびに、アイレの声が上擦うわずっていく。


「嘘だったら…許さない」

「アイレだったな? 流石にしつこいぞ。偽りならとっくに見捨てるなり排除する…な…り…」


 若干腹が立ったので、睨んでやろうとアイレの方に目を向ける。


 彼女は頭から被っていた毛布を肩に乗せ、その顔を露にしていた。



 そよぐ風になびく美しい髪の奥には、ひたいにこびり付く乾いた血。溢れる涙と鼻水で顔をクシャクシャにしながら、俺を真っ直ぐに見据える翠緑すいりょくの瞳は、これまでに何を映して来たのだろうか。



 彼女の、嗚咽おえつにも似た慟哭どうこくが風に乗る。



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