64話 塔のダンジョンⅠ

 狐の獣人ルイは、獣王国ラクリの女王である。ラクリでは王族や貴族、平民と言った身分制度は無く、王が次代の王候補を二人以上指名し、指名された者の中から民の投票で決まる。所謂民主主義に近い形態がとられていた。


 ラクリの人口は二十万人程。帝国の人口が約五千万人なので、獣人の数は圧倒的に少ない。だが、亜人国の中では最多なので、形式的にも実質的にもミトレス連邦の盟主国となっている。


 亜人の文化レベルは人間の文化レベルに比べてはるかに低いと言わざるを得ない。だが、同族の絆は非常に深くその身体能力は人間よりも遥かに高いので、これまで圧倒的に数の多い人間に亡ぼされる事無く今日に至っている。


 その獣王国ラクリの女王ルイは今、ラクリの南に位置する樹人ドリアードの国、ピクリアとの国境近くの高台に来ていた。側には自身の側近二名と風人エルフの協力者が一人。ここに来た理由は勿論、ピクリアの南に隣接する人間の国、ジオルディーネ王国の侵攻の報を聞いたからである。


 ルイはドルムンド経由の交易で手に入れた扇子をパチパチと開け閉めしながら、不満気に話す。


「そらぁ、ウィンザルフはんらと違ぉて不可侵条約は結んどらんけども。いきなり攻めて来はるなんてあんまりやわぁ」


「人間にも色々いますからね。ジオルディーネ王は皇帝ウィンザルフに言わせればとの事ですよ。斥候によれば、敵先遣隊五百人があと二、三日でピクリアに入るとの事です。本軍の規模はまだ分かっておりませんが、二万は下らないとの事です」


「ああ怖い怖い。アイレはん、知らせてもろてありがとうね。ピクリアの三獣はどないでした?」


 アイレとは風人エルフの族長の娘で、この戦の協力者である。風人エルフ樹人ドリアードと唯一通ずる事の出来る種族で、今回の侵攻の報をラクリにもたらしたのも、風人エルフの里エーデルタクトからだった。


「ラクリが落ちるのはエーデルタクトとしても困るからね。で、残念だけど三体とも予想進路にはいなかったわ。多分ぶつかる事は無いと思う。ヴリトラとスレイプニルの行動範囲に掛けるしかないわね」


「そっかぁ。一体でも当たってもろてあちらさんが攻撃でもしてくれはったら、勝手に撤退して貰えるんやけどなぁ…」


 ピクリアの三獣とは樹人国ピクリアに棲む三体の幻獣を指す。樹人ドリアードは戦う事も無ければ、風人エルフ以外とは関わろうともしない種族である。


 ではなぜ、ピクリアという国が淘汰されずに今日まで残っているのか。それはこの三体の幻獣が居るからである。


 幻王竜ヴリトラ

 幻王狼カーバンクル

 幻王馬スレイプニル


 人間にはもちろん、亜人の前にも滅多に姿を現さないこの三体は、ピクリアの守り神として樹人ドリアードに崇められ、他の種族からは恐れられていた。

 

 ルイが期待していたのは、その三体のいずれかがジオルディーネ軍と衝突する事だった。仮に衝突すれば人間の軍は全滅するか、撤退せざるを得ない被害が生まれる。それほど幻獣とは強力な魔獣なのである。


「まぁ五百人程度なら敵さんが精鋭でもない限り、ウチとこの二人が本気出せば何とかなるやろ。アイレはんに怪我でもされたらかなわんし、大人しゅう見届けたって」


「ふふっ、了解。九尾大狐ルイ様の本気を見せてもらいましょう」


「やめやめ、あんま期待せんとって。ほな、ここで昼寝でもしながら待っとこか」


「ルイ様、里の戦士達は全員準備させておいても?」


「もちろんや。二万以上なんやろ? 流石にきっついわ。あ~あ…帰ってくれへんかなぁ」


 五百人の敵先遣隊をたった三人で迎え撃とうとしている女王と側近二人。事も無げに『何とかなる』と言い放ったのは虚勢でも慢心でもない。


 事実、この五百人の先遣隊はラクリに入ると同時に彼女らの手によってあっさりと退けられている。



◇ ◇ ◇ ◇



「あっ! 三つ目の魔法陣あったよ!」

「休憩しようよレオ君!」

「賛成~」

「ああ、ジンもいいよな?」

「もちろんだ」


 塔のダンジョンに挑戦し始めて五日目。俺達は上層を攻略し終え、中層と言われる入口まで来ていた。初日から今日まで、ダンジョンという環境に慣れるため、慎重に慎重を重ねてここまで来た。だが俺は帰還魔法陣の存在だけを教え、一切手出ししていない。俺無しでどこまでやれるか試したいという、レオとケンの提案だった。


「皆お疲れさん。ここまでどうだった?」


「そうだな、魔物自体は大したこと無かったけど、数がすごいな」

「だなぁ、今のところ盾術士オレ要らねぇわ。みんなオルガナが燃やすし」

「えへへ」

「わたし早く探知魔法サーチ出来るようになりたいなぁ。いきなりうじゃうじゃ出てこられるの怖いよ」


「個体が強力になれば今のやり方は通用しなくなるからな。それがいつ来るかもわからん。俺も注意を払うが、気は抜かないでくれよ」


 やはり皆魔物の数に驚いたようだ。それでもレオとケンの立ち回りはなかなかで、中衛のミコトと後衛のオルガナはここまで一度も接敵していない。欲を言えば、オルガナの火球魔法イグスフィアに頼りすぎなような気もするが、まだ魔力には余裕があるようだし大した問題でも無いだろう。


「どうする? 今日はこの辺にしとくか?」


 ―――まだ行く!


 気合入ってるな。今の敵の強さだと標的のゴルゴノプスは下層まで行かないと出てこない気がするし、おそらくこの四人ならそこまで付いて来かねない。五、六個目の帰還魔法陣で帰した方がいいな。


 その後休憩を終えて中層に向かう。四つ目の帰還魔法陣を越えた辺りから、ブラッドウルフやバジリスクから、オークやストーンバジリスクに変わっていくなどE、D級の魔物が増え始めるが、何とか彼らは凌いでいた。


 別の通路や広場からも気合の声が聞こえて来ているし、俺の遠視魔法ディヴィジョンにも人の反応が増えてくる。冒険者で多くの割合を占める下級者と中級者が、この辺りの階層で苦労し始めるんだろう。


 やっとの思いで五個目の帰還魔法陣に着いた四人は、ダメージは大したことは無いにせよ息も絶え絶えだった。


「あーしんどっ!」

「魔力核も拾い過ぎるとかさ張るなぁ」

収納魔法スクエアガーデンが羨ましい…それにしても疲れたぁ」

「私も魔力ヤバくなってきたよ」


「もう出た方がいいな。四人だけでよくここまで来れたもんだ。すごいと思うよ。結構稼げたかもしれないな」


「そうだよな…よし! 今日はこのくらいにして出るか!」

「了解だリーダー」

「は~い」

「戻ったら瞑想しよっと」


 帰還魔法陣に向かう四人を見送ろうとすると、皆が足を止める。


「ジン?」

「ん?」

「もしかしてまだ行くつもりか?」

「ああ。俺何もやって無いしこのまま下層まで行ってくるよ」


 沈黙が流れる。どうしたんだろうか。


「ずるい…」


「へっ?」


 ――――ズルいっ!


 見事に合わさる四人の声。何がズルいか分からない俺に各々が詰め寄ってきた。


「俺らも連れてけよ! 今後の為に先を知っておきたい!」

「ジンがいればまだやれるっての!」

「ここまで何もせずに来れたのは誰のお陰かな?」

「魔力やっぱり減って無かった」


「いや、オルガナは嘘だろ」


 実際困った提案だ。仮にもパーティーとは言え、これ以上は無理はさせられない。全員をサポートに回したとしても、それはそれで彼らのプライドに傷がつくかもしれない。


 だがここまで楽に来れたのも四人のお陰なのは間違いないし、無下には出来ないのも事実。


「わ、わかった…とりあえず六個目の帰還魔法陣まで行って、一緒に下層に行けるかどうかを判断する。それで納得してくれ」


 ――――了解!


 こうして、レオ達と出会って初めての本格的なパーティー戦が始まる。

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