序章 昭和20年
T「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう」
(「パール判決文より」『パール判事の日本無罪論』田中正明著より引用)
○パラオ・ペリリュー島
ズタズタになった旧日本兵の屍がそこかしこに転がる。
T「昭和二十年、パラオ・ペリリュー島」
一人の痩せこけた日本兵がこちらに向かってくる。
小林喜一郎(39)、銃を杖代わりにヨロヨロ歩いてくる。
喜一郎の顔は煤で汚れ、軍服も泥まみれになり何カ所も破けている。
喜一郎、ギラリと敵陣を睨み付け、
喜一郎「天皇陛下、万歳! 大日本帝国、万歳!」
と、最後の力を振り絞り疾風の如く敵陣に走り込む。
銃を構える連合軍の兵士たち。
照準器の十字が喜一郎の額に重なる。
○旧小林宅・台所
T「昭和二十年 大阪」
小林喜代(40)と妊娠中の小林 志津(30)、こそこそ話す。
喜代「ほんまに堪忍やで。食糧、中々、手に入らんし、かなんわ」
志津「お義姉さん、気にせんといてください。子供らまだ小さいし、大阪いてるより広島に帰った方が安全かもしれませんから」
喜代「せやな、せやせや。広島の方が空襲少ないやろうし、いい疎開先になるわ。せや、頼みに行く間、珠ちゃんら、預かっとこか?」
志津「すぐに置いて貰えるかもしれませんし、迎えに来る汽車賃、勿体ないから一緒に連れて帰りますわ」
喜代「ほんまに、堪忍やで。志津さんのご実家も大変や言うのに。もし、無理やったら、遠慮せんと帰って来てな。しんどいけど、みんなで協力し合ったらええし」
志津、不安そうに愛想笑いする。
○再びパラオ・ペリリュー島
喜一郎の額から一筋の血が滴り落ちる。
喜一郎、崩れる様に地面に跪く(ひざまずく)き、晴れ渡る美しい空に手を伸ばす。
喜一郎「志津、珠代、君代、祥太郎……」
連合軍の兵士、銃の引き金を引く。
喜一郎、荒れ果てた大地に崩れ落ちる。
○志津の実家・玄関(夕方)
T「昭和二十年 広島・呉市吉浦町」
志津の母が、珠代、君代、祥太郎に菓子を配る。
子供らの様子を微笑ましく見守る志津。
子供たち、お菓子を口いっぱいに頬張り、きゃっきゃと大はしゃぎする。
志津の母「(志津に)ほんまに堪忍やで。うちも、いっぱい、いっぱいで」
志津「分かってる。お義姉さんの手前、戻っといたら恰好つくし。お父さんとお母さんに、子供らも見せたかったし」
と、寂しく微笑む。
志津の母、不安そうに志津を見つめる。
○広島・海岸沿いの山道(夕方)
段々畑が山の斜面を覆い、そのすそ野には瀬戸内海が広がる。
石畳の階段を大荷物を持った志津と子供らが降りてくる。
志津、落ち込んだ様子で階段を降りる。
珠代と君代、追いかけっこしながら、はしゃいで階段を降りる。
志津「珠ちゃん、君ちゃん、転ぶで! 気ぃ付けや」
志津と手を繋ぐ祥太郎、姉らに追い付こうとヨタヨタしながらも必死で階段を降りる。
志津「祥ちゃんは、慌てんでええからな」
珠代と君代、階段を降りきる。
珠代「(海を指差し)お母さん、見て!」
沈む夕日が瀬戸内海を鮮やかに照らす。
行き交う船が汽笛を鳴らし合う。
キャッキャッ喜ぶ珠代と君代。
志津と祥太郎、ようやく二人に追い付き一緒に瀬戸内海を眺める。
志津「また、みんなで来ような」
珠代「お父さんも!」
志津「せやな。日本が戦争に勝ったら、みんなで、一緒に広島に来ような」
と、堪えていた涙が頬を伝う。
志津、慌てて両手で顔を覆う。
君代「どないしたん?」
志津「夕日が眩し過ぎるねん」
珠代、手で庇(ひさし)を作り志津に見せる。
珠代「こうしたら、ええねん」
志津、覆った指の間から珠代を見る。
珠代、庇からおどけた顔を見せる。
志津、クスリと笑い手で庇を作る。
志津「ほんまやな、眩ないわ。賢いな、珠ちゃん」
誇らしげに微笑む珠代。
君代と祥太郎も真似て庇を作る。
夕日に照らされる親子四人。
○新幹線・車内
T「平成二十九年 秋」
小林珠代(81)、小林舞(14)、小林睦(45)、小林修一(48)、小林由実(47)、向かい合って談笑する。
珠代「山の斜面の段々畑とオレンジ色にキラキラ光る海、未だに忘れられへんわ。ほんでな、その海を船がゆっくり進みながらボーって汽笛鳴らしててん」
舞「それって、どこ?」
珠代「呉の吉浦町や」
由実「そこも、寄ってみようや」
修一「え? 時間足りるかな」
と、自作の旅のスケジュール表と睨めっこする。
他の四人はぼんやり、瀬戸内の海に思いを馳せる。
○四人の回想・昭和20年の瀬戸内海(夕方)
沈む夕日が海一面を鮮やかに照らす。
行き交う二艘の船、汽笛を鳴らしすれ違う。
○広島平和記念資料館・館内
窓から見える原爆ドーム。
込み合う館内。
キノコ雲に覆われた漁村の写真。その下に『原爆投下直後の呉市吉浦町』のプレート。
写真の前で呆然と立ち尽くす小林家の人々。
○新大阪駅・ホーム
乗降客でごった返す。その中に持ちきれない程の荷物を持った小林家の人々の姿もある。みな楽しげだが、睦だけ一人落ち込んでトボトボ歩く。
× × ×
エレベータ前で、別れを惜しむ小林家の人々。
珠代、睦の手を握り、
珠代「ほんまにありがとうな。睦」
睦「私だけやないよ。お兄ちゃんと、お義姉ちゃんの力もあったから実現できてんやん」
と、照れ臭そうに笑う。
由美「むっちゃん、そんなん言うても何も出ぇへんで(珠代に)あ、お義母さん、エレベータ来たわ」
エレベータに乗り込む由美と修一。
珠代も続いて、ヨタヨタとエレベータに乗る。
由美「むっちやん、また、遊びに来てな。舞ちゃん、また、明後日な」
舞「うん!」
珠代、由美、修一、二人に手を振る。
舞も手を振って三人を見送る。
睦「はあーぁ」
舞「もう、歳やな」
睦「しんどいんと、ちゃうわ」
舞「またまた、痩せ我慢して」
睦「おばあちゃんに、えらいことしてもうた」
舞「え?」
睦「おばあちゃんの一番大事な思い出、壊してもうた」
と、再びトボトボ歩き出す。
舞「ちょっ、ちょっと、どういうこと、壊したって。いつ? どこで?」
と、睦の後を追い掛ける。
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