外伝 —暁の章—

【Ⅰ】セト

1:天啓か呪縛か

「いつもごめんな、こんな時間に」


「何言ってんだい。あんたはちょうど私の手が空いてる時間を見計らって来てくれてるんだろう?」


「いや、仕事が一段落するのがこの時間だから」


「まあ、そういうことにしておこうかね」


  セトが来るのは、決まって宿の客に夕餉ゆうげを出し終えて一休みした頃の時間だった。相変わらず気の回りすぎる子だとノタナは思う。親代わりの自分にくらい、気ままに接すればいいと何度も言っているのだが、彼がその姿勢を改める様子は全く見られなかった。


「仕事はどうだい?」


「相変わらず人手不足……だけど、最近は少し落ち着いてるかもな」


「あんたがここに顔出せるってことは、そういうことだろうね」


「ノタナさんは? 宿も忙しいだろ?」


「あんたは人の心配してる場合じゃないだろうに。見ての通り元気だよ」


 一昨日セトがエルティを視察に来た中央の中級司令官に、終始ひどい罵声を浴びせられていたらしいことは――中央の勧誘を断り続けているのが気に食わないのだろう――昨日訪れたユウラから、ノタナの耳にも入っていた。気にする素振りは一切見せなかったという話だったが、決して気持ちの良いことではなかっただろう。


 心配だったが、ここで聞いても何でもない風に笑うだけで正直に答えやしないのは目に見えていた。セトは昔からこうだ。人の心配を受け容れたことがない。ノタナからでも、ユウラからでも、柔らかな態度ながら頑なに。


 ふいに、七年前のセトがノタナの脳裏に蘇った。痩せ細って油断ない目をしていたその姿と今の彼とを比べる。知らず言葉がこぼれた。


「大きくなったねえ」


「どうしたんだよ、いきなり」


 食事の手を休めて、セトが怪訝な顔を上げた。ちょうど左腕に留められた支部副長の腕章が目を引く。


「七年前あんなに小さかったあんたが、今は立派に支部の副長をやってるとはねえ。時間が流れるのは早いよ」


 セトは苦笑で応じた。彼もまた過去を思い出したか、一瞬回顧の目をする。


「オレだって七年前は、まさか自分が白軍に入って……副長までやることになるなんて、思ってもみなかったよ」


「後悔してるかい?」


「まさか」


 そうだろうと思っていた。白軍に入ってからのセトは、水を得た魚のように仕事に打ち込んでいる。身体を休める暇をも惜しんで、だ。しかし、だからこそノタナは悔いていた。彼はまだ若い。本当ならもっとゆっくりと生きて、何も仕事に打ち込むことだけが人の生き様ではないと知って欲しかったと思う。


「私は少し後悔してるよ。あんたは無茶ばかりするからね。白軍に入るって言ったとき、もっと止めておけばよかったよ」


「……オレは感謝してる。拾ってもらったこともだけど、白軍に入れてもらったこともさ」


「そうかい」


「いつも心配かけてるのは、悪いと思ってるよ」


 聞いて、ノタナは肩を竦めた。分かっているのならば、もう少し聞く耳を持って欲しいものだ。


「そう思うなら少しは自分を労るんだね」


「気をつけます。それなりに」


「それなりに、かい。このことに関しては、あんたはいつも返事ばかりだからねえ」


 白軍に入隊して以降、倒れるほどの無茶をセトは平気で繰り返している。決して身体が脆い訳ではなくて、限度を超えた負荷をかけ続けるからそうなるのだ。外の任務でも己の身を顧みずに怪我ばかりだと聞くし、遠征だと聞くたびに気が気でない。どうして自分のことになると、こうも向こう見ずになるのだろうか。まるで自分なんてどうにでもなれというような酷使ぶりだ。いつか一歩踏み越してしまうその前に、何としても止めねばと思う。


「支部長がオレくらいの年のときは、もっと無茶してたんじゃないか?」


「何を言うかい。ハリアルは倒れるほどの無茶はしなかったね」


「少しは追いつけたかと思ったけど、まだまだみたいだな」


「あんたの方がよくやってるよ。その分出世も早いじゃないか」


 ノタナがもう一度群青の腕章に目を遣ると、釣られたようにセトもそれを見た。


「それはオレが癒し手だからだ。これを付けていられるのも、支部長の推薦あってこそ、さ」


 かすかに声が陰ったのを、ノタナは聞き逃さなかった。眉を上げる。


「そんなことを気にしてたのかい?」


「別に気にしてるわけじゃないけど、一人しかいない副長が力不足じゃ回らないしな」


 確かに前線で癒しの呪を使える者は貴重な存在だ。今のところ、セト以外にそれができる人間はいない。そうなるとどうしてもそこへ目が行って、他の彼自身の能力を――彼が血の滲むような努力で積み上げたものを――見ようとしない人間も多い。異例の抜擢は癒し手であるためだ、実力も無いくせに、などと言う輩が少なくないのをノタナは知っている。


「白軍に入ることが決まってから、あんたがどれだけ頑張ってきたかはよく知ってる。そりゃあれだけやってれば、副長にもなるよ。その年でなっちまったら敵も多いだろうけど、あんたは決して力不足なんかじゃないよ。あんたがいることで、どれだけハリアルが助かってることか」


「そうならいいんだけど」


「そうさ。でもねえ、私にはときどきあんたが生き急いでるように見えて心配なのさ。やっぱり、せめてもう少し年を取るまで、何としても止めるべきだったかもしれないね」


 なにやら困ったような笑みを返して、セトは黙った。効果のほどは分からないが、もう一言添えておく。


「出来た部下ばかりなんだから、あんたもユウラやテイトをもっと頼るんだね」


「そうするよ」


 形式だけの返事を終えると――本当に聞いているのだろうか――セトは立ち上がった。いつぞや皿は空になっている。


「ごちそうさま」


 溜めた息を吐き出して、ノタナは再び肩を竦めた。根気強く言い続けるしかないらしい。


「はいよ。またいつでもおいで。ちゃんと毎日三食食べるんだよ、いいね」


「最近はユウラがうるさいから、三食食べてる」


「そりゃ良かった。これからもユウラには監視を頼まないと」


「勘弁してくれって。あいつは普通にしてても十分心配性だし」


 また来るよ、と言い残して踵を返したセトを、ノタナは心配が晴れないままで見送る。もう間もなく真夜中を迎える時刻のせいか、背中はすぐに立ち込める闇の向こうに見えなくなった。


 ――癒し手だからって、嫌になるほど庇われるんだ。誰もオレを庇わずに済むくらい、強くならないとさ。


 白軍に入ってからの無茶な努力の理由の一つは、きっとこの言葉にあったのだろう。ほとんど寝ずにいる彼を見かねたノタナが、何度も問い詰め続けてようやく引き出した言葉だった。他にも周囲から正当な評価を与えられなかったり、いらぬ嫉みを受けたりと、少なくとも癒し手であることで、彼自身が得をしたことなど一つもないだろう。


「あんたにとっては、呪いみたいなものなのかね……」


 人は天恵だのなんだのと言うが、ノタナにはどうしても呪縛のように見えてならなかった。

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