第2話 風呂場でご主人さまと僕に囁いている 2


 蒼い光の門の中から、現れた銀髪の少女。その門がふっ、と消えると同時に。

 女の子が、ふわっ、と落ちてきて──。

「う、うんっ!?」

 そのまま、彼女の体が銀河に直撃しました!

 プールの中に飛び込んだような音を立てながら、二人は湯の中へと沈んでいきます!

 そのさまは撃沈された軍艦のようです!

「アブブブブ……!」

〔アブブブブ……!〕

「ぐぉgぉぼれぶぅ〜!!(お、溺れる〜!!)」

「○△□×……!」

 銀河は彼女に押しつぶされ、お湯の中で溺れました。目の前が真夜中を迎えます。

(──しっ、死ぬっ! 溺れ死ぬ! でっ、でも、お、女の子の尻に押しつぶされて溺れ死ぬというのも、これはこれでナイスかもしれない……!)

 と覚悟を決めた(?)、その時です。

〔ご主人さま、お助けいたします……!〕

 少女が、片方の手で銀河の手を掴みました。

 銀河には、その力は不思議なほど強く感じられました。母親のように。聖母のように。

 それからもう一方の手で、腰のあたりを一回、ぽん、と押しました。

 すると、彼女の体が青白い光球に包まれました。湯船の中に星が生まれます。

 そして彼女の体が、銀河と一緒に浮かび上がります。見えないクレーンで運ばれるように。

 銀河は一瞬、何が起きたのかわからずにいましたが、今浮いていることはたしかでした。

 彼女は銀河と一緒に空中を移動し、水色のタイルの床へと尻からゆっくり降りました。

 月に降り立つ着陸船のように。

 二人はぷはー、ぜーはー、としばらく息を吸ったり吐いたりして。

 それからお互い、相手の全身を見合って。

 沈黙の河が、二人の間を流れていましたが。

 少女は、橋をかけるかのように言いました。

 美しい小鳥が、さえずるような声で。

〔ご主人さまの裸……。いい、裸ですね……!〕

(──!)

 彼女は微笑を浮かべていました。野の花が静かに咲くように。

 銀河は、一瞬どきりとしましたが、呼吸を整えると、

「とっ、とにかく、風呂から出ちゃおう……?」

〔はい!〕

 そう促しました。

 美少女は慌てて立ち上がりました。が、慣れないのか、体をふらつかせてしまいます。

「おっと」

 銀河は手で支えました。

 水の残るスーツの手触りは、意外と薄く、肌のぬくもりさえ感じるように思えます。

 が、その支えた場所は。なんと二つの大きな丘。胸です。銀河の目が釘付けになりました。

「……」

「……」

 二人の間に、沈黙が流れました。先に変化が現れたのは、少女の方でした。

〔……それがこの星の挨拶なのでしょうか? それとも愛情表現ですか?〕

 彼女は心の声を響かせると、手で、銀河の胸をつかんできました。

 女の子の手触りが、スーツ越しに伝わります。

 脂肪の少ないたくましい胸をつかまれ、銀河はう、うわ、と口を開けました。

「い、いいや違うってば、これは挨拶や愛情表現じゃないってば!」

〔じゃあなんなのですか……?〕

「なんでもないよっ、ただの事故だってば!」

〔事故、ですかっ……? 事故……? ふふふっ〕

「そ、そうだよっ」

 銀河は、手を胸から離し、改めて腕を掴んで支えると、

「そ、そんなことよりゅうっ、脱衣所へ出ようっ……」

 ちょっとかみながら少女を誘いました。

〔はい。ご主人さま……〕

 ようやく、二人は風呂場から上がりました。

 そこは陶器製の洗面所、ドラム式洗濯乾燥機、衣服入れなどがある、白い壁の脱衣所です。

〔はぁ……〕

 脱衣所へ上がると、女の子は、脱衣所の床に座り込んでしまいました。

 そのさまは、まるで軟体生物のようにも見えます。

「だっ、大丈夫?」

〔……〕

「ち、ちょっとタオルで頭と体を拭くよ。いいかい?」

〔「体を、拭く」ですか? ここにはボディエアタオルなどはないのでしょうか?〕

「ボディエアタオル……? そんなもの、ないけど……?」

〔ないのですか……? じゃあ、わかりました。ご主人さま〕

 銀河は、手にした大きく白いタオルで、彼女の頭を拭き始めました。

 髪は、うねりを持った柔らかい銀の糸のようです。

 髪を拭き終わると、次に体を拭きました。タオルは髪を拭いた時よりも濡れません。

 これならすぐに終わりそうだ。彼がそう思いながら、体拭きを続けようとした時でした。

 ドラム式洗濯機の上に置いてあった、銀河のスマートフォンが振動しました。

 軽快なマッサージ器のように。

 何らかのメッセージの着信があったようです。銀河は体を拭くのをやめ、スマホを手に取り手早く操作すると、画面には、こう表示されていました。

<銀河さん、明日の放課後、お暇かしら?>

<天河くん、明日、暇でございましょうか〜?>

<銀河っちー、明日どうよー?>

 etcetc……。

 それは、銀河を好きな女の子達からのメッセージがほとんどでした。

 どうやら、デートのお誘いのようです。

 銀河は、彼女達からのメッセージを全部見ると、

(……どうしてみんな、僕のことを好きなんだろう?)

 と首を捻りました。

 誘われるのは、いつものことでした。

 学校でも帰り道でも、直接的、あるいは間接的に、彼女達は銀河を誘ってくるのです。

 銀河は戸惑いながらうまく付き合っていましたが。

(女の子は大好きだけど、なんで僕は好かれるのかな?)

 銀河は、時々わからなくなることがありました。それは学力テストよりも難しい問いでした。

 銀髪の女の子は、銀河がスマホを再び洗濯機の上に置くのを見ると、不思議そうに首を傾げます。銀髪が、風に揺らめく波のように広がりました。

〔どうしました……?〕

「いや、なんでもないけど……」

 銀河は、慌てて首を振ると、彼女のことをもう一度観察しました。

(──今までたくさんの女の子を見てきたけど、こんなに綺麗な子は見たことないな……。人間離れしているというか。いや、空中から降ってきたりしたし、もしかすると、本当に人間じゃないのかもしれないな……)

 銀河はそう思うと、今度は自分の体を拭き始めました。

 タオルにわずかな温かさを感じました。

 その時、彼の頭のなかで男の声がしました。その声に、銀河は拭く手を止めます。

〔……私だ。プリシア。お客様がいらっしゃった。こっちに来て欲しい〕

 その声を聞いて、銀河はいつもの声だ、と思いました。

 再び手を動かし始め、体を拭きます。

 アキト。その声はそう名乗っていました。

 それは中学二年の時の真夜中、勉強していた時のことでした。

「ふう、ちょっと一息ついてアニメでも見ようかな……」

 そう言って銀河が背伸びをした時です。

 突然、耳鳴りがして、目の前が真っ白になりました。

「なっ、なに!?」

 銀河が顔を左右に振ると、遠くから、いや、近くから聞こえるような声がしました。

〔自分はアキトという者だ。少しの間だけ、同居させてもらいたい……〕

(えっ、だっ、誰!?)

 そして、ひどい頭痛がしたかと思うと、銀河は目の前が真っ暗になりました。

 気が付くと銀河は、机に突っ伏しているのに気がつきました。頭痛が少し残っていました。

「な、なんだったんだろう、今のは……?」

 彼が後頭部をさすりながら起き上がると、

〔ありがとう。これからしばらくの間、よろしく頼む……〕

 頭の中から、そう返事が聞こえてきました。

 その時から、奇妙な同居人が、銀河の頭の中に同居し始めたのです。

 そして、銀河には色々な事が起きました。

 例えば学校でいきなり、見聞きさえできずに意識を失って……。

 気がついたら別の場所にいたり、あるいは話の流れがわからなかったり。

 またあるときは、周りからロリコンとか囃されたり……。

 けれども決して悪いことだけではなく、彼にテストの回答を教えてもらったり、クラスメイトの女子と仲良くしてもらったりしたので、我慢していたのです。

 しかしこの事は銀河にとって、喉に刺さったまま抜けない魚の小骨のようなものでした。

(……あの『アキト』が、『プリシア』に喋ったって……。『綾音』がここに来るのか?)

 銀河が目を細めながら、自分の体を拭き終わったそのときでした。

 女の子は、何かを思い出したように突然真剣な表情になり、心の声で、こう言ってきました。

 彼女の顔と目には、怖いものに追いかけられた後のような色がありました。

〔……あの、ご主人さま! 助けてください!〕

 その言葉に、銀河は目を丸くしました。突然、助けてくれ、だなんて。

 わけが分からず、銀河は言葉を返します。アニメの主人公のように。

「た、助けてくださいって……?」

〔悪い人に、追われているんですご主人さま!〕

「っていうか、どこから来たの? その格好、見たことないし……。アメリカ? 中国? ヨーロッパ? それとも中東かどこか?」

〔ご主人さま違います。そんな国は存じません!〕

「違うの? じゃあ、どこなんだよ?」

〔グライスプライム、でございます〕

「グライスプライム? そんな国、聞いた事ないぞ?」

〔銀河系に存在する星間王国でございます。ご主人さま〕

「ぎ、銀河系? と言うことは君は……、宇宙人?」

〔ご主人さまがそう呼ぶのなら……。わたくしは、グライス星間王国の王女、トレアリィ・フィメル・グライスでございます〕

 と、そう言って宇宙人の彼女はうやうやしく一礼をしました。

 銀髪が川のせせらぎのように、綺麗に流れます。

 そして、トレアリィは顔に陰りを見せながら問いかけてきました。

 何か、不安なことがあるようです。その目は拾われた孤児のようでもありました。

〔信じて、いただけますか……? ご主人さま?〕

 その言葉に、銀河は考える顔をしました。

(うーん。本当かな……。でも、突然空中から現れたことといい、頭のなかに聞こえる声で会話することといい、こういうのって、特撮でも幻覚でもなんでもないよな……。よし)

 銀河はそう決心すると、トレアリィに向き合いました。そして一つ首を縦に振りました。

 ひとつの回答を持って。

「……うん、信じるよ。トレアリィ」

〔信じていただけますのね! よかった……〕

 トレアリィはほっと胸をなで下ろすと、銀河に聞きたかったことを尋ねてきました。

 それは、知らない人とコミュニケーションを取るときに、真っ先に聞くべき事でした。

〔で、ご主人さまのお名前は……〕

 銀河は、ちょっと頼りない笑顔で応えました。

「ぼ、僕の名前は……、天河銀河って言うんだ。よろしくね」

〔はい! わかりましたご主人さま!〕

 トレアリィも、笑顔で応えます。そのさまはきらめく星々のようです。

 しかしトレアリィは、すぐに視線を下に向けると、恥ずかしそうに告げます。

〔で、あの……〕

「なに、トレアリィ?」

〔ご主人さま……、まだ、裸ですね。このままいたしちゃいましょうか?〕

「あ」

 銀河は気が付きました。体は拭いたけど、服は着ていなかったことに。

 しかも、トレアリィはしゃがんだまま銀河と向き合い、銀河の大事なモノがぶらぶらしているのを見ながら、話していたのです。

 銀河はため息を付きました。その顔には、今はそれどころじゃないんだけど……、という感情が浮かんでいました。

「いたしちゃいましょうかって……。そんなことよりまずは話を詳しく聞かないと……」

 銀河はバンツを穿き、シャツを着て、それからパジャマを着ました。

 それから、スマホをパジャマのポケットの中に入れました。

「早くここを出て、リビングで休もう」

〔はっ、はい……〕

 トレアリィはそう返事をしました。そして、床に手をつけ、

〔んしょ〕

 立とうとしますが、力が足りないのか、なかなかうまくいきません。

 その様は生まれたての子鹿のようにも思えます。

「どうしたの、体が動かないの? 先程の装置でも使えばいいんじゃないの?」

〔はっ、はい……。エネルギーが切れたもので……〕

 トレアリィは言いながら立ち上がろうとしますが、まだうまく立ち上がれません。

 どうやらまだ、地球の重力に慣れていないようです。

 それを見た銀河は、しゃがみ込んで小さく肩を丸めると、

「ほら、肩を貸してあげるよ」

〔はいっ……〕

 トレアリィの肩を自分の肩に乗せ、彼女と一緒に立ち上がりました。

「よいしょ」

〔あ、ありがとうございます……。ご主人さま……〕

「歩ける?」

〔は、はい、なんとか……〕

「じゃ、リビングに行こうよ。いち、に、いち、に……」

〔いち、に、いち、に……〕

 声を掛け合いながら二人で廊下に出た、その時でした。

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