第63話 記憶を消して!

 ベンチに押し倒されているのは、間違いなく叔父のクロヴィスだ。顔を赤く染め、目には涙まで浮かべている。押し倒している人が誰かわからないが、身なりから身分の高い男性だろう。


 灰色がかった茶髪に端正な顔立ち、笑顔は品があり、女性の扱いになれていそうな雰囲気がぷんぷんしている。が、彼の下で屈服しているのは華やかな令嬢ではなくクロヴィスだ。まずい。やばいもんを見てしまった。アリアは今さらながら視線をそらした。


「おお、たしかに美人だな。クロヴィスが独占したがるのもわかる」


 謎の男性は、クロヴィスの上から降りると、陽気に手を差し出してきた。


「あの」アリアがまごつくと、横にいたアスバークが、

「第二王子ジュリアス殿下だ」とささやく。

「ジュリアス」驚きながら、アスバークを見やると、彼は軽くうなずく。


(そうか。この人が)


 ジュリアス・ジャルディネイラ。小説にも少しだが登場した人物だ。


 アリアが第二王子の手に触れそうになったとき、むくりとクロヴィスがベンチからからだを起こした。


「殿下」


 低い、恨みつらみのこもったクロヴィスの声に、笑顔満面だったジュリアスの表情が引きつる。


「殿下」

「な、なんだよ」


 クロヴィスのほうへと首をひねるジュリアス。


「殿下」

「どうした、くーたん」

「殿下」禍々しい雰囲気に、

「だ、だから全部冗談だって。ジョークジョーク」とジュリアスは取り乱す。


 激しく手を振り、アリアとアスバークに、「ジョークだから。おれたち怪しい関係じゃないから」と言い訳する。


「仲が良いのですね」とアスバーク。うっすら笑っている。


「寄宿学校時代に知り合ってな」とジュリアス。


「そうだ、アリア嬢。クロヴィスはわたしの近衛騎士になってくれるそうだ。頼もしくてうれしくなったのだよ。ハグしていた。深い意味はない。本当に。感謝していただけで」


 あはは、と笑うジュリアスの声だけが周囲に虚しく響く。


「殿下」


 クロヴィスはベンチに腰掛けたままでいる。下を向いているので、その表情は見えない。


「早くこの場からいなくなってくれませんかね。テロ起こしそうです」


「おう、わかった。即刻退散するからな。落ちつけ、クロヴィス。早まるなよ。あ、近衛の話はこちらで進めておく、いいよな?」


 こくん、とうなずくクロヴィスの肩を、ジュリアスは素早く叩き、「な、悪かった、ごめんごめん。おれの寝首かこうとするなよ。お前をそばにおくのが不安になってきた」と耳打ちする。その口もとをクロヴィスは殴ろうと、手を振りあげる。


「う、あぶねっ」ジュリアスは攻撃をよけたが、ハラハラする。


「じゃあ、またな。アリア嬢も今度ゆっくり話でもしましょう」


 引きつった笑みながら、アリアに配慮を見せて、ジュリアスは足早に去って行った。だが、クロヴィスはベンチに座ったまま顔をあげない。アリアはアスバークに助けを求めて視線をやるが、「じゃあ、ぼくも」と彼まで去ろうとする。


 この場に放置されては困ると、アリアがローブをつかむと、


「ミスタ・クロヴィス。姪御殿には伝えたが、次週もお会いしたい。しばらくは王城に通ってもらうことになった」


 そう呼びかけたアスバーク。しかし。


「反応がないな。良いところに邪魔が入ったもんだから、気分を害しているようだ」


 ふむ、とあごに手をやる。


「ジュリアスとクロヴィスは愛人関係にあったのだな」

「あい、じっ」


 アリアが動揺すると、


「アスバークさま」

 クロヴィスの暗い声が。

「記憶を消す方法はありますか」


「記憶? 誰の」

「アリアの」

「え」アリアがたじろぐのに、

「さっき見たことは忘れてくれ」


 クロヴィスはうめいて顔を覆う。悲しみようが半端ではない。このまま地べたに溶けていきそうである。


「あ、あの」アリアが、アスバークとクロヴィスを交互に見やると、

「よかろう」とアスバーク。くるくるっと指を動かし、「記憶よ、弾けろ」と唱えた。


「アリア嬢、先ほど何か見たかな?」


 アスバークがくちびるの端を引き上げて笑う。

 その合図に、アリアは反応して、


「な、なんのことかしら? あっ、あちらにいらっしゃるのは、アリアが大好きで大好きでたまらない、愛しのクロヴィスおにいさまではございませんこと」


 きゃああ、と歓声をあげながら、ベンチに駆けよった。


 背で「白々しいな」とアスバークがつぶやいたが、アリアは「おにいさまぁっ」とベンチにうずまる彼の隣に、ちょこんと腰かける。


「うわあ、きれいな湖だね。王城にはこんな場所もあったのかあ。アリア感激、涙が出そうよ」


「アリア」


 ちら、とクロヴィスが視線を上げる。アリアは「おにいさま」とグーの手をくちびるに当て、小首をかしげた。


「アリア、王都でお買い物したい。まだ時間あるでしょう?」


 うるんうるんっの、おねだりビームをしてみせたが、クロヴィスにはまだ疑惑の表情が残っていた。アスバークを見やり、彼がうなずくのを見て安心したらしい。


「ああ。何を買うんだ?」


 やっと少しだけ表情を明るくした。まだ本調子ではなく目がうつろではあるけど。


(はじめてクロヴィスに同情したわ)


 アリアはクロヴィスに記憶があることを悟られまいとしながら、磨き上げた、アリアちゃん特製スペシャル・キューティー・スマイルを炸裂させた。バックにバラ柄を背負っている気分で甘える。


「あのねー、もっと歩きやすい靴とねー、ウルウルと遊べるおもちゃを買うの。それから、ケーキ食べたーい」


 くねくねすると、クロヴィスは「そうか」と力なくも笑顔になり、アリアの頭に軽く手をやった。


 そうして視線をあげたが、向けた先にいると思ったアスバークの姿はなく、いつのまにか魔術師は消えていた。


 魔術は不気味だが、今回は助かったと胸をなでおろすクロヴィス。


 その様子に、アリアは今日残り一日、最近手抜き気味だったクロヴィスのご機嫌とりを精一杯勤めようと思った。


 まさかあのジュリアスが、あそこまでヤバい人物とは予想してなかった。


 第二王子は国王に似て女好きとの噂はアリアも知っていたが、クロヴィスまで餌食になっていたとは。刺激的すぎてどうしたらいいのやら、困ってしまう。


(うーん、しばらくはクロヴィスの顔を見るたびに、あの涙目姿が浮かぶかも)


 ここは弱みを握ったと笑うべきなのだろうけど、さすがにそこまで非情でないアリアは、この秘密は墓場まで持って行こうと決める。


 しかし、あのジュリアス王子の近衛騎士に、クロヴィスはなるらしい。つまり……? 


(クロヴィスはジュリアスについて戦地に行くのかな)


 戦火がちかづいてきている。開戦まで、あと四年弱。

 ジュリアス・ジャルディネイラ第二王子は……、


(戦死、するのよね)

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