第21話 ゆがんだ愛情
その夜、離宮はにわかに活気づき、人々の出入りも激しく、夜通し明かりが灯っていた。
やがて東の空が白む頃、元気な赤子の泣き声が響く。
離宮から王宮へ、吉報を知らせる早馬が慌ただしく出立した。
「見て、エレオニー。健康な男の赤ちゃんよ。安産でよかったわ! 初産だったから、母さん、心配だったけど……」
明け方になってようやく生まれた赤子を、大事そうに抱いてエレオニーに見せたのは、中年の気弱で大人しそうな女だ。
一晩中、産みの苦しみに耐えたエレオニーは、疲れた様子でぐったりと四柱ベッドに横たわっている。
エレオニーは、先ほどまで部屋に居た侍医や召使いの女たちが、今は部屋の外に出ているのを視線で確認し、口を開いた。
「気安くわたくしの名前を、呼ばないでちょうだい。
公爵夫人とお呼び。
お前のような見すぼらしい女が、わたくしの母親だなどと他人に知られたら……」
「ああ、そうだった……ごめんなさい、悪かったわ」
「――ソレを、見せなさい」
娘のきつい言葉にうろたえて、おろおろとした母親だったが、気を取り直して赤子をエレオニーに近づけて見せる。
「わたくしのお父さまには、全然似てないわね。
お父さまに似ていたら、愛せたものを。
――でも王子が生まれたのは良かった。
お父さまもきっと誉めて下さるでしょう」
「ええ、ペドリーニ商会にもすぐに知らせを出したわ。
あちらでは皆、良い知らせを今かと待っているのですもの」
「商会なんか、どうでもいい!
わたくしが言っているのは、本当のお父さまのことよ。
主神フレイアの代理人にして、中原すべての教会の統率者、フレイア神聖王国を統治する教皇、この世で最も高貴な、美しいわたくしのお父さま――」
エレオニーが教皇を父と呼ぶと、母親は怯えた顔で娘を見る。
教皇に愛人と庶子が居たことは、絶対に漏らしてはならない秘密だ。
(この何の取り柄もないような女が、わたくしの生母だなんて。美しいわけでもなく、教養もない。卑しい身分の、ただ善良なだけ――)
娘から蔑まれているこの母親は、ペドリーニ商会で働いていた使用人だった。
当時、まだ助祭の身分だった若き日の教皇の手がつき、エレオニーを身籠る。
ペドリーニ商会会長は、弟が聖職者で妻帯が許されていないことから、エレオニーを自分の娘として育てることにした。
裕福な商家の娘として育ったエレオニーは、父親譲りの美貌を持っていた。
やがて平民でありながら、外交官の子爵に見初められて結婚した。
エレオニーは、外交官の夫と共に中原の国々へ行き、見聞を広げていく。
それは、年の離れた温厚で野心のない夫に、物足りなさや不満が増していく原因にもなった。
子爵夫人になったエレオニーは、宮廷の催し物の末席に座る機会を得る。
遠くにいる壇上のプロヴァリー新国王は、冴えない夫に比べ、若く美しく活気に満ちあふれているように見えた。
彼女から見たジェレミーの魅力は、何といってもこの国の最高権力者であることだ。
(この国の国王と並び立つ王妃となったら、お父さまはどんなにわたくしを誇りに思うでしょう)
けれど宮廷の催し物に招待されても、下位貴族の身では国王に近づき声を掛けられる機会はない。遠くから、ただじっと見つめるだけ。
(側に行って親しく話せば、王の心を射止めることもできるのに)
ある日エレオニーは、子爵が馬に乗って出かける際に、商会から取り寄せた睡眠薬を飲ませた。夫は落馬し、帰らぬ人となる。
未亡人になると、人々からの同情を利用して、王太后に取り入ることに成功する。
王太后にお膳立てしてもらったサロンで、ジェレミーと運命的な出会いを演出して見せた。
そしてエレオニーは国王の寵愛を得て公妾となり、ついにこの国の次期王位継承者の生母にまで登りつめた。
(わたくしは、決してこの愚かな母のようにはならない。
日陰の女になんか、なるものですか!
王妃の味方ばかりする邪魔な上王も始末したし、王太后もすでに居ない。
私と国王の間を阻むのは――残るは、聖女リリアーヌのみ)
「……後でお父さまに、手紙を書かなくっちゃ。
王太子の幼児洗礼式は、もちろん教皇であるお父さまにして頂かなくては」
赤子が泣き始めると、エレオニーは顔をしかめ「早く連れてお行き」と母親に命じた。
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