第7話 堕ちた果実
ジェレミーはリリアーヌと言い争った後、王太后の住む宮殿の一画へと足を向けた。
無性にエレオニーに会いたくなったのだ。
屈託のないエレオニーとの交流は、王の責務という重圧が掛るジェレミーにとって大切な息抜きになっていた。
リリアーヌに対してやましい気持ちも心のどこかにあったが、考えないようにしている。
妻からエレオニーとのことが不適切であるように指摘されたせいで、余計に腹立たしく、楽しみを奪われたくないという気持ちが募る。まるで小さな子供が、お気に入りのおもちゃを取られまいとするかのように。
(だいたい、エレオニーとはゲームをしたり、リュートの名手だという彼女の演奏を聴いたり、サロンで歓談を楽しんだだけだ。あとは指先にキスをしたくらいで、リリアーヌに咎められるようなことは何一つしていないのに。あんな風に責められるくらいなら、いっそのこと――)
エレオニーは、王太后から部屋を貸し与えられている。
外交官の未亡人の彼女には国から年金が支給されているが、子爵との間に子がなかったため、親戚筋の男が爵位と財産を継いだ。
その男の家族がエレオニーの住んでいた屋敷に引っ越して来たため、身の置き所のない彼女を気の毒に思った王太后が手を差し伸べたのだ。
(こんな時間では、もう休んでいるだろう。よし、運命の女神と賭けをしよう。もしもエレオニーが起きていたら、その時はこれまでの関係から一線を越えるのだ)
美しい月夜の晩だった。
中庭から目当ての部屋の前に近づくと、開け放たれた窓から、リュートの物悲しい音色が聞こえて来る。
ジェレミーは護衛の者を少し離れた場所に留めると、エレオニーの部屋の下に立って窓を見上げた。
するとふいに、ぷつりとリュートの音が止む。
「……誰かいらっしゃるの?」
寝着に着替えたエレオニーが、二階のバルコニーから姿を現した。
「まあ、アラン。あなただったのね」
蒼白い月の光に照らされたエレオニーが、中庭に立つジェレミーに向かって身を乗り出した。
結わずに下ろしていた白銀の髪が滝のように流れ落ち、袖なしの白い薄手(モスリン)の寝着からは豊かな胸と細い腰のラインがあらわになっている。
それはまるで、絵画に描かれる月の女神さながらに美しく見えた。
「エレオニー、そこに行ってもいいか? 少し……話したい」
「いいえ、もう遅いからお帰りになって。また明日お話しましょう」
優しく断るエレオニーの言葉に構わず、ジェレミーは庭木を伝ってバルコニーへ降り立った。
「今日は来ないと伺っていたのに」
少し拗ねた様子のエレオニーを、ジェレミーは唐突に抱きしめる。
エレオニーは驚いて一瞬息を止めたが、そのままたおやかな身体を男の腕に預けた。
「アラン、何かあったの? 大丈夫?」
「君に、言わなければならない事がある。エレオニーとの友情を失いたくなくて、黙っていたけれど」
ジェレミーはエレオニーを横抱きにすると、そのまま部屋の中に入り、寝台にそっと横たえた。
「君が再婚して、他の男のものになるなど、考えたくもない。どうか――」
自分の上にのしかかる男の背中に、エレオニーもゆっくりと手を回した。
「わたくしも、いけないと分かっても、この気持ちを止められない。きっとアランは、後から後悔するのでしょうね。その時、あなたが罪深い私を憎まないでくれたらいいのだけれど……」
菫色の瞳から涙がつぅと流れる。ジェレミーは、エレオニーの形の良い唇に自分の唇を重ねた。
「君は少しも悪くない。僕がエレオニーを憎むなんてありえない。ああ、僕の月の女神……君のすべてが欲しい」
二人は情熱的な一夜を過ごすと、いっそう互いに離れ難く思った。
白々と夜が明け始めた頃、ジェレミーはついに自分がプロヴァリー国王であることを明かした。
「……何てこと。アランが国王陛下だったなんて。お世話になった王太后さまに、合わせる顔がないわ。もうこの宮殿にも居られない」
はらはらと涙を流し、頼りなげに嘆くエレオニーは、男の庇護欲をかきたてるものがあった。
「こんなにも君を愛しているのに、別れるというの? エレオニーだけなんだ、王の身分を知らずありのままの僕を愛してくれたのは」
「――わたくしも、心からお慕いしてます。愛しています、陛下。でも……だからこそ、陛下のために身を引かなければ」
ジェレミーは言葉を尽くして説得し、エレオニーに宮殿に留まるよう懇願した。
「神に誓って、絶対に君を日陰の、惨めな立場になど置いたりはしない。どうか信じて欲しい」
エレオニーはジェレミーに気づかれぬよう、密やかな笑みを浮かべた。
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