第4話 喪服の麗人

 

 

 プロヴァリー国王は、国が栄え平和になるのを見届けると息子のジェレミーに譲位し、后と共に北の離宮へ移り住みたいと考えた。


 年を重ねた国王は、これまでの国を統治する責任と重圧、政務に忙殺された日々から解き放たれ、余生を離宮でゆったりと過ごしたいという気持ちが次第に強くなっていたから。


 そこで後を任せるジェレミーの補佐に、王家に長く忠義を尽くした信頼できる臣下の中から老獪な宰相を選ぶ。

 さらに優秀な若手貴族も、側近につけた。



 ジェレミーは王に即位し、リリアーヌは王妃になる。

 若き王の誕生と世代交代を国民は歓迎し、王国は益々活気にあふれ盤石に見えた。

 あとはジェレミーの世継ぎさえ、生まれれば……完璧だと。






 先王と違い、にぎやかなパーティが好きな王太后は離宮にはあまり行かず、王宮に留まっていた。


「ジェレミー。そろそろ私に、孫の顔を見せて欲しいのよ」

「それでしたら、姉上たちをお呼びになればいいでしょう。姉上たちのところには、男も女も大きい子も小さい子も沢山いますから」


 ジェレミーは、白磁器のカップに注がれた香り高いお茶を一口飲むとソーサーに置いた。

 近頃、王太后のご機嫌伺いに行くと、この手の話題がよく持ち出されるようになっている。

 正直、またかとうんざりしていた。


「まあ、ジェレミーったら! 外孫のことじゃないの。嫁いだ娘たちの子どもはもちろん可愛いわ。でもね、私は王の後継ぎ、王子が必要だと言っているんです」

「母上……そうは言っても、こればかりは授かりものですからね」

「あなたがリリアーヌと結婚してから三年も経つのに、未だに兆しがないなんて。皆がなんて言っているか知ってる? 王妃は聖女だから石女じゃないだろう、あなたに問題があるんじゃないかって――」

「……誰が、そんなことを言ったのです?」


 怒気を帯びたジェレミーの声に、王太后はさすがにまずかったかと思い、話題を変えた。


「あっ、そうそう! 今度、私のサロンにいらして。有望な若い人たちも多く集まっているのよ」


 先王が譲位してから、王太后はサロンを頻繁に開くようになっていた。

 詩の朗読や音楽の演奏、演劇の上映などを楽しむなどして、若い貴族たちから人気の集いになっている。

 芸術家たちのパトロンになったり、貴婦人方の相談相手もしているらしい。


「ね、一度くらい顔を出してくれてもいいでしょう? この母のために」


 王太后に懇願されて、ジェレミーは仕方なく頷いた。



 そしてそのサロンでジェレミーは、のちに王国を揺るがす原因となる子爵夫人と出会うことになる。






 王太后のサロンは、母の言う通り若者が多く集まっていた。

 普段、上位貴族としか会わないジェレミーは、知らない顔も多い。


 サロンでは、高名な詩人や新鋭楽師の演奏、学者たちの活発な議論が飛び交っている。

 本来なら王に目通りもかなわない下位貴族たちは、ジェレミーの姿に過度に緊張していた。


 ジェレミーは熱気に当てられ、少し風に当たろうとテラスから庭に出た。


 外に出ると、王太后の自慢の薔薇園から馥郁とした芳香が漂ってくる。

 薔薇園の一画にある四阿あずまやまで行くと、黒の喪服ドレスを着た貴婦人が長椅子に腰掛けていた。


 まだうら若いその貴婦人は、物憂げに景色を眺めている。

 銀色の髪を一つに纏めて結い、頭につけた縁なし帽から薄い黒のベールが顎までかかっている。ベールは彼女の美しさを隠すことは出来ず、返って透明感のあるなめらかな白い肌や、顎から首に掛けての優美なラインを際立たせていた。


「……どなた?」

「邪魔をしてしまいましたか、レディ」


 四阿の入り口に立つジェレミーを、貴婦人が見上げる。

 ベール越しに見える長い銀色の睫毛に縁どられた菫色の瞳に、ハッとする。

 ジェレミーはうるんだ瞳に、吸い込まれるかと思った。


「いいえ。少し外の風に当たろうと思って――あなたも?」

「ええ、同じです」


 その時、ジェレミーは心の底から湧きあがるような喜びを感じた。

 喪服の貴婦人が、ジェレミーをサロンに来た貴族の一人のように受け答えをしてくれたから。


(では、彼女は本当に、目の前にいる私が王だと知らないのだ)


 王ではなく、ただの貴族青年として屈託なく貴婦人と会話を楽しみたくて、思わず偽名を名乗る。


 貴婦人は疑うことなく偽名を信じた。彼女は外交官の夫を亡くした子爵未亡人で、喪が明けたので友人がこのサロンに誘ったのだという。


(喪が明けたのに喪服を着ているのは、まだ夫を愛しているのか)


 ジェレミーの心にちくりと嫉妬の棘が刺さる。

 四阿のテーブルの上には、卓上ボードゲームやワインやチーズ、菓子類が置かれている。


 子爵未亡人をボードゲームに誘うと、笑って承諾してくれた。

 彼女はなかなか手強く、ゲームの終盤では相手の陣地で激しい攻防戦を繰り広げた。


 ゲームが終わる頃には二人ともすっかり打ち解けて、互いのファーストネームを呼び合うまでになっていた。もっとも、ジェレミーが教えたのは彼のセカンドネームだったのだけれど。


「僕の勝ちだ、エレオニー」

「アラン、次は負けないわよ?」

「ぜひとも」 


 ジェレミーはエレオニーの手を取り、白い指先にキスした。


「勝者には褒美を与えなければ。ぜひまた会ってください」


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