第八章 臥花の野に赤光は満ちる 4
清らかな霊気をまとった鳥居を見据えて、柚良は一旦足を止めた。ゆるりと鳥居のなから風が吹き、髪を揺らす。よほどの緊急時出ないと使わない道だと前置きをしてから、柚良はこの道を進むよう一同に告げた。
「ここは水城神社の数ある鳥居のひとつに通じておる。ここをくぐれば、戦場はすぐそこじゃ。葛良の手下に紛れてあの男の腹心が神木村に入り込んでいないとも限らぬ。心して通り抜けよ」
促されて、まずは紫金が鳥居をくぐる。異変のないことを確認してから大、葛良と融、佐井が通っていく。だが最後に残された市伊が鳥居をくぐろうとしたとき、服の裾をつかんで柚良に呼び止められた。
「これからもっと辛い戦いになる。お主は村を守る方へ回ってもよいのじゃぞ」
「俺は……ただの人間は、足手まといですか」
「何を言う、そんなことはない! 市伊のことをそんな風に思ったことは一度たりとてありはせぬ。ただ……いまは妹御の方が気になるのではと、そう思ったまでじゃ」
きゅっと唇を引き結び、虚勢をはる柚良に市伊はそっと手を伸ばす。本当はそばにいてほしい――そういいたくても言えないでいる少女がいとけなく、愛らしかった。
「妹と同じくらい、あなたも大切ですよ。柚良さまが手を回してくださったお陰で、いま妹は安全な場所にいる。だから、今はあなたのお傍に居させてください」
心許なさそうに立ち尽くす女神の手を引き、抱き寄せる。許されるべき行為ではないと知っていた。けれどどうしても、今すぐに彼女を抱き締めて安心させてやりたかった。市伊は柚良の傍にいて、決して離れはしないのだと示したかった。その気持ちは彼女にも伝わったらしく、柚良は市伊の腕の中でそっと幸せそうに息を吐いた。
「市伊。そなたに頼みたいことがある」
「俺にできることなら、何なりと」
「そなたにしか頼めないことじゃ。もし――」
真剣な瞳が市伊を射抜く。柚良の紡ぐ言葉をただじっと聞いていた市伊は、全てを聞き終えても首をたてには降らなかった。
「俺に……貴女を見捨てろと言うのですか」
「無情な願いだとはわかっておる。じゃが、神獣たちはわらわを最優先に考えて動く。最悪の展開になった場合、あの男と刺し違えられるのは市伊だけなのじゃ」
真っ直ぐに市伊を見つめ、懇願する柚良に反論することなどできはしなかった。もし、柚良が日下隼人に負けたら。そんな想像はしたくもなかったが、全ての可能性を考えねばならぬのだと諭されて、しぶしぶ頷く。その返答に安心したように柚良は微笑み、市伊の手をぎゅっと握りしめたのだった。
先に進んでいた者たちを追いかけて鳥居をくぐり、山道をしばらく下りてゆくと、道は普段から誰も近寄らないようにと言い含められている本殿裏の鳥居へと繋がっていた。渡がだれ一人この鳥居へ近寄らせなかったのはそういう訳があったのかと市伊は納得する。まさか水城神社内に神域へ繋がる道があったとは思いもしなかった。
「――お待ちしておりました。柚良さま」
先に進んでいた葛良たちと共に出口の鳥居の傍に控えていた人影が深々と一礼する。聞き馴染んだ声に、市伊はぱっと顔を明るくさせた。傍らの柚良もその人に気づいたらしく、険しい表情を少しだけ緩めて微笑んだ。
「渡よ、久しいの。此度の戦、戦局はいかほどじゃ」
「大城山の妖たちを総動員して、軍勢を迎え撃っております。総指揮は大天狗殿がとっておられるゆえ劣勢にはなっておりませぬが、長引けばそれも時間の問題かと」
「まったく……懲りぬ男じゃ。我らに弓引けばどうなるのか、とくと思い知らせてやろうぞ」
不敵な笑いを浮かべる柚良に、渡は少し困ったように笑った。あまり前線に立たれませんように、と少し釘を刺すように言い添えた神主の言葉に首を振って、女神は大天狗の居る場所を問う。少しばかり迷った後、渡は村から出て程遠くない平野の入口の場所を口にした。
「礼を言うぞ、渡。そなたはこの村の結界の維持に尽力するとよい。わらわは今からあの男に会いに行く」
「危険すぎます。何をされるか分かったものではない」
「心配せずとも、ひと一人に後れはとらぬ。娘を犠牲にして成し遂げようとしたことがいかに無謀で非道なことであるか、あやつに教えてやらねばの」
ひたと平野のあるほうを見据えて、大地色の瞳は静かに濃さを増す。風もないのにしゃらしゃらと揺れる簪の飾りが、柚良の怒りの大きさを表していた。それを見て、渡も止めるのは無駄だと悟ったのだろう。御武運を、と礼をして一歩下がる。柚良に村を護るよう命じられ、一行の輪から外れた大鼬の佐井へ深々と頭を下げたあと、彼は瑞希の無事を市伊へそっと耳打ちしてくれた。
「瑞希は村の女たちと共に神社内の結界地へ避難しておる。攻め込まれても簡単には手の届かぬ場所だ」
「じじ……恩に着る。もう若くないんだからあんまり頑張りすぎないでくれよ。佐井も居るんだし」
「わしの底力をなめるでないぞ。それよりもお前さんは柚良さまをしっかりお守りするようにな」
「わかった。二人分頑張るから、じじは安心して村の守護に専念してくれ」
しっかりと頷いて見せると、渡は安心したように表情を緩めた。こういうことは自分の孫に言ったほうが良いのでは、と呆れながらそっと融のほうを伺ったが、彼は葛良にかかりきりで渡と市伊のやり取りに気づいていなかったらしい。聞こえていなくて助かったと息を吐いた市伊は渡に別れを告げて、柚良を平野まで先導するべく列の先頭へと立ったのだった。
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