第七話 妊娠
結婚して、愛は俺の願望で専業主婦になった。
愛の仕事ぶりを評価している彼女の会社の上司と彼女に思いを寄せている同僚たちは必死に止めたけど、彼女は俺との時間を選んでくれた。
愛は久しぶりに「魔王」ぶりを発揮したらしい。
後に知ったのだが、退職日の愛は彼女の会社の伝説の1つになった。
何人かは愛にきつく振られて1週間出勤不能になったとか。
酷い場合は当日退職届を出す人もいるらしい。
「起きて?」
「……土曜日だからもうちょっと寝かせて」
寝返りを打って、俺は再び夢の中に入ろうとした。
「あなた、もうすぐパパになるんだから、ちゃんとしなさい!」
「むにゃっ」
「また吐き気が……」
あれ? 気のせいかな。
今愛の口からパパって。それに吐き気がなんとか。
「きゃっ!」
意識が急に覚醒して、俺は勢いよく起き上がった。
あまりにも急だったから、愛はびっくりして悲鳴に似たような声を上げた。
「愛! 今なんて?」
「うん? しっかりしなさいって言ったわよ?」
「違う! その前」
「ったく、甘えん坊なんだから~ あ、な、た」
これ、絶対わざとだよね。
俺の聞きたいこと、愛はちゃんと分かっているんだよね。
「答えないなら、二度寝する」
そう、俺はもう昔みたいに愛に振り回されているだけの俺じゃない。
そっちが意地悪するなら、こっちだって意地悪してやる。
「分かった、分かったから、二度寝しないで?」
よし、勝った。
夫のプライドが満たされたような気分だ。
って違う!
もっと大事なことがあるだろう。
「じゃ、教えて?」
「……あなたが、パパになるわよ」
愛は顔を紅潮させて小さな声で話した。
「それって、つまり……」
「え、あなたの子種が私の大事なところを侵食することに成功したわよー」
「言い方!?」
愛の言葉に動揺したら、彼女はにまにまと笑った。
やはり愛の方が一枚上手のようだ……意地悪してやろうと思ったら結局返り討ちに遭ってしまった。
「だって事実だもん? 結婚してからあなたあれを付けなくなったし」
「ちょっとそれ以上言わないで!? 俺家出しちゃうから!」
相変わらず、愛はそういうことを堂々と言ってくるから、恥ずかしさでしばらく家出しそうだ。
「えへへ、私の勝ちかな?」
やはり、俺だけじゃなくて、愛も意地悪に関する勝負を意識してたみたい。
「そんなことより、いつからなの?」
「えっと、今週から吐き気が酷くて、昨日産婦人科に行ったら……」
「行ったら?」
「おめでとう!秋月さんはママになるよ!って言われた!」
胸の奥から体験したことのない熱い感情が込み上げてくる。
体が意思に反して、勝手に震え出す。
いつかこんな日もやって来るだろうと思っていたが、いざほんとにこういう状況になったら、色んな感情が織り交ぜになって波のように押し寄せてくる。
愛する人との子供。
ただそれだけなのに、それだけのはずなのに、意思と身体が感激のあまりに本来の機能をしなくなった。
「パパちゃんでちゅよ」
「えっ!?」
気づいたら、俺は愛のお腹をさすって、産まれてくる俺と愛の子供に話しかけていた。
さすがの愛も俺の言動に対して引いたみたいで、正座のまま後ずさった。
「俺の子供を連れていかないでー」
懇願にも悲鳴にも似たような声が俺の口から発せられた。
愛との距離が遠くなったということは、お腹の俺の子供との距離も遠くなったってことだから。
「あなたはもうだめみたいだわ……」
そんな俺を見て、愛は諦めたように呟いた。
「安心してください。順調に育っていますよ、お腹の子供」
有休を取って、愛の5ヶ月目の定期検査に付き合っていた。
「「やったー!!」」
「あはは、仲良い夫婦ですね」
愛と同時に嬉しくなり声を発したら、産婦人科の先生に笑われた。
「それでですが、もう性別が分かる時期なのですが、いかがなさいますか?」
「「知りたいです!!」」
「あはは、分かりました」
またしても、先生はやれやれと笑った。
男の子だろうが、女の子だろうがどうだっていい。
ただ、その子が産まれたときに備えて、ちゃんと前もってその子のために色んな物を買い揃えたい。
それは俺と愛、親として子供にあげられる最初のプレゼントなんだから。
最近のベビーグッズはほんとに選り取りみどりで、お腹が大きくなった愛を一緒にショッピングモールに行ったら、2人とも驚かされた。
だから、子供の性別を知って、その子にとって最高のものをあげたい。
ものに込められた親の愛情というものを。
超音波検査が終わり、俺と愛は待合室で検査結果を待っていた。
「動いた!」
「ほんとだ!」
愛のお腹に手を当てたら、俺たちの子供の胎動を感じた。
隣の若い妊婦さんはそんな俺たちを見て微笑んでいたり
そして、おびただしい足音と共に、看護師さんがこちらに向けて走ってきた。
「おめでとうございます! 女の子です!」
愛は何も言わなかった。
そっと愛の方を見ると、彼女は泣いていて、止みそうにない。
俺も自分の顔を触ってみたら、涙でずぶ濡れになっていた。
嬉しすぎて、俺と愛は泣いてしまっている。
もはや、口を開くことは今の俺と愛にはできそうにない。
ありがとう、神様。
母ちゃん、あなたには孫娘ができたよ。
何年かぶりに心の中で母ちゃんのことを呼んだ。
愛は右手で口を塞いで泣きじゃくっていた。
そんな愛の肩を、俺は静かに抱き寄せた。
これからは愛のことを「ママ」と呼ばなくちゃ……
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