第六十話 初めての夜

「ただいま……」


 俺は玄関のドアを開けると小声でつぶやいた。正直愛と一緒に帰ってくるところを母ちゃんとかに見られたら恥ずかしい。


「お邪魔します~」


 なのに、愛はすごい大きな声であいさつした。


 母ちゃんはリビングから出てくると、一瞬にして歓喜の顔になった。


「愛ちゃん!」


「お母様、ご無沙汰しております」


「寂しかったよ、愛ちゃんが最近来てなくて~」


 母ちゃんはまるで恋人に久しぶりに会った乙女のようだった。見ていてこっちが恥ずかしい。俺の知らないところでも、母ちゃんと愛はこんな感じなのかな。


「いつきくん、姫宮さん、お帰り」


 結月は二階から降りて、俺らを迎えに来た。そのあとからもう一人の人影がちらりと見えた。


「待っていたよ! 二人とも」


 芽依だった。こうなることはある程度予想できていたし、家が隣同士だから、芽依の両親も簡単にうちに泊まることを許してくれたのだろう。


「有栖さん、結月さん、待たせて申し訳ないわ~ 何ぶん恋人の帰り道は遅いから~」


 実際、愛の歩幅に合わせて、お互いの温もりを感じながら帰宅するのは一人で帰るより時間がかかる。たまに幸せすぎて蕩けそうになって、慌てて歩みを止めるときもあった。


「結月さん?」


 結月が少し戸惑いを見せると、愛は言葉を続けた。


「この家に秋月さんが4人もいるから、この方が呼びやすいでしょう?」


「姫宮さん……」


 結月は若干泣きそうになったが、その顔には嬉しそうな表情があった。


「あらま、愛ちゃんって可愛いね~」


 母ちゃんは恋人という言葉に反応して、嬉々としていた。


 俺が母ちゃんに耳打ちすると、母ちゃんは「あとで多めに渡すから、明日返してきなさい! あとのは愛ちゃんとのデートに使ってね~」と返してくれた。


 母ちゃん、ありがとうね。絶対いい会社に就職して、家にいっぱい仕送りするから……


「お母様、今日はいつきくんの部屋に泊まろうと思っていますが……」


 母ちゃんが返事する前に、芽依が騒ぎ出した。


「抜け駆けはひどいよ!」


「抜け駆けもなにも、私はいつきくんの彼女なんだわ~」


「有栖さんと姫宮さんには私の部屋を譲るので、じっくり話し合ってみてはどうかな? 私は我慢してお兄さんと一緒に寝るから」


 なぜか、結月もちゃっかり便乗してる。


「いつきモテモテだね~ 母ちゃんは誇らしいよ~」


「そんな、他人事みたいに……」


「やはり愛ちゃんを娘にしたいよね……でも……」


 そういって母ちゃんは玄関で突っ立って考え込んだ。結月はもう母ちゃんの娘だし、あとは愛と芽依どっちを義理の娘にするか悩んでいるのだろう。


 にしても、結月はマウント取りたいときだけ俺のことをお兄さんと呼ぶみたい。でも、なんだろう。結月を許した今、それがかわいく思える。女の子って少し打算的のほうが可愛いって思うのは俺だけなのかな。


 気づいてら、俺の頬は緩んで、多分微笑んでいるのだろう。


「やだ~! いっきえっちなこと考えて、にやけてるし!」


 それはさすがに心外だ。君たちを見て微笑ましくなっただけなのに、なぜ変態だと思われたのだろう。


「いつきくんが、そんなに変態なら、やはり今夜の話はなしかなー」


「じゃ、私の部屋を有栖さんと一緒に使っていいよ」


 そこは便乗しないでもらって……


「そんな、愛は俺の部屋で寝るんだよ」


 言ったとたん、それがとんでもない爆弾発言だと気づいて、慌てて取り消そうとしたが、時すでに遅し……


「母ちゃん、コンビニに行ってくる! 薬局がまだ空いていたらそっちのほうがいいのかな……」


 突っ立って考え込んでいた母ちゃんがなにかを思い出したように、なにか呟きながら家を飛び出した。いやな予感しかしない。


「さすがにドン引きだよ!」


「ええ、同感ね」


 君ら二人にだけは言われたくない。一人は言葉で変態なこと散々言ってくるし、もう一人はつい昨日で変態な行動を取ったし……女はそういう言動をすると色っぽいと言われるけど、男がするとそれがセクハラになる。世の中は不公平だな。


「それは置いといて、晩御飯にしよう! 今日はお母さんと夢咲さんと3人で作ったんだ!」


 芽依がそう囃し立てると、俺と愛を押して、ダイニングの椅子に座らせた。


「これでお母さんの好感度は上がったのかな」


 天然な芽依にしては、随分と打算的だなとは思ったけど、キッチンから運び込まれた料理を見ると、それがどうでもよくなるくらいよだれが垂れそうになる。


「えへへ、まずはいっきの胃袋をつかむんだから!」


 そういって芽依は二ヒヒと笑った。


 野菜に彩られた肉団子に、自家製タルタルソースを添えた唐揚げ、そして、俺の大好きな豆腐とわかめの入った味噌汁に、きんぴらごぼうの胡麻和え。とても一人では作れそうにない品揃えだ。母ちゃんと結月もいるけど、芽依が手伝ったのも大きい。


 母ちゃんがコンビニか薬局から帰ってきて、玄関のドアを開けた音を合図に、俺ら四人は「いただきます」の大合唱をした。


 ごめんね、母ちゃん。母ちゃんが変なことするから、意地悪して先に食べちゃった……


 しばらくして、父ちゃんも帰宅してきた。





「「「ごちそうさまでした!」」」


 母ちゃんと父ちゃんを加えて、みんなで食後の挨拶をした。


 そして、愛、芽依、結月がどうぞ、どうぞお先にという感じで、風呂に入る順番を譲り合った。


 埒が明かないので、俺はもう女子に先に風呂を入らせるべきというこだわりを捨て、風呂場に向かっていった。


 体をシャワーで洗って、お湯につかったら、俺は着替えて、リビングに出てきた。そこにいるのは項垂れる美少女三人の姿だった。


 そんなに先に風呂に入りたいのなら、順番を譲り合わなきゃよかったのに……


 それから、俺はリビングでテレビをつけて、牛乳を飲んでいると、三人は順番なんかどうでもよくなったみたいで、適当な順番で風呂に入った。





「いつきくん、先に、へ、部屋で待ってるね……」


 愛は結月のパジャマを着て、風呂から出てきた。俺に少し恥ずかしげにそういうと、ゆっくりと二階に上がっていった。


 愛の後をすぐ追いかけたらせっかちで余裕がないと思われるかもしれないし、けど、このままずっと待てるものでもないから、しばらくして、俺はで二階の自分の部屋に向かった。


 ちょうど、結月も自分の部屋に入ろうとした時だった。


「結月、おやすみ」


「あの、その、」


 結月がもじもじして何か言いたげな様子だったから、俺から話を振っといた。


「なんかあったの?」


「ち、ちゃんと付けてしてね!」


 結月はそう言い終わるやいなや、自分の部屋に入っていった。俺はというと、結月の口からそんなことが出るとは思ってなくて、口をぽかーんと開いて、自分の部屋の前で立ち往生していた。





 布団を少し上げると、愛は一糸纏わぬ姿だった。


「これじゃ、俺が下着選んだ意味がないじゃん」


「そうね……そういえばそうだね」


 俺らは二人して笑った。少し恥ずかしくて、くすぐったくて、心地よかった。


 この日、俺と愛はお互いが初めてだということを確かめ合った……


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