第五十七話 愛

「愛してる、愛……」


「えっ、あ、あの、その、えっと」


 俺が愛を告げると、姫宮はあわあわと何か呟いた。


 いつもの姫宮からは想像できないような余裕のない感じ。


 実際、俺にも余裕がない。愛してるの一言はこんなにも勇気がいるとは思わなかった。


「もう一回呼んで?」


 しばらくすると、姫宮が口を開いた。


「うん?」


「だから、もっかい名前を呼んで?」


「姫宮」


「違う! いつきくんってわざとでしょう!」


「愛……」


 わざとと言われたら、確かにそうかも。彼女の声、表情、仕草があんまりにも可愛かったから、思わず意地悪したくなっちゃった。


「なに?」


「姫宮が呼んでって言ったから呼んだだけだよ」


「ううっ」


 また意地悪をすると、姫宮は頬をぷぅと膨らませて小さな声で唸った。


「また意地悪をしたら、絶対にいつきくんのこと、もう許さないんだから……」


 今回は俺が狼狽えた。「もう許さない」って言われたら、もはや俺から逆らう意思など根こそぎ刈り取られてしまった。


「これから下の名前で呼んでくれないと、無視するから……」


 さっきまで泣いてたせいか、姫宮は珍しくすねた。それがまた新鮮で可愛かった。


「ごめん、ひ、いや、愛、返事を聞かせてもらえないかな」


「なんの返事かなー」


 姫宮、いや、愛の声のトーンはすごくフラットで、きっと意地悪し返してるのだろう。


「あの、告白の返事……」


「告白されてないかなー」


 意地悪がここまで来ると、もはやいじめと変わらない。愛してるをもう一回言わせるつもりなのだろう。


「言っとくけど、私はまだ怒ってるからー」


 そうやっていうと、愛はまた拳で俺の胸を叩いて見せた。


「どうやったら許してくれる?」


「許されると思っているのかなー」


 なんかずっとフラットな声でそう言われると、無性に泣きたくなった。


「思ってない……」


「じゃ、なんで告白してきたのかなー」


 愛ってば、告白のことちゃんと覚えてるじゃん。確信犯という言葉が今の愛にぴったりだ。


「あ、愛のことが好きだから」


「愛してるって言ってたのに、今はなんだねー」


 女の子って怒らせたらこんなにこじれるものなのかな。いや、きっと愛だけなんだろう。憎たらしいが、愛しい。ほんとに思わずプロポーズしそうになる。まだ早いよね……


「あ、愛してる……」


「誰に言ってるのか分からないなー」


 俺のペースは完全に愛に握られてる。もはやどうにもできない。惚れた者の弱みとでもいうのだろう。俺は愛の手のひらで踊らされているイメージが頭の中に浮かんでくる。


 泣いてても、結局「魔王」は「魔王」だ。そして、俺の愛してる人でもある。


「愛に言ってる……」


「愛に愛してるって言ってるのー?」


 うまい、愛に座布団一枚。って、自分の名前をダジャレみたいに扱っていいものなのかな。


「そうだよ……」


 恥ずかしすぎて、思わず両手で顔を覆ってしまった。


「ねえ、有栖さんと水族館に行って楽しかったの?」


「楽しくないって言ったら嘘になるね」


「浮気……」


「ごめん」


「結月ちゃんとは付き合ってたの?」


「うん……でも、付き合ってから彼女の身に不幸な出来事が起きて、最悪の形で別れた……」


「なにがあったの……」


 正直、結月のことを愛に話していいものかどうか迷った。でも、愛を信じよう。信じると決めたから。愛は結月の不幸を言いふらしたりするような人間じゃないって信じてる。これからも愛を信じ続ける。それこそ俺が結月から学んだことだ。


「結月のお父さんは結月が俺と付き合って間もない時に若い女の子と駆け落ちして、それで、結月は俺のことを信じられなくなった」


「そうなんだ……」


「結月は俺から金をねだってた。俺の愛を試すために」


「だから私に『お前も金目当てか』って言ったの?」


「ごめん……結月のお母さんはそれで少し前に過労死した……」


「あの子苦労したのね」


「結月のこと恨んでる?」


「少しね、でも、秋月さんがいつきくんを手放してくれたおかげで、こうして付き合えてるわけだし……」


「それって俺のことを許したってこと!? 「こうして付き合えてる」ってことは!」


「ゆ、許してないよ、何を言ってるのかなー」


 愛の声がまたフラットなものに戻った。どうやら、簡単に俺を許す気がないらしい。


「最初の告白は嘘だったのね……」


「うん、ごめん」


「今の告白は?」


「心からの告白だよ」


「そう?」


「うん」


「許してほしい?」


「うん、愛とほんとの恋人になりたいんだ」


「私はずっとほんとの恋人でいたつもりだけどね」


「ごめん……」


 今思えば、俺は結月と同じ過ちをしたのだ。愛の気持ちを聞きもせず、話し合いもせず、一方的に愛を雇われてるだけの彼女だと思ってた。


 「私はずっとほんとの恋人でいたつもりだけどね」という言葉が俺の胸に深く突き刺さり、俺は自分の未熟さ、人のことばかり責めていたのに、自分のことを棚に上げていた下劣さを心から恨んだ。


 ほんと、愛はなんで俺のことを好きになったんだろうね。


「結婚してくれたら許してあげるー」


「それって冗談だよね」


「本気よ」


「だって口調が……」


「恥ずかしいから察して?……いつきくんのお嫁さんになりたいのはほんとよ……」


 「魔王」の夢は世界征服ではなく、お嫁さんになることだなんて……ラノベのタイトルにできそうだ。


「お嫁さんになるのはほとんどの女の子の夢だと思うけど?」


 まるで俺の心を見透かしたように、愛は言葉をつづけた。たまに、ほんとに俺の心を読めるんじゃないかと疑ってしまう。


「俺もお嫁さんは愛以外考えられない……もし、二人とも大学卒業したあとでも、愛はまだ俺と結婚したいと思ってくれてるのなら、絶対愛と結婚する」


「いつきくんは? 大学卒業したら心変わりするの?」


「俺は、一生、愛と結婚したいと思ってるから……」


 なぜこんな言葉が俺の口から出たのかは分からない。でも、それは俺の本音だ。たぶん、俺と愛の結婚の約束は現実味を帯びていると思う。


 あと一年したら受験生になるし、もし同じ大学に行けたら、ずっと一緒にいられるし、そのまま卒業すると同時に結婚もできる。


 だから、俺は覚悟を持ってそう話した。それを理解してるのか、愛は俯いて、多分、喜びの涙を流していると思う。


「それって10円玉をしまってるケースなの?」


 俺は愛の隣にあるピンク色の綺麗なケースを指差した。


「きゃっ! 見ないで……」


「ありがとう、大切にしてくれて。嬉しいよ」


「当たり前よ……いつきくんとの思い出なんだから。私の宝物なの……」


「もうほんとの恋人になったから日給はもう払わなくていいんだね」


「だめ……」


 愛をからかうと、愛は唇を尖らせて抗議した。


「分かってるよ。このケースに入りきらないほど、思い出を作ろうね」


「うん、大好きよ……」


 急に、愛は俺を抱きしめて、そのまま二人して愛のベッドの上に倒れこんだ。


「いつきくん……」


「愛、愛してる……」


「私も愛してる……」


 愛の鼻息が俺の顔に当たる。多分逆もそうだろう。二人の呼吸が激しくなって、俺は思わず愛の胸に手を伸ばした。


「付けてない……?」


「家では付けないの……」


 愛の胸の感触はパジャマ越しに手のひらに伝わってくる。そして、俺らは誰からともかく、唇を重ねた……





「ちゃんと避妊してね~」


 声のする方向に目を向けると、愛のお母さんがいたずらっぽく笑いながらドアの隣に立っていた。


 俺はもちろん、愛の顔も紅潮していた……

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