第三十九話 日常

 れんと葵は目の前の光景を理解できず、口をポカーンと開いている。


「ごはん!」


「はい」


「おかず!」


「はい」


「いや、ごはんの後は卵焼きでしょう!」


「すみません」


「お茶!」


「はい」


 芽依の指示通りにはるとはごはんやらおかずやらを芽依の口の中に運んでいく。おまけに、お茶も蓋を開けて、芽依の口に注いでいた。


「もうよい!」


「はい」


 どこの女王様だよ……


 はるともまんざらでもない様子で、にやけながら、芽依に奉仕していた。


 いつもなら、芽依のとなりは葵が座っていたけど、今日ははるとが座っている。





 昼休みが始まって、みんなが俺の席まで移動した。


「マジ大変だったぜ。親には怒られるし、警察には説教されるし……」


 はるとは愚痴りながらやってくると、すでに俺の隣に座った芽依は自分の右の席を指差して、はるとに座るようにジェスチャーした。


 はるとは大喜びして、「芽依、やっと振り向いて……」と口走ったとたん、芽依は蛇のようにはるとをにらみつけて、「あん?」って怒声を発した。


「あれ? 俺なんか芽依を怒らせちゃったのかな?」


「はると!」


「はぁい!」


「今日から一週間、お前は私の下僕だ!」


「下僕?」


「そうだ! 不満はあるのか?」


「彼氏じゃなく……」


「はい?」


「なんでもない」


「はるとのことをみんなにばらまいてもいいんだぞ?」


 はるとが虚言行方不明になったことは俺と芽依しか知らない。ほかの人にはトラブルに巻き込まれてると言い聞かせてある。


 そして、今に至る。





 俺からしたら、これははるとへの罰というより、むしろご褒美でしかない。もし芽依が本気で罰を与えているつもりなら、筋金入りの天然としか言いようがないだろう。


 だって、傍からしたら、彼氏に甘えている彼女にしか見えないんだもん。


「芽依、はるとと付き合ったの?」


「はると、どうやって芽依を落としたんだよ?」


 やはりというべきか、それを見た葵とれんは疑問を口に出した。


「付き合ってないし! はるとがバカだから躾けてるの!」


「「はあ」」


 二人して溜息をついた。多分、俺と同じ感想で、これが躾けと本気で思っているのなら、芽依は天然すぎるよ。


「ごはん!」


「はい」


 はるとはすかさず箸で芽依の弁当からごはんを取って、芽依の口の中に運んだ。


 それを見て姫宮もまた箸で俺に渡した弁当からおかずをとって、俺の口に運ぼうとした。


「みんなに見られて恥ずかしいんじゃなかったの?」


「気が変わったわ~ ここまで見せつけられたら、私もやろうかしら」


「うっ」


 芽依が少し不機嫌に唸ったが、そもそもこれは芽依が発端だからどうしようもない。


 俺は口に運ばれてくるものを噛んでゆっくり味見した。姫宮は芽依が俺に渡してきた弁当のほうに箸をつけないのは気のせいかな。


 俺は、自分で芽依が作ってくれた弁当を食べて、口が空いたら、姫宮が彼女が作った弁当を俺に食べさせてくれる。


 なんか、かなり恥ずかしい。姫宮って楽しんでいるのかな……


「芽依ってさ」


「なに?」


「女子ソフトボール部に入らないの?」


「いやだよ! みんなとの時間が減るじゃん」


「もったいないな」


「なんで?」


 俺は額に貼り付けてる絆創膏を指差したら、芽依はあっ! と納得した。ほかの四人は何の話かさっぱり分からないみたいな感じだった。


「よくこんなに額を正確に狙えたよね」


「もうこれ以上言わないで! 恥ずかしい」


 昨日俺にとんでもないことを言ってたのに、これくらいで恥ずかしがるなんて、芽依の羞恥心の基準がほんとに分からなくなった。


「あの、発言よろしいでしょうか?」


「許可する」


「お茶が芽依様の制服に零れたんですが」


「いや!」


 はるとはいつの間にか執事みたいになって、深刻な事態を冗談っぽく芽依に伝えた。どうやら、人にお茶を飲ませてもらうとこういうことになるらしい。


「よろしかったら、このわたくしめが芽依様の制服を持ち帰って洗濯いたしましょうか」


「やだ! はると絶対変なことするでしょう?」


「そんなことないよ?」


 はるとは目をそらして、いつもの口調に戻った。


「ねえ、いっき、洗濯してくれる?」


「なんで俺が? お母さんに頼めば?」


「昨日、私を濡らしといて?」


「おい、人聞きの悪いな! だろう」


「いつきくん、ちょっと話し合おうかしら。昨日は無理やり有栖さんを押し倒して、泣いてる有栖さんをよそに、自分の欲望をぶつけて有栖さんを濡らしたのね……」


「いつき、芽依になんてことするんだ!」


「いつき、俺でもやっていいこととやっちゃいけないことの分別があるよ?」


「うわー、最低」


 姫宮の誤解に呼応して、はると、れん、葵も責め立ててきた。


「おい、芽依、弁解してくれよ」


「やだもん!」


 てか普通に考えてみてよ。もし昨日俺が芽依にそんなことをしていたら、本人は今日普通の顔して学校に来ると思うか?


「姫宮! 姫宮なら分かってくれるよね!」


「ええ、分かってるわ~ いつきくんは獣みたいに自分の欲を誰これかまわずにぶちまける淫獣だということははっきりと理解したかしら」


「ちが……」


「おまけに彼女がいながら、幼馴染という手の出しやすい相手を選んで、これまで男として溜め込んできたものを有栖さんに受け止めてもらったのでしょう。私、いつきくんの初めてが欲しかったわ……」


「違う! 俺は童貞だ!」


 場は一瞬にして、寒気に包まれた。


「いっき童貞なの? やったー!」


「えっ? 童貞なの? かわいそうに、私が一肌脱いであげようか?」


「「同士よ!」」


「それなら許してあげるわ~」


 日常が戻ってきたけど、芽依と姫宮のせいで、俺のプライドはズタズタになった。

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