第十六話 初めての笑顔

 結月が家に来てから、朝食と夕食はほとんど結月が作っていた。


 もちろん母ちゃんはそんなのいいよって言ったけど、引き取ってもらった恩を返したいと結月は家事全般をするようになった。


 母ちゃんもパートで働いてるし、しかも最近になってアルバイトの大学生が辞めて忙しくなったから、正直結月が家事をやってくれてるのはありがたいと思っているらしい。


 これじゃ、まるでほんとにシンデレラじゃない? 義理のお母さんに虐待されてるみたいだ。


 でも母ちゃんは結月をほんとの娘だと思ってるみたいで、敢えて余計な気を遣わなかった。


 その代わりに、仕事終わりに結月の好きなお菓子とかを買って帰ってきたりする。


 もちろん、俺の分はないのだ。働かざる者食うべからずなのだろう。家事していない俺にくれるお菓子はない。母ちゃん、俺はほんとに母ちゃんの息子なのか……まあ、お菓子くらいで大袈裟なんだけど。





 放課後、結月も俺らと一緒に下校するようになった。姫宮は敵対心を燃やしているみたいで、芽依は苦虫を噛み潰したような顔をしている。


 それに気づいていないのか、敢えて気づいてないふりをしているのか、結月は俺の隣を歩いていた。


「なんでさんも一緒についてきてるのかしら?」


「お兄さんと家が一緒だから」


「家が一緒だからって別に一緒に歩く必要はないじゃない?」


「道がまだ分からないから」


「道なんてスマホで検索したら分かるんじゃないかしら?」


「歩きスマホしたくない」


「そんなの、道が分からない時に止まって調べたらいいわ」


「早く家に帰って家事しないと」


 さすがの魔王もお手上げみたい。嫌味に真面目に返事するとこんなに絶大な効果があるのか……


 結月はまるで防御力に極振りした勇者みたいで、魔王である姫宮にダメージこそ与えられないものの、姫宮からもダメージを受けない。


 でも、姫宮がこんなに結月に敵対心を燃やしてるのだから、なにかしら結月が姫宮にダメージを与えたのかもしれない。


「……」


 姫宮もやっとなにも喋らなくなった。芽依は俺と同じ感じでなるほどって顔をしていた。


 でも芽依のことなんだから、姫宮に嫌味言われたら絶対ムキになって言い返すはず。そしたらまた言い負かされて泣きそうになるに決まってる。


 やはり結月のポーカーフェイスやスルースキルは他の人が簡単に習得できるものじゃないのかもしれないね……





 不意に、昔の結月との電話のことを思い出した。他の男とそんなことしているのに、平気で電話に出て、男が誰って聞いたら、何気なく彼氏と答えた……


 思い出すだけで吐き気がする。昔からそうだった。結月は何に対しても無頓着だった。


 でも、もういいんだ。結月は俺の事忘れたんだから、俺も彼女のことを忘れよう。





 急に腕が掴まれた感覚がした。腕のほうをみると、姫宮が俺の腕に抱きついてる。姫宮の体温が伝わってきて、とても心地よい。姫宮の胸が当たって、少しくすぐったかった。おかげで吐き気が引いた。


 でもいいの? ただの彼氏おもちゃにここまでサービスして……


 それを見て結月のポーカーフェイスが少し緩んだ。なんか悔しそうな感じになっている。


 言葉の攻撃が通じないから、直接行動に移したのか。でも、たかが結月に対抗するために、姫宮、お前の胸の純潔が犠牲になっているよ……


 日給10円も払っているんだから、少しくらい胸の感触を堪能してもいいんだよね。俺は全意識を腕に集中させた。


 胸の感触に気を取られている隙に、反対側の腕も誰かに掴まれた。まさか、結月じゃないんだよね。もしそんなことされたら、俺は嫌悪感を覚えてしまうかもしれない。今更どんな顔して俺にこんなことしてくるんだよ……


 反対側を見てみると、芽依が俺の腕を抱きしめて自分の胸に寄せている。芽依の胸は自己主張でもしてるかのように、俺を腕を包み込んで離さない……芽依、悪いことは言わないから、こういうのは将来の旦那にしなさい。


 結月はいつの間にか俯いて、表情を見せなかった。


「ねえ、今日はいつきくんの家に行ってもいいかしら?」


「なんで?」


「害虫退治? いや、敵情視察のほうが合っているかしら?」


 念の為に聞くが、害虫ってだれ? まさか俺の事じゃないやな? やはり彼女という立場を利用して俺を陥れようとしてるのかな。だったらもう御託はいい。お前の胸の感触は存分に楽しませてもらうよ。やられたらやり返す。


「あっ、なら私も行きたい!」


「結月ちゃん、いい? 一応ご飯作ってるのは結月ちゃんだから」


「大丈夫だよ、お兄さん」


 俺は念の為、結月の意見を伺った。


「じゃ、来ていいよ」


「そうさせてもらうわ」


「やったー」


 なんか波乱万丈になる予感がする。


「でも、ご飯は私が作るわ〜」


 やっぱり! 姫宮がなにもしないとは考えずらい。不味いものを作って、俺に食べさせて、俺の歪んだ顔を見て楽しみたいのかな。


 でも、そうしたいなら、毎日の弁当を不味く作ればいいだけの話。お世辞でもなんでもなく、姫宮の弁当はほんとに美味い。


 いつの間にか、姫宮に弁当食べさせてもらうのが楽しみになっている。少しだが、心が満たされる気がした。


 もしかして俺は少しずつ姫宮に心を開きつつあるのかもしれない……これじゃ、姫宮がいつかタイミングを見計らって俺を振った時はかなり辛いだろうね。


 でも彼女を解雇できない。雇ったなら今更もう遅いわって最初に言われたから。


 もしかしから、これは俺の言い訳かもしれない。姫宮とずっとこのまま一緒にいたいという俺の気持ちを誤魔化すための言い訳……


「じゃ、私も作る!」


「それは楽しみだね。芽依の弁当は美味しいからね」


「私のはどうかしら?」


「う、うん、美味しいよ、すごく」


「それならいいけど」


 気のせいか、今姫宮が照れ笑いしたような気がする。


「それならスーパーに寄らないといけないわ〜」


「スーパーへレッツゴー!」


 芽依、テンション上げすぎだよ。


「結月ちゃんは今日くらい晩ご飯をこの2人に任せたら? いつも晩ご飯作ってくれてありがとうね」


 俺は結月に感謝の気持ちを伝えた。過去はともあれ、ありがとうの気持ちも素直に言えなくなったら、それこそ人間として終わってしまう。


「お兄さんがそういうなら……」





 スーパーに着いて、姫宮と芽依は凄まじいスピードで沢山の食材とお菓子をカートにいれていく。


「ちょっと待って! 俺そんなに金持ってないよ!」


「何を言ってるのかしら? 金は私が出すに決まってるわ〜」


「私も出すよ〜」


 姫宮と芽依の言葉を聞いて、なぜか結月は苦痛に塗れた顔になった。


 そうか、俺が金を払わなくてもいいのか……





 買い物を済まして、やっと家に着いた。姫宮と芽依はキッチンにこもり始めた。俺と結月はソファーに座り、テレビを眺めていた。


「結月ちゃん、お菓子食べないの?」


「私が食べていいの?」


「いいもなにも、普通に食べていいと思うよ」


 結月はなにか考え込んで、そしてゆっくりとお菓子に手を伸ばした。


「美味しい……」


「そう? やはりお菓子はチョコ類に限るね」


 俺もチョコの入ったクッキーを取って、口に入れた。甘い感覚が口いっぱいに広がり、幸福感をもたらしてくれた。


「できたわよ」


「できたよ!」


 しばらくすると、カレーの芳しい匂いがリビングに充満していく。


 俺と結月はダイニングに移動して、姫宮と芽依はカレーを載せた皿を持ってきた。おまけにサラダも作ってある。


 結月の料理も美味しいが、この2人も毎日俺に弁当を作ってたから、料理の腕はなかなかのもの。


「「「頂きます」」」


 俺ら4人はそういって、カレーを食べ始めた。にしても、3人の美少女に囲まれてカレーを食べてるなんてシュールな光景だな。


 結月は一心不乱にカレーを食べていた。そんなにお腹空いてるのかな。


「今日は特別に秋月さんにサラダを食べる権利を与えるわ〜」


「私の煮込んだ肉も食べてみて!」


「美味しいかしら?」


「美味しい?」


 まったく騒がしい食卓だ。


「ええ、とても美味しいよ」


 結月の目は少し赤くなって、俺の見た事のない微笑みを浮かべていた。

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