第五話 恐怖の追跡

 俺は体育倉庫の隅に蹲って、耳を塞いで震えている。


「いつきくん、どこ〜」


 魔王の声は近くで響いた。





 チャイムが鳴り、昼休みになるやいなや、はると、れん、裏切り者の葵と芽依がやってきた。


 俺はごめん! と言って教室から逃げた。俺には分かる、こいつらは魔王に勝てないと。二度と弁当を食べさせられるような無様な姿を晒すか!


 はると、れん、お前らは頑張ったよ。ただ、もう少し日本語を勉強したほうがいい。魔王の一言で黙るようじゃ俺を守れないよ。


 葵、お前はとりあえず宿題自分でやれ! 裏切り者に見せる宿題なんてないわ!


 芽依、君の弁当はあとで食べるから、食いすぎてお腹壊しても、君の好意は無駄にしないよ……てか、今逃げてるから、姫宮の弁当を食べなくて済むんじゃ? 芽依、君の弁当はあとで美味しく頂くよ!


 案の定、姫宮は追ってきた。こうなったら、男子トイレにでも逃げ込むか。


 俺は男子トイレの個室に入って、一息ついたら、足音が聞こえた。それは決して男子のそれではない。俺の聞き慣れていただれかの足音だ……


「いつきくん、ご飯食べよう〜」


 ほんとかよ! ここは男子トイレだぞ! なんで入ってこれるんだ! 女子入るべからずの聖地だよ! しかも用を足すところでご飯食べようだなんてTPO弁えてほしいよね。


 個室のドアが順番に叩かれていく音がした。そしてその個室に入っている男子の絶叫も聞こえてくる。


 これが魔王か。性別をも超越した究極の存在……母ちゃん、なんで俺を勇者に産んでくれなかったの?


 俺は個室のドアを開けて、姫宮が別の個室に気を取られている隙を見計らって、勢いよく男子トイレを抜け出した。


 後ろから男子の絶叫に対しての姫宮の辛辣な言葉が聞こえてくる。


「見られて恥ずかしいものはないはずよ? それともその粗末なものがそんなに大事なのかしら?

自分の価値すら見定めることができないようじゃ、就職のときに困るわ〜」


 男子の嗚咽が響く。もうやめてあげて……姫宮。男がそれを見られた後におまけに粗末なものと言われたら泣きなくもなるよ。てか見たのかよ、姫宮……


 なぜか変な気持ちになった。雇っている彼女に過ぎないのに、なんか他の男のものを姫宮が見たということが俺の心臓を少しぎゅっと締め付けた。


 あの時と似ている。





 彼女は俺と一緒に下校しなかった。家に帰って彼女に電話してみると、男の声がした。


 だれ?

 彼氏。

 いい所なのに、邪魔すんなよ!


 俺は彼女が何しているかすぐに分かった。彼女は違う人といけないことをしているんだ。心が壊れそうになった。俺は電話を切って、なにもなかったと自分に言い聞かせた。






 当然、俺がトイレから逃げ出したと気づいた姫宮は追ってくる。


 俺は校舎を飛び出して、グランドを駆け抜けて、体育倉庫に潜り込んだ。


 そして、現在に至る。


「いつきくん、どこ〜」


 声がどんどん近くなった。


 大丈夫だ! 俺は必死に自分にそう言い聞かせた。俺が校舎を出た時、姫宮に見られていなかったはずだ。きっと恐怖で声が近くなったって感じてるだけだ。


「ここ怪しいね〜 いつきくんいるのかしら〜」


 どこか棒読みな感じで姫宮は体育倉庫のドアを開けた。眩しい光が目に突き刺さる。


「いつきくんはどこかしらね」


 徐々に、姫宮は俺が身を隠すために後ろに蹲っている道具のところに近づいてくる。


「いつきくん、ここにいたのね」


「なんでここが分かったの?」


「ちょっとした現代の科学を利用させて貰っただけだわ」


「よかったらその科学の名前を教えて貰えないかな」


「GPSよ〜」


 マジか、道理で見つかるわけだ。いくら俺の足は飛行機なみに早くても衛星の追跡にはかなわないよ。母ちゃん、今すぐ人口衛星をミサイルで全部破壊してくれ……


「それを俺のどこに付けたのか教えて貰っていいかな」


「やだね、そんなばかなことする訳ないでしょう? 体や服につけたら、お風呂に入って着替えたら取れてしまうでしょう? だからいつきくんの携帯にアプリをインストールしたの〜」


 問題ってそこなの? 姫宮からしたら身体や服にGPSを付けるのが馬鹿な行為らしい。


 前に姫宮にロック設定をオフにしてくれと言われて、俺は涙を飲んで携帯にあるちょっとえっちな宝物を全部削除してロックをオフにした。これなら姫宮に中身を見られても問題ないと高を括っていた。


 だが、俺の考えは甘かった。中身を見るのは序の口に過ぎなかったんだ。いまのスマホは昔のガラケーと違って、もっと色んなことができるようになった。悲しき進化だ……


「それで、私の携帯から何時でもいつきくんの居場所が表示されるわ〜」


「そのアプリを削除してもらってもいい?」


「そんなこと私がすると思うのかしら?」


 姫宮はにっこりとした。その笑顔は天使にも悪魔にも見えた。ったく、今回はお前の勝ちだよ。


「これからはちゃんと大人しく一緒ご飯食べてくれるかしら?」


「そうさせて頂きたいと思います」


 俺は恭しく一礼して答えた。こうでもしないと今回脱走した件を追求されて何されるか分からないから。


「あの、」


「なに?」


 どうしても気になったので、俺は思わず声を発した。


「他の男子のもの見たの?」


「見てないわ、誰がそんな汚いものを!」


「ほんとに?」


「うん、見るとしたらいつきくんのしか見ないわ〜」


「それは遠慮しとく……」


 姫宮の答えを聞いて、なぜか心が安堵の気持ちを覚えた。

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