第9話 黄金に輝く炎

「なんて、美しい波動なのかしら!」


 時の神スズネは、そのほっそりとした姿で岩時の地に降り立つと、感嘆の叫び声をあげた。


 空の上から見た人間の世界は、まばゆいくらいの美しさだ。


 透き通るようなスズネの長い金髪と紫色の瞳が、圧倒された様子で揺らめき続けている。


「あの破魔矢から解放されて、本当に良かったですわ。ワタクシはもう二度と、高天原には帰りません」


 ぞくぞくするような何かが自分の奥底から沸き上がって来るのを、スズネは全身で感じている。


 『光る魂』以外にも、この世界には心躍るものが、たくさんあるようだ。


「こんなに素晴らしい場所が存在していたという事実を、このワタクシが知らなかったなんて!」


 未知の感覚を呼びさましてくれるをいつも欲しているスズネにとって、この世界との出会いは革命的な出来事だった。


「ここは本当に、白龍神はくりゅうしんの守る場所…………?」


 どうやら一番美しい波動は、ここ岩時神社の最奥に位置する本殿から生まれているらしい。


 波動が揺らいで一定の間隔に動く螺旋らせんとなり、音楽の調べのような響きを連れて、幾度も幾度も自分の皮膚に、刺さってくる。


 先に向かった岩の神フツヌシが、本殿の匂いを隅々まで今は、必死で嗅ぎまわっていることだろう。


 まずはこの場所を完全に理解し、影響を与えるのだ。


 自分の存在というものを、この地に住む全ての人間達に、深く根づかせてみせる。


 ふと、何かの感覚が邪魔をして、スズネは急に我に返った。


「誰かいるのですか?」


 祭りの喧騒とは違う。


 これは、霊獣の息遣いだ。


「…………!」


 岩時神社の拝殿前に位置する賽銭箱のあたりから、一体のからすの霊獣が突然飛び出し、叫び声を発した。


「お前は誰だ! 黒龍こくりゅう側の神がこの神社に一体、何の用だ!」


 カラン! と鈴の音が鳴った。


 祭りの喧騒から外れた、誰もいないはずの場所であるにも関わらず。


 賽銭箱の上から垂れた大きな鈴が勝手に、ユラユラと動いている。


「ワタクシは時の神スズネと申します。ご挨拶が遅れまして、大変失礼いたしましたわ」


 この世界との出会によって大いなる喜びを感じていたスズネは、からすの存在など気にしていない口ぶりで、好戦的な微笑みを浮かべた。


「見たところ本殿を守る霊獣のようですが、あなたこそ名乗りもせず、大変無礼だと思いませんこと?」


「おいらはからすの霊獣、ハトムギだ!」


 ハトムギと名乗った15歳くらいの少年は、頭頂部より右で束ねた黒髪を風に揺らしながら、グングン空へと浮かび上がった。


 いきなり10体に分離したハトムギは、顔面のそばかすを鋭い黒い手裏剣に変化させた。


 彼はその手裏剣を勢いよく、弧を描くように飛ばしながら、スズネに攻撃をしかけていった。


 スズネは空に浮かび上がり、綺麗な声で高笑いをしながら、ヒョイヒョイと楽しそうにその攻撃をかわした。


「これはこれは! あなたはご自分のでこのワタクシにダメージを与えようと? おーほほほ!」


 彼女の表情には、ハトムギに対するあからさまな侮蔑の色が浮かんでいる。


「何て薄汚い攻撃をする霊獣なのでしょう。を飛ばすなんて!」


 短い呪文を発しながら、スズネは自分の右指を5本、ハトムギに向けた。


「『爪の鈴つめのすず』でも喰らいなさいまし」


 スズネの右手の爪が、限りなくどす黒い、赤色に輝いた。


 五本の赤い爪は指先から分離した。


 チリン!


 チリン!


 チリン!


 チリン!


 チリン!


 次々と剣の切っ先のような鋭さを帯びてハトムギの手裏剣に当たり、その全てをなぎ払った。


 ハトムギは、10体同時に息を飲んだ。


 彼らは気を取り直して宙返りをし、素早く体勢を立て直す。


「岩時本祭りの、邪魔はさせない!」


 さらに10体分離して合計20体になったハトムギは、腰に差した黒色に輝く長剣を抜いた。


 手裏剣と長剣を巧みに使い分けてかわるがわる突撃しながら、ハトムギはくじけずにもう一度、スズネに攻撃を仕掛けていく。


 拝殿は舞台の裏側の、ライトアップされていない場所に位置するため、そこへ続く参道には人気がなく、虫の声が響くくらいに静まり返っている。


 ハトムギとスズネの戦いだけが、その場所で静かに繰り広げられていた。


 舞台をはさんで反対側の、鳥居から舞台へと続く参道には行き交う人がとても多い。


 ほんの少し離れた場所から、祭りの喧騒が賑やかに聞こえてくる。


「あなたの攻撃は、下品ですわね」


 ハトムギの動きを予測したスズネは、軽やかに一回転しながら彼の攻撃を全てかわした。


 すっかり爪が生え変わった両手を掲げて強大な風を作り出し、20体になったハトムギを吹き飛ばして、その全てを地面へとたたきつけた。


 スズネ自身はかすり傷ひとつ、負っていない。


「今、楽にして差し上げますわ」


「…………コイツ!」


 まるで歯が立たない。


 地面の上でずきずきとした背中の痛みに震えながら、ハトムギは細い唸り声をあげた。


 スズネとの力の差は明らかであり、涙を浮かべて歯ぎしりをして、どんなに悔しがってもどうしようもない。


 賽銭箱の前でハトムギは、絶体絶命の危機に立たされている。


「さあ、大人しくしていただきましょうか。ワタクシは『光る魂』を手に入れなくてはならないのです!」


 唇の端をいやらしく歪めたスズネが、ふたたびハトムギに鋭く赤い爪を向けた、その瞬間。


「何をしているのですか!」


 この声と共に、黄金に輝く光の鳳凰ほうおうが、空の上から姿を現した。


「ここは白龍神はくりゅうしんが守る地です!」


 老婆のようにしわがれた声で、鳳凰は叫んだ。


うめさま!」


 ハトムギは鳳凰の登場に、喜びの声をあげた。


「鳳凰?! どうして人間の世界になど…………」


 スズネの独り言に対し、梅は静かな口調で答えた。


「私はある方の命を受けて、人の姿をしながらこの神社におります」


 スズネは驚愕の声を上げた。


「何の目的で…………」


「それをあなたに言う必要は、ありません。…………ハトムギ、大丈夫ですか?」


 梅と呼ばれた鳳凰は、みるみるうちに紺色の着物を着た、白髪をひとつに結わえた老婆の姿へと変身した。


 ハトムギの傷を見て、梅は「ひぃっ!」と声を上げた。


「なんてひどい事を…………」


 1体に戻ったハトムギの背中に、空中に浮かびながら白樺しらかばの杖をひと振りし、眉間にしわを寄せながら梅は、回復の呪文をかけた。


 ハトムギの傷は黄金の光を受け、元通りの正しい状態に塞がっていく。


 呪文が終わると梅は、スズネをきつく睨みつけた。


「あなたは黒龍神に仕える、神のようですね」


 スズネは警戒心を浮かべながら、目を大きく見開いて梅を見つめた。


「…………!」


「今すぐ高天原におわす最高神に、あなたがこの地に侵入した事を、報告いたしましょうか」


「…………何ですって」


「いえ。あなたがたは5体ですね。鳳凰の姿に戻る事は滅多にございませんが、私は一瞬で、高天原まで飛べる力がございます」


 梅が言った通りなのは、スズネにも理解できた。


 鳳凰は時間と空間を超えて飛ぶ事が出来るため、一瞬で高天原まで飛んで行く事も可能である。


 そして白龍と同じくらいに、鳳凰は大変希少な存在だ。



「勝手なことは、この私が許しませんよ」



 こう言った途端、梅は黄金に輝く炎をスズネに向けて口から放った。



 この強大な力を持った鳳凰は、最高神を含む高天原の神々からも一目置かれた存在だという事を、後にスズネは思い知る事となる。




 


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