第2話 招き猫のロリババアに連れられて外に出たけど全然良いことなんかねえし大学時代に好きだった子に偶然会ったけどそれは偶然に決まってるし。


 平日の昼間。こんな時間に普段着でぷらぷら出歩くなんて本当に久しぶりだ。


 目の前には猫耳の少女。スキップでもするかのような軽快な足取り。白いワンピースが揺れる。


「……ってか、タマさんよ。外に出るときは猫の姿に戻るって言ってなかったか? いいの? そんな姿でうろうろして」


 後ろ姿に話しかけると、くるりと振り向いて、自称招き猫は満面の笑みを浮かべた。


「大丈夫じゃ。耳も尻尾も普通の人間には見えぬ」


「なら、俺にはなんで見えてんの? 霊感とかないと思うけど」


「にゃはは。何を言っておる。儂と縁を持ったことでお主にもあやかしの気配を察知できる能力がついたのじゃよ。ま、微々たるもんじゃがの」



 けらけら笑って、タマさんは先に行ってしまう。げっ。それってつまり、俺にも霊感的なものが憑いちゃってこと? 嫌なんだけど。


「お、見ろ! 篤! 蝶々じゃ!」


 ゲンナリしていると、タマさんが目をキラキラさせて叫んだ。見た目が少女だから、蝶々を見つけて喜んでる様も、なんだか、ほんわかしていて、なごんでしまう。


「よし、追いかけるぞ! それー!」


 タマさんが突然、駆け出した。


「は? ちょっと、タマさん待ってよ!」


 ぴょんぴょん跳ねて手を伸ばしながら路地裏に駆けていくタマさんを慌てて追いかける。


「篤、急げ! 逃げられてしまうぞ!」


 タマさんは軽快に駆けていく。すばしっこい。とててて、と走って、人様の家の塀を乗り越えて敷地に入っていってしまった。


「……って見失っちゃったよ」


 モタモタしているうちにタマさんの姿は消えてしまった。

 なんなんだよ、あのヒト(猫)は。

 猫だからって自由すぎだろ。


 どうしたものか。行き先は聞いていないし、ここで待つべきなのか、それとも、放って置いて帰ってしまおうか。


 ……あ、それもありだな。で、鍵をかけてもう家に入れなければいいのだ。 


 そうしてしまおう。


 踵を返して、自宅に向かおうとすると、突然、横の生け垣がガサガサと揺れて、人影が飛び出してきた。



「うわあ! びっくりした! ってタマさんか」



 猫耳少女が体中に葉っぱやら枝やらのクズをつけて出てきた。


「もー、篤よ。お主、鈍足すぎじゃぞ。蝶々いっぴき追いかけられぬとは」


 細い腰に手を当てて呆れ顔。でも、どこか、満足げな顔でもある。


「タマさんこそ。蝶々くらいで、あんなにはしゃいじゃって。四〇〇年生きてても子供だな。で、捕まえられたの?」



「うむ、うまかったぞぃ」


「……って、食ったんかい!!」


 見ればむしゃむしゃと口を動かしているし。


 もう嫌だ、この猫。


「さて、走って小腹を満たしたらすこし眠くなったな。近所にちょうどいいお昼寝スポットがあるのじゃ。行くぞ篤」


「……え? 招き猫の実力を見せてくれるんじゃなかったの?」


「そんなのは後じゃ。眠くなったら寝る。それが猫の生き方なのじゃ」


「自由すぎんだろ」


「いいではないか。幸福は逃げぬ。幸福というのは追いかけるものではないのじゃ。いつでも足元にあるものなのじゃ。急ぐ理由はない。わかるか?」


 格言めいたことを言って、俺の眼を覗き込むタマさん。俺が黙っているとニヤリと笑った。


「それにどうせ暇じゃろ。お主は無職なんじゃから」



「うぐ、まあどうせ予定はなにもないけどよ」


「にゃはは。篤よ、大切なのは今じゃ。今やりたいことを優先しなければ幸福にはなれぬぞ。人間ってのはどうも予定予定でがんじがらめでいかん。もっと自由に生きるのじゃ」


「偉そうに言われても……。そんな刹那的で享楽的な幸福は欲しくないけどな」


「ぽんぽん文句ばかり言うておらんで、ついてまいれ」



 鼻歌まじりに、とことこ歩き出すタマさん。上機嫌である。振り回される俺はため息をつきながら後を追うのであった。


 住宅街を抜け、駅前の商店街を越え、たどり着いたのは木々が生い茂る神社だった。


 平日昼前の神社なんて、なかなか来ないから新鮮だ。


 生い茂る枝から木漏れ日がまばらに降り注ぐ。穏やかな風。気持ちの良い天気だった。



「儂は向こうの広場のひだまりで、ゴロゴロしようかと思うんじゃが。お主も一緒に寝るか?」



 タマさんが指差すのは境内前の砂利の広場だ。


「……地べたじゃん。やだよ」


「そうか、気持ちいいのに。人間というのは世間体ばかり気にして幸福を逃す哀れな生き物じゃの。じゃあ、ベンチか何かでのんびりしておれ」


 ぴょんっと跳ねるとタマさんの姿が少女から白猫に変わった。


「じゃ、またあとでな!」


 にゃー、とひと鳴きして、タマさんはスタスタと行ってしまう。

 まったく、本当に自由なんだから。


 俺は仕方なく、神社をぶらぶらと見て回ることにした。


 近所とはいえこの神社に入るのは初めてだ。鳥居が並ぶ参道の向こうに社殿があり、その脇には土が盛られた広場がある。掲示板には来年行われる東京オリンピックのボランティア募集ポスターが貼ってった。



 こんなに広い神社だったんだ。大学入学を機に引っ越してきた土地だが全然知らなかった。

 元上司の「お前は大学で何を学んだんだ」と言う怒鳴り声が耳の奥で聞こえた気がした。

 俺は日陰を求め、池のほとりの木々がうっそうと繁るエリアに向かった。


 そびえ立つ木々のすぐ向こうには車通りの多い道があるのに、この場所は木々で遮られていて、とても静かだ。厳かな雰囲気ってやつか。

 ちょうどいいベンチを見つけ腰を下ろし、しばし、ぼーっとする。


 こんな風に昼間からのんびりと過ごすことなんて、どのくらいぶりだろう。


 社会人になってからというもの、心が休まる日など一日もなかった気がする。


 求人票に記載されていた年間休日など嘘っぱちで、土日も会議と称する吊し上げや、ヘルプと称する取引先での軽作業の手伝いばかりだった。


「ここで頑張れないならどこに行っても使えない落伍者になるだけだぞ」


 高圧的に詰めてくる上司には何度もそう言われた。


 会社にいても家にいても、何をやっていても心の中に現れる誰かにダメ出しをされているような感覚に陥った。


 何も考えないでいられるのは酒を飲んでいるときだけだった。


 いまだって、もう会社は辞めているのに、誰かに叱られるような気がして心が落ち着かない。


 もう、やめたんだ。考えなくていいんだと、自分に言い聞かす。


 木々のざわめきや、池の中の鯉の姿を眺めて何度も自分に言い聞かせた。


 その時だ。


「あれ? 先輩……? 藪坂先輩ですよね?」


 声をかけられた。

 顔をあげると、そこに懐かしい顔が立っていた。


「ゆ、優里ちゃん?」


 驚きのあまり声が裏返る。現れたのは、大学のサークルの後輩、玉川優里ちゃんだった。


 好きになって、告白したくて、でも勇気が出なくて、何も言えぬまま卒業して、それからは会うことのなかった女の子だった。


 クリクリっとした瞳によく通った鼻筋。白い肌。

 黒く艶のあるロングヘアをポニーテールにしている。かわいい。服は薄手のパーカー、ショートパンツ、背中にはリュックを背負っている。彼女は動きやすい格好が好きなのだ。


「ひさしぶりです! どーしたんですか? こんなところで。仕事は?」


 好奇心で輝く瞳ををぱちくりさせて、ベンチに座る俺を覗き込んでくる。よく通る声は涼やかで『陽』のエネルギーが全身から溢れ出している。


「えっと、今日は休みで……」


 下手な作り笑いで嘘をついてしまった。仕事が辛くて辞めたなんてダサくて優里ちゃんに言えない。


「わたしは今から大学です、天気が良かったんで、ちょっと寄り道して、散歩してたんです」


 ぴょんっと俺のとなりに座る優里ちゃん。ほのかに香る彼女の髪の匂いに体が強ばる。


 俺がまだ大学にいた頃から、優里ちゃんは明るくていつでも元気だった。

 例えば試験の結果が悪かったり、風邪を引いてしまったとしても、彼女は俺みたいに世界の終焉に立ち会ったみたいな、じめじめした雰囲気を纏うことは決してなかった。彼女は明るいまま元気なまま、風邪を引いていたり落ち込んでいたりするタイプの子だった。


 突然現れた懐かしく変わらない後輩の姿と声に、泣きそうになった。グッと堪え、無理やり口角を上げて明るい顔を作る。



「優里ちゃんは今、何年生だっけ?」


「三年生ですよー。懐かしいなー。先輩、卒業してから一回も飲み会に参加してないですもんね」



「そうだな、仕事が忙しくってなぁ。はは。ははは」


 明るく笑ったつもりだけど、俺にはいつも湿気がつきまとう。


 なかなかカラッとした秋晴れみたいな笑顔は作れない。


「田口さんが言ってましたよ。藪坂先輩が最近元気がないって。わたしも心配してたんですよ」


「……田口が?」


 どうして優里ちゃんが田口なんかと?

 田口は俺の友人だ。サークルが一緒で同学年で、俺と同じように社会人になっている。田口の入った会社もそうとうブラックで、俺と同様、大学のサークルに顔を出すような暇はないはずだが。


 もしかして、優里ちゃんと二人だけで呑みに行ったりしているのか?


 俺の知らぬ間に、二人は親密な関係になっているのか?


 そんな疑問が一瞬のうちに脳裏に浮かんだが、それを尋ねるような勇気は俺にはなかった。



「社会人ってやっぱり大変ですか?」


 無邪気な顔で訊かれ、俺は言葉に詰まる。うまく返せず、曖昧に頷いた。


「そうですよね。頑張ってくださいね。落ち着いたら、また呑みに行きましょうよ。わたし、暇だし、いつでも誘ってください」


 そう言って立ち上がった優里ちゃんの笑顔は、やっぱり太陽みたいに輝いていた。


 彼女のいる場所はいつも光が差し込んでいる。暖かく優しい日が射し、花が咲き乱れている。

 俺がいる場所とは違う。


「ああ、またみんなで呑みにいこう」


 俺はそう答えるのが精一杯だった。

 優里ちゃんは俺の鬱々とした気持ちには気づかない。



「じゃあまた! 先輩も都合が良いとき教えてくださいね!」


 彼女はにこにこと手を振って去っていった。



「……ほれ、早速、幸福が舞い降りたの」


 ぎょっとした。背後に猫耳少女が立っていた。

 猫ってのは足音も気配もなく現れるからびびる。


「お主、今の小娘に惚れておるな?」



 ニヤリと微笑んでタマさんが言った。


「と、突然、何を言い出すんだよ。彼女はただの大学の後輩だし」


「ほー、そうかの? それだけには見えんかったがの」


 にゃはは、と笑うタマさんに「大きなお世話だよ」と返す。それより、昼寝するんじゃなかったのかよ。覗き見なんかして意地の悪い猫だ。


「広場で人の子がはしゃいでおってのぉ。元気でよいのじゃが、煩くて眠れんかったのじゃよ」


 タマさんは俺の隣にちょこんと座った。


「儂と一緒にこの神社に来たから、お主の意中の小娘に出会うことが出来たのじゃ。これで儂が招き猫だということがわかったろ? ほめていいぞ? にゃんにゃん♪」


 手招きポーズで首を傾げ、あざとく笑うタマさん。


「ふん。彼女はたまたまこの神社に寄っただけだよ。タマさんのおかげなんかじゃないだろ。それに、別に意中の相手なんかじゃないし」


「もー。素直じゃないのぉ」


 タマさんは不満そうだが、そっぽを向いて聞こえないふりをした。

 優里ちゃんが現れたのがタマさんの招き猫としての能力の賜物だなんて、ちょっと信じられない。

 ってか、大して幸福でもないし。どっちかっていうと、会社をやめた翌日に、こんな落ち込んだ自分を見せたくなかったし。

 黙って風に揺れる木々を眺める。

 優里ちゃんはこれから大学か。未来に向かって頑張ってる彼女と比較して、何もない自分が情けなく思えてくる。

 

「それにしても。うーん。やっぱり眠いのぉ。猫は睡眠をいっぱい取らなきゃいけないからのぉ」


 一人で落ち込んでいると隣のタマさんはムニャムニャと独り言を呟きながら、うつらうつらと船を漕いでいる。まったく人が悩んでいるのに、この猫は。


「なんだよ、タマさん。結局、眠いのかよ。少しここで寝てくか?」


「むぅ。確かにここなら静かでよいな。すまぬが、少し寝かせておくれ」


「まぁ、いいけど」


 俺が頷くと、彼女は小さな頭を俺の肩に預け、すーすーと眠ってしまった。

 寄りかかられるとは思わなくて、すこしドギマギした。


 正体が化け猫とはいえ、女の子に頭を預けられるなんて初めてだったからだ。


 タマさんの小さな頭は暖かくて、頬は白くてタマゴみたいにすべすべで、丸くてキレイだった。


 俺は妙なことを考えないように、視線を池に向けた。

 のんびり泳ぐ鯉が俺を見て、口をパクパク動かしていた。

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