テルミナと時計の王
巡屋 明日奈
第1話・目覚め
テルミナは鳥がうるさく喚く音で目を覚ました。
目を覚ました、という言い方には語弊があるかもしれない。なぜなら「それ」には目など存在していなかったからだ。ただ、帽子とスカーフの間から垣間見える闇の中に目のような光が二つ灯っただけである。きっとその隙間の向こうは人ならざるものなのだろう。
雲一つない青空が視界に刺さる。綺麗だ。テルミナはまず初めに、そんなことを思った。呑気なものだなぁ、と自分でも感じる。
なぜ自分はこんな草原に寝転んでいるのか。テルミナは次に静かに考えた。しかしテルミナは自分の名前以外のことを何一つ覚えていなかった。名前以外の自分のことも、もちろん目を覚ます前の自分が何をしていたのかも。だから当然その考えに答えが出ることはなかった。
きっとこれは記憶喪失とでも言うのだろう、テルミナはそう結論付けた。
テルミナは身体を起こした。鳥が驚いて逃げて行く。
自分の体を一度見回してみた。被り慣れた気がする帽子、巻き慣れた気がするスカーフ。着慣れているはずの長衣はまるでケープのように袖口がなく、それでも袖の先だけは宙に浮いて手の役割を果たしている。この手はどこまで伸びるのだろう。テルミナは手を伸ばしてみようとしたが、枝に引っかかることを恐れて思い止まった。指がないから引っかかったら取れない。取れなかったら多分困る気がする。
テルミナはゆっくりと立ち上がった。長衣の下から見える小さな足で真下の草原を踏みしめる。どうも不安定だった。
とん、と軽くジャンプするとテルミナの身体は宙に浮いたまま止まった。そのままふわふわと移動する。歩くよりこちらの方が安定するし楽かもしれない。
まるで幽霊か何かのようだ。テルミナはそう思った。
テルミナの視線は辺りを一周し、やがて少し遠くにそびえ立つ高い塔へと釘付けになった。シンプルなデザインの高いだけの塔。特に魅力があるようには見えない、と頭の片隅では思っていた。それでもテルミナはどこかそれに惹かれていた。
テルミナはそのままふわりと体勢を整えると塔の方へと飛んで行った。
「ここって何?」
テルミナは塔の周りにある小さな街にたどり着いた。構造上あるかどうかも怪しい首あたりを傾げて言う。
謎の生物が空を飛んで街に降りてきた。それだけで街の住民たちは驚き騒いだ。そうか、こういうことをすると人間は驚くのか。テルミナは一つ学習した。
「
振り返ると、しわがれた声で老婆が言い放っていた。その言葉には「そんなことも知らんのかね」などあまりよろしくなさげな意味も含まれていたように思えた。しかしテルミナはそのよろしくない裏の意味を感じ取れるほどの知能を持ち合わせていなかった。
「塔下街」とやらが何なのかはよくわからなかった。けれど答えてもらえたことに満足したテルミナは、ぺこりと頭のようなところを下げてそこを立ち去った。
立ち去るテルミナを訝しむような目線で見送りながら住民たちはまた日常を再開した。彼らにだって仕事があるのだ。こんな一瞬の不思議な出来事に構っている暇はない。
一方テルミナは少し向こうにある別の塔下街へと向かっていた。このまま塔下街を巡れば塔の入り口がどこかにあるかもしれない、と考えたのかもしれない。このテルミナにそこまでの知恵があるかどうかも怪しいが。
「この塔って何?」
テルミナは近くにいた人を適当に捕まえて訪ねた。捕まえられた少年が凄い顔をする。得体の知れない生物に突然肩を掴まれた……というより肩に手を置かれたのだから当然の顔とも言えるだろう。残念ながら指のないテルミナの手で人の肩を掴むのは無理難題だった。少年の綺麗な緑の目がぎゅ、と細められる。彼の眉間にはシワが寄ってしまった。
「何って……時計塔だよ」
この世界の時間を管理してるんだ、とその少年が言う。一日が二十三時間や二十五時間にならないように、一ヶ月が三十二日にならないようにしてる、と少年は当たり前のように言った。手を置かれたせいでズレたケープを直しながら相変わらずの凄い顔でテルミナの方を見る。
「ていうかお前誰なの?俺らみたいな人間じゃないよな」
テルミナは首を傾げた。
「……テルミナ。人間って何?」
少年は後半のテルミナの質問にも答えずにしばらくテルミナの名前を小声で反芻した。何か問題でもあったのだろうか。
「嘘つけ」
数分間の熟考の末に少年が出した結論はそれだった。
「嘘つけ、だって俺が知ってるテルミナは人間だもん」
大事なことなのだろう、同じことを二回も言った。
「人間って何?」
そしてテルミナは少年の言ったことを完璧に無視して、自分の質問の後半部分を繰り返した。
それに対して少年は凄い顔をもっと凄くする。まるで梅干しか渋柿のようだ。ただテルミナはどちらも知らないのでただ凄い顔、とだけ思った。
「人間はな、俺らみたいなのを言うんだ」
少年が俺、と自分を指差しながら言う。テルミナも真似して自分を指差そうとして指がないことを思い出す。
なるほど、彼には指がある。自分には指がない。だから彼とは違う自分は人間ではないということか。
テルミナがそう少年に伝えると少年がさらに凄い顔になる。
「いやそれ以外にも違うところいくらでもあるだろ」
呆れたような言葉にテルミナは再度首を傾げる。なぜだかはわからないが首を傾げておけば大体の会話は凌げるらしい。
「まぁいいや、取り敢えずお前は俺の知ってるテルミナじゃないってことだな?」
服装は似てるけど違うし、まず人間じゃない。自分、テルミナ、と交互に指をさしながら少年が言う。
「つまり俺が知ってるテルミナとは同名の別人ってことだな!」
別生物かもしれないな?とぼやきつつと少年が初めて凄くない普通の笑顔をする。
「じゃあ初めまして、になるな。俺はテトラ。よろしくな、テルミナ!」
少年、もといテトラに握られた手を勢いよく振られ、テルミナは自分の手と胴体が繋がっていないことを心の底から感謝した。繋がっていたら振り回されていたかもしれない。
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