第7話「パンになった男」

 自分でシフトを組める環境下で、二日続けて十五、六時間の肉体労働をこなすほど変態ではなかったので、私は一勤一休のペースで働いた。本業の人には到底敵わないが、よく働いた方じゃないかと思う。時間1,000円だか1,100円だか貰えて地方都市としては上等な時給だった。それでも、どういう分けか引っ越しの繁忙期が終わった後も、大して金は貯まっていなかった。休みの日は昼から競輪にいったのと、映画館で仲良くなった、煎った豆みたいな顔をしたフロアの男の子とよく飲みにいっていたのが原因だったんじゃないかと思う。


 五月に入ると、派遣会社からの電話は激減した。単発の仕事ばかり欲しがっていたこともあり、たまに大学の床にベンチを固定するため、ひたすらナットを回す仕事や、ゲームセンターにゲーム機を搬入する仕事が振られるぐらいだった。工場の仕事はそれなりにあるみたいだったが、どれも契約期間が長かったのと、先に引っ越し作業で一緒になった派遣労働者たちから、「工場はヤバい」という話を聞いていたので行く気は無かった。

 パン工場で仕事中に足の上に鉄板を落として怪我をした経験がある労働者が言うには、

「延々と同じ流れ作業をやっている内に、パンと自分の境目が分からなくなってくる」そうだ。

「自分の腕の先に付いているのが、手なのかパンなのか分からなくなって、手を滑らした」とそいつは言っていた。

 私は真面目に話しを聞いている振りをしながら、内心ふざけて、

「ちなみに、何パンになってる感じがしたか?」と訪ねると、男は、

「クリームパン」と真剣そのものな声で答えた。

 それ以来、クリームパンを食べると、人の手を囓っているような気分になる。好きな食べ物をひとつ失ってしまったが、その代わり、無知ゆえに工場労働にノコノコと出ていき、自身がパンになるリスクは回避できた。

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