第38話 生存者。

「待って! ねえ待って!」



 そう言って駆け寄ってくる謎の女の子。


 ヴォイテクとエッカートが咄嗟に剣を抜いて立ちふさがると、女の子は一瞬怯えた表情で足を止める。



「大丈夫、通してあげて」



 そう伝えて控えてもらい、僕も彼女に近づいた。


 近くであらためて顔を見ても間違いない。日本人だ。ということは来訪者だろう。でも何故こんなところに一人きりで?



「ねえ、あなたたちは誰なの? 日本人よね? 私以外にも日本人がいたなんて! どこから来たの? 他にも人間がいるの?」


「ちょ、ちょっと、落ち着いて」


「初めて他の人間と会ったわ! 私だけかと思ってたのに! 人間がいたの! 人間がいたの! それも日本人が!」



 かなり興奮気味だ。まともに会話が成り立たない。


 この言葉を聞く限り、彼女はこれまでこっちの世界で他の人間と会ったことがなかったんだろう。


 嬉しい気持ちは分かるけど、とにかく一度落ち着いてほしい。



 結局、僕とマイカの服を引っ張って神殿前まで連れて行こうとする彼女に従い、言われるがままに粗末な料理場の前に座る。


 ヴォイテクとエッカートも、万が一女の子が敵意を示したときのために警戒しながら続く。



 彼女は人に出会えた興奮を10分は語り続けて、ようやく一息ついたらしい。



「……えっと」



 何から話せばいいものか。



「とりあえず……君の名前は?」


「私はアカリ。あなたたちは?」


「僕はリオ。こっちはマイカ。彼女も日本人だよ。そしてこっちがヴォイテクとエッカート。彼らは元からこの世界の人間で、今は僕の従士……まあ、僕の部下なんだ」


「この世界にも元々人間がいたんだねえ。それにあなたの部下って、リオは偉い人なの?」


「んー、まあ一応それなりにね。それで……君は今まで他の人間に出会ったことはないんだね? 君がこの世界に転移して1年以上が経つと思うけど、それまでどうやって生きてきたの?」


「うん。てっきり私以外の人間は誰もいない世界なのかと思ってた……この街も大昔に滅びてるみたいだったし。そっかあやっぱりもう1年以上経ってるんだ。季節が一巡りしてたのは気づいてたけど。あっお腹空いてない? 肉があるの、今焼くね!」



 そうマイペースに喋りながら、アカリは持っていた肉の塊を木の棒に刺して、さっき火をつけていた焚き火にかける。



「あの……それで、君はどうやって今まで生きてきたの?」


「あ、ごめんなさい。人と話すのが久しぶり過ぎて……えっとね、この世界って地球では見たこともない化け物がいるじゃない? けっこう怖いところじゃない? でも、私なぜかあの化け物たちに殴られても噛みつかれても怪我しないの」


「怪我をしない?」


「うん。私、この世界に来てから怪我をしたことないの。ほら」



 彼女はそう言って地面に手を置くと、大きな石を拾っていきなりその上に叩きつけた。



「!」「えっ!」



 アカリのまさかの行動に、僕たちは全員驚愕する。当の彼女は涼しい顔で、たった今潰した手をひらひらと振る。



「ほら。平気でしょ?」



 そう言って見せてくる手には、確かに傷はまったくついていない。指も問題なく動いている。あんな石をあんな勢いで叩きつけたら骨が折れていない方がおかしいのに。



「緑の小鬼? みたいな化け物に殴られても、2本足で歩く犬に噛みつかれても、すごくでっかい猪に跳ね飛ばされても、痛くもないし怪我もしないの。だから、わざと腕に噛みつかせて頭を石で潰したり、首を無理やり折ったり、目を突いたりして撃退してきたの」


「な、なるほど……」



 なかなか壮絶なサバイバルをくり広げてきたらしい。



 これ、たぶん彼女のギフトなんだろうな。「傷つかない頑丈な体」か。


 それに、少なくとも火魔法の素質を持っているらしい。



「あっ。肉、もう焼けたよ? 食べて食べて!」



 アカリはそう言うと、たった今まで焼いていた高温の肉を素手で木の棒から引き抜き、爪を立てて裂く。普通ならこれで大やけどだ。


 皿代わりなのか、平らな石に肉を乗せると僕たち一人ひとりの前に置いてきた。



「……」



 食べても大丈夫かな、これ。


 少なくとも焼く前の肉は腐っているようには見えなかった。


 だけど、調理場の後ろ、神殿の傍らにバラバラになったコボルトの死体が見えるのが気になる。


 一般的にこの世界では、コボルトは不味いので食べない。



 それに、日本人とはいえ、よく知らない人から出された食べ物だ。絶対に毒じゃないとは言えない。



 他の皆を見ると、3人とも微妙な顔をしている。



 一方のアカリを見ると、期待のこもった笑顔でこちらを見てくる。この笑顔に「なんか嫌だから食べないでおくよ」と言い放つのはなかなか勇気が要りそうだ。



「じゃあ、早速いただいてみるぜえ」



 そう笑顔で(少なくとも表面上は笑顔で)言って肉を齧ったのはエッカートだ。毒見役を買って出てくれたんだろう。



「おお、美味い、美味いぞ」



 かなり力を込めて顎を動かしながらエッカートがそう言うと、アカリは「そう? よかった!」と言いながら自分も肉に噛みつく。



 彼女が下を向いた隙に、エッカートはこちらを見てコクリと頷いた。どうやら食べても大丈夫らしい。


 だけど、その顔はかなりげんなりしている。「美味い」の部分は嘘らしい。



 まあ、お腹を壊しても帰ってティナに光魔法で治療してもらえば大丈夫か……と思いつつ、肉の端を歯で引き裂くように口に入れた。


 か、硬い……それにめちゃめちゃ筋張ってる……コボルトの肉ってこんなに食べづらいのか。



「お、美味しいよ」「うん、美味しいわよ」「……」



 無理やり笑顔を作ってアカリを満足させたところで、今度はこちらの説明だ。



 ここがジーリング王国という国であることや、大勢の日本人が転移して「来訪者」と呼ばれていること、少なくともこの国では来訪者は高待遇で迎えられて大切に扱われていることなどを話す。


 さらに、僕たちがルフェーブル子爵という貴族に仕えていて、ここは子爵領の端の方で、このあたりは危険な魔物がひしめいているので他に人がいないことも伝えた。



「そっかあ、ここはファンタジーゲームみたいな世界なんだねえ。そうじゃないかなあとは思ってたけどね。それに、ほかにも日本人がたくさんいるのかあ……会ってみたいなあ」


「アカリちゃんはどこの出身だったの?」


「えーっと、私はねえ……」



 マイカが雑談でアカリの気を引きながら、僕に目配せをしてくる。



 それに頷くと、彼女たちから少し距離を置いてヴォイテクと顔を近づけて、アカリの扱いについて話し合う。



「来訪者みたいですが、どういうことですかね」


「……僕たちがこの世界に転移して王都に集められたとき、王国軍の回収が間に合わなかった人が何人かいたって聞いた。遺体が見つからなかった人もいたって。あの子もたぶんその一人で、実は生き延びてたってことだと思う」



 彼女の場合は遺体が見つからなかったというより、転移した場所が魔境のど真ん中だったので回収自体を諦められたんだろう。



「連れて帰りますか?」


「そう……だね。さすがに置いていくわけにもいかないだろうし」


「西からアルドワン王国が送り込んできた偵察要員って可能性は?」


「ないんじゃないかな? もしそうなら、もっとまともな装備を持たせて送り込むはずだよ。貴重な来訪者をこんな身ひとつの状態で長期間放り出すわけない」



 魔物に食い殺される心配さえしなくていいのなら、アルドワン王国からここまでは徒歩で数日。


 偵察でここまで来るなら、定期的に帰還して補給物資を受け取るなり、まともな生活環境を維持する方法はいくらでもあるはずだ。


 なのにアカリはろくに加工処理もしていないホーンドボアの毛皮を身にまとっていて、体も髪もまともに洗っていない。原始人のような生活を送っているのが分かる。


 アルドワン王国が自国で確保した来訪者に偵察任務のようなことをさせるなら、いくらなんでもこんな状態で送り込むことはないだろうし、長期間こんな生活をさせる意味もない。



「……それもそうですな。連れて帰れば、ルフェーブル子爵領の来訪者がまた一人増えることになるでしょう。こんな言い方をするとあれですが、パドメの金品どころじゃない大収穫です」


「そうだね。それに同じ来訪者としては、ずっとこんな場所にいた子を助けてあげたいって気持ちもあるし……ただ、死んだと思われてた来訪者が発見されたとなれば、王家にも報告しないわけにはいかないんじゃないかな? 変に口出しされて揉めないといいけど」



 死んだと思われていた来訪者が見つかったんだ。イレギュラーな存在だけに、その扱いを巡って揉め事が起きないとも限らない。



「……とりあえず連れ帰ってヨアキムさんとも相談して、ルフェーブル閣下に指示を仰ぐしかないか」



 そう言って相談を終えると、アカリの方を向く。



「それじゃあアカリさん。僕たちは明日にはここから南東にあるクレーベル村に帰るんだけど――」


「ま、待って! ねえ、私も付いていっていい? 他にも人がいるって分かったから、こんなところに一人はもう嫌なの!」


「うん。もちろんそのつもりだよ。ただ、さっき話したようにジーリング王国では僕たち来訪者は貴重な存在だから……とりあえず僕たちの主家のルフェーブル子爵閣下に君のことを報告して、君の今後をどうするかについて相談することになる」


「そうかあ。そうよね。私、どうなっちゃうのかなあ」


「ルフェーブル閣下はいい人だからね。僕たちにも良くしてくれるし。アカリさんも絶対に悪いようにはされないはずだよ」


「それならよかったあ! 私もリオくんやマイカちゃんみたいにその、ルフェーブル子爵閣下? の部下にしてもらえないかなあ。リオくんたちがいい人って言うなら安心だし」


「大丈夫、きっとそうなるし、僕たちからもルフェーブル閣下にそう提案してみるつもりだから」



 来訪者を巡る貴族家と王家の関係とか、そういう細かい話は今は黙っておく。言っても彼女を不安にさせて混乱させるだけだ。


――――――――――――――――――――


 その日はさらにこの世界についてのことや来訪者のことを説明して、早めに眠りにつく。


 アカリはいきなり色々な話を聞いてまだ全ては飲み込めていないようだったけど、これから時間とともに少しずつ理解してくれるだろう。



 そして翌朝、僕たちは早速クレーベルに帰還するために出発した。


 今回はアカリを連れて帰ることが最優先事項になったので、パドメの調査は中止だ。



 往路と同じく、ゴーレムの背に揺られて半日ほど。


 クレーベルが見えてくると、この世界で初めて見る人里にアカリは「うわあ……!」と声を上げた。

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