2人の8311、私の831


在り来りな話だ。交通事故に巻き込まれたしおは、その場で大怪我を負い、治療が間に合わず出血多量で死んでしまった。それが大学四年の初夏の事。

本当に突然の出来事で、お別れの言葉も、愛の言葉も伝えさせてもらえずに終わってしまった私の恋。葬式にも出た、お墓参りにも何度も行った。彼女の死をこんなにも目の当たりにして、現実逃避なんて出来る訳がない。


しおはもう死んでいる。


そんな事、わかってる。

でも寂しいから。彼女に近くにいてほしいから。

あぁ、本当に、









裁縫が得意で良かった。


トイレの個室に駆け込んで、鞄の中からそれを取り出す。両手の平に収まる程度の大きさのそれは、私が作った私だけの〝彼女〟だ。

ふわふわの肌触り。布切れで作られた簡易な髪とワンピース。瞳はアメジストの欠片。一見すればそれはただの小さなぬいぐるみ。けれどその心臓部には、彼女の本物の髪の毛が埋められている。だからなのか、綿と布だけのそれにはほんのりと温もりを感じて。

彼女が使っていた香水を振ってあるから、余計に彼女を感じられる。それで私は、目を閉じて想像をする。


ここは彼岸と此岸の境。川の向こうにはしおがいて、紫紺の髪と白いワンピースが風に揺れている。

絵に描いたような青い空も、鮮やかな緑の草原も、川の粼も淡い陽光も、全てがしおを引き立てる為の材料だ。


「会いに来たよ、しお」


そう口にすれば、しおは笑い掛けてくれる、はずだった。


いつもなら笑顔を返してくれるのに、今日のしおは表情を曇らせている。風が強くなって、太陽が雲で覆われて、川の流れが荒れ始める。

こんなの、可笑しい。どうして。


もしかして、もしかしたらしおは今、1人で寂しい思いをしているのかもしれない。私と同じように、私が〝本当の意味で〟近くにいる事を望んでいるのかもしれない。だから虚像の私を見て、あんな顔をしたのかもしれない。


あんな、悲しそうな顔を。


だったら私が会いに行かなくちゃ。彼女に動ける足がないなら、私が動かなくちゃ。

上手くいきそうな論文だとか、友人や両親だとかは、彼女の前ではどうでもいい。全力疾走でその場を後にした。この逸る気持ちは追慕であり、恋情だ。


嬉しい。


嬉しい、


彼女が私を望んでくれているなんて。


私が未だこんなにも彼女を愛し、彼女の為に動けるなんて!


走って。走って、走った先の最上階で愛を謳う。


「愛してるよ、しお。一生一緒にいようね!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る