第45話 センパイ、花子さんも泣いていますよ

 柳先生との会話を終え、相談室を後にする。

 けれども、まだ教室に戻れるほど元気ではなくて。

 柳先生が保健室の先生にかけ合ってくれて、ベッドを貸してもらえることになった。


「少し休んで、気分がよくなったら教室に行きなさい。私は出てくるから」


 保健室の先生は、私が平熱なのでさほど心配していないようだった。用事があるのか、忙しそうに保健室を去っていく。


 こうして私は保健室に一人残された。

 ベッドは全部で三台。そのうちの一つに私は横たわり、残る二つは空いていた。


 一人って、やっぱりさみしい。

 白い天井をキャンパスにして、美幽センパイの笑顔を思い描く。

 猫のように気まぐれで、家族のようにいつもそばにいてくれた美幽センパイ。

 それなのに、私を一人ぼっちにしてどこかに行ってしまうなんて、そんなのひどすぎる。

 また涙がこぼれそうになってきて、私は頭から布団をかぶった。


 まもなく、保健室に誰かが入ってくる気配がした。


「うっ……うっ……うわあぁ~ん!」


 情緒が不安定なのか、かなり激しく泣いているようだ。

 その人は、保健の先生の許可も取らず、ベッドに入ろうとしているらしい。

 いったい誰だろう?

 気になって、布団から頭を出し、そっと様子をのぞいてみた。


「――って、花子センパイ!?」


 なんと、泣きながら無断でベッドに寝転がろうとしていたのは花子センパイだった。

 花子センパイはきれいな顔をくしゃくしゃにして、あふれる涙を拭おうともせず、ただベッドに身体を投げ出した。


 そっか、花子センパイも悲しいんだ。美幽センパイがいなくなって。

 悔しいけれど、私より花子センパイのほうが美幽センパイとのつき合いはずっと長い。悲しみの深さだって、もしかしたら私以上かもしれない。

 私は同情を誘われて、ぐすっ、と鼻をすすった。


 花子センパイがようやく私に気づいた。


「えぐっ、えぐっ……あら、旭」

「こんにちは、花子センパイ。センパイの辛さ、よく分かります」

「そう、旭も分かってくれるのね……この胸が張り裂けそうな深い悲しみを……」

「分かりますよ。私だって辛いですもん」


 花子センパイはベッドにすっかり仰向けになり、天井を見上げながら震える声でぽつりともらした。


「……辛いわよね、失恋って」

「失恋っ!?」


 私はびっくりして跳ね起きた。


「花子センパイ、美幽センパイがいなくなって泣いていたんじゃないんですか!?」

「はあ? なんの話よ」


 花子センパイもまた上体を起こし、ぷく~っ! とおもちみたいに頬をふくらませた。


「聞いてよ。彼ったらひどいのよ。私という者がありながら、塾で彼女を作ってしまったの! そもそも塾って勉強しに行く場所でしょう? それなのに恋愛なんかにうつつを抜かして。受験生がそんな浮ついた心でいいんですかねー?」

「あれ? 花子センパイも塾で恋をしていたような」

「彼があの女に告白するシーンをまざまざと見せつけられた私の気持ち、旭に分かる?」

「見てたんですか!?」

「ええ、ずぅ~っとね。なかなか言い出せなくてもじもじする彼と、頬を赤らめてキュンキュンしている彼女。……そして、その横で歌舞伎役者みたいににらみを利かせている私。もう憎らしいったらありゃしない」

「なにやってるんですか、花子センパイ」

「そうだ。いっそのこと、塾の女子トイレを全部つまらせてやろうかしら。あのドロボウ猫のあたふたする顔が目に浮かぶわ。うふっ、うふふっ」

「いたずらはやめましょうね」


 花子センパイはかなり悪い顔をしている。せっかくの美少女が台なしだ。

 私は心が荒れに荒れている花子センパイをなんとかなだめ、ふぅー、と額の汗をぬぐった。


「でも、安心しました」

「あーさーひィー、私が失恋して安心したってどういうことォー?」

「ごっ、ごめんなさい! そういう意味じゃなくて!」


 花子センパイが目をむく。私はあわてて説明した。


「美幽センパイにさよならを告げられたのがいまだに信じられなくて。もしかしたら、美幽センパイは今も私のそばにいるのに、見えなくなっちゃったのかもって思ったから」


 美幽センパイがいなくなるなんて、やっぱりおかしい。だから、今も私のことをどこかで見ているんじゃないかって、ずっとそんな気もしていて。

 それなのに、私が幽霊を見る能力を失っていたら……想像するだけで怖くなる。


「でも、今の私にも花子センパイが見えるから。私に幽霊が見えなくなったわけじゃないと分かって安心しました」


 きょとんとした顔で私の話を聞いていた花子センパイが、はぁ~っ、と嘆かわしげに深いため息をついた。


「アンタ、なにも分かっていないのね」

「どういうことです?」


 私がたずねると、花子センパイはわずかに眉をつり上げた。


「アンタ、これまで美幽のこと、ずっと見てこなかったじゃない」

「そんなことありません。この学校に来て美幽センパイと出会って、それ以来ずっと美幽センパイの姿を見てきました」

「たかがひと月の話じゃない。つまり、それ以前は美幽が見えていなかったんでしょう?」

「――えっ?」


 花子センパイがなにを言おうとしているのか、話がまったく見えてこない。

 それ以前って、どういうこと?


 花子センパイは、とまどう私にきっぱりと言い放った。




「美幽はずっと前から旭を見守り続けていたわ。旭が気づく、ずぅ~っと前からね」

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