第44話 センパイの言う『自立』って、どういう意味ですか

 学校に来れば美幽センパイと会えるかもしれない。

 そう期待していたけれど、けっきょく学校でも美幽センパイの姿を見つけることはできなかった。

 それどころか、かえって吉乃ちゃんに美幽センパイを解放してあげるようにと忠告されてしまった。


 私はすっかり気落ちして、立ち上がることさえできず、吉乃ちゃんの肩を借りて保健室にやって来た。

 朝の保健室にはスクールカウンセラーの柳先生の姿もあった。

 吉乃ちゃんが、失礼しました、と品よくおじぎをして保健室を去っていく。


「平熱ね。教室に戻れる?」


 保健室の先生が体温計を片手にたずねてきた。

 私は首を横にふった。とてもそんな気分じゃない。

 すると、そばにいた柳先生が私を気づかって声をかけてくれた。


「浅野さん。よかったら、私と少しお話しましょうか」


 柳先生は、保健室のとなりにある相談室へと私を招いた。ディズニーのぬいぐるみが置かれた、心が和むような部屋だった。

 丸椅子に力なくちょこんと腰を下ろす。

 柳先生もまたキャスターつきの椅子に座り、気さくに話しかけてくれた。


「今朝はなにを食べてきたの?」

「なにも食べてません。食欲がわかなくて」

「なにか心配事でもあるの? いやな授業があるとか」

「そういうのはないんですけど」

「けど?」


 柳先生は若くて美人な癒し系で、声もふわりとかわいらしい。けれども、言葉じりを逃さない鋭さを持った人でもあるようだ。

 柳先生は興味深そうに言葉の続きを待っている。

 観念して、私は口を開いた。


「大切な友だちが急にいなくなっちゃって」

「友だちがいなくなった?」


 柳先生の不思議そうな声に、私は力なくうなずいた。


「……そう。それはとても悲しいことね」


 柳先生はしみじみと私に同情を示した。


「浅野さんの気持ち、よく分かるなぁ。私にも同じような経験があったから」

「先生にもですか?」


 私はびっくりした。

 もしかして、柳先生にも私と同じように幽霊が見えるのだろうか? 

 私は勇気を出してたずねてみた。


「もしかして、先生にも見えるんですか?」

「見えるって、なにが?」

「幽霊です」


 すると、柳先生はくすくす笑い出した。


「幽霊は見えないかなぁ」

「そうですか……ですよね」


 かすかな期待が急にしぼんでいく。それなら、柳先生に私の気持ちなんて分かるはずない。

 けれども、柳先生は私を安心させるように言う。


「でもね、浅野さんの気持ちは分かってあげられるわ。だって、私の胸には大切な友だちを失った痛みが今も刻みこまれているから」


 柳先生はその痛みをたしかめるように胸元に手のひらを押しあてる。

 表情こそ柔らかいものの、やや下がり目の美しい瞳には悲しみや切なさがにじんで見えた。


「それで、その大切な友だちは浅野さんになにか言っていなかった?」


 柳先生にたずねられ、私は美幽センパイと最後に交わした会話をふり返る。

 夕日に沈む赤と黒の入り混じった稲荷神社の境内で、美幽センパイは私に教えさとすように言った。



――誰だって、いつかは自立しなくちゃいけないわ。そうやって人は強くたくましく一人でも生きていける力を身につけるのよ。



 柳先生は私の答えを聞くと、椅子に背をあずけ、深く息を吐いた。


「それを聞いて、浅野さんはどう思った?」

「言われた時はさみしかったです。でも、そうなのかな、とも思いました」


 正直な気持ちだった。

 自立して、一人でも生きていける力を身につけることは、たしかに必要なのかなって思う。強くなれとか、そういう歌詞の歌が流行っていたりするし。特に私は一人になりがちだから。


 すると、柳先生は身を乗り出すように前に出て、私との距離をつめた。

 そして、きれいな手で私の両手を包みこむようににぎってきた。

 柳先生の温もりが手のひらから伝わってくる。


「たしかに、それも自立かもしれない。でも、浅野さんはそう言われてさみしかったのでしょう? だとしたら、それはほんとうの『自立』ではないかもしれないわ」

「ほんとうの『自立』?」

「うん。その意味を考えてみてくれるかな」


 柳先生のまっすぐな瞳に見つめられて、私は一生懸命考える。

 けれども、中学一年生の私にはまだむずかしい。自立って、一人で立つって意味じゃないの?

 私が考えあぐねていると、柳先生は優しく微笑んで教えてくれた。


「ほんとうの『自立』はね、困った時にちゃんと『助けて』と言えることよ」


 柳先生の口から告げられた言葉は、私にはとうてい思いもよらないものだった。


「えっ? 自立って、なんでも一人でできることじゃないんですか?」

「人は誰もがけっして一人で生きているわけじゃない。みんなで助け合って社会を生きているの。だから、自分一人でなんでもできる人なんて、ほんとうはこの世界にはいないのよ」

「そうなんだ……」

「だから、困った時に助けを求めるのはしぜんなことだし、むしろ『自立』した行為なのよ」


 もしかしたら、今の私には柳先生の話がちゃんとは理解できていないかもしれない。

 だって、社会なんてあまり意識したことがなかったから。

 けれども、柳先生の言葉の温かさは胸いっぱいに染みわたった。


「もちろん、助けてもらったら、その分ほかの誰かを助けてあげなきゃね」

「つまり、助けたり助けられたり、そうやって支え合える人が『自立』した人なんですか? なんでも自分一人でするのではなく」

「私はそう思ってる」


 柳先生はにこやかに微笑み、ふと遠い目をした。


「でも、中学生のころの私にはそれが分かっていなかった。そして、消えてしまったあの子にも……」

「あの子?」


 柳先生がうなずく。


「自分の力でなんでもできると信じて疑わない、純粋でキラキラとまぶしく輝く女の子だった。でも、一人で抱えこんで、苦しい生き方をさせてしまった。叶うなら、もう一度会って謝りたい……」


 柳先生のきれいな瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 柳先生の言葉は私に向けられているようでもあり、独り言のようでもあった。

 柳先生は涙を指の背でぬぐい、私に微笑みかけてくれた。


「だから、浅野さんも困ったことがあったら遠慮なく言ってね。そのためのスクールカウンセラーなんだから」


 温かい言葉に心がふわりと軽くなっていく。


 一方で、柳先生が今でも過去の暗い影を引きずっているような気がして、胸が切なくしめつけられもするのだった。


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