第40話 センパイ、いなくならないで

 吉乃ちゃんは落ち着きはらった声で告白する。


「私は稲荷神社から参りました、神様の使いの子狐です。以後お見知りおきを。……あぅ、旭さん、なぜ私の耳をもふもふなさるのです?」

「ごっ、ごめん。でも本物なのかなって、つい」


 私の手はしぜんと吉乃ちゃんの狐の耳に伸びていた。

 ふさふさした毛並みといい、たしかな肉感といい、まちがいなく本物のようだ。

 私のとなりで、美幽センパイがスマートフォンを片手にはしゃぎ出す。


「吉乃ちゃんの狐のコスプレ、かわいい~っ! 写真撮ってもいいかしら?」

「むっ。コスプレではありませんよ。本物です……きゃっ! 尻尾をもふもふするのも禁止です」


 吉乃ちゃんはわずかに赤らんだ頬をぷぅっとふくらませ、美幽センパイに注意した。

 『稲荷神社』という単語を聞いて、私はピンときた。


「もしかして! 吉乃ちゃんって、あの稲荷神社の狛狐だったの!?」

「その通りでございます」


 稲荷神社に行くたびに狛狐の一匹がいないので不思議に思っていたけれど、まさか吉乃ちゃんだったなんて!


「黙っていてすみません。ですが、任務のために正体を知られるわけにはいかなかったのです」

「任務?」

「はい。最近、幽霊の動きが活発なので様子を見てくるようにと神様から申しつけられまして。それで、幽霊の動向を静かに見守っていたのです」


 なるほど。それで美幽センパイは教室で奇妙な視線を感じたのか。

 吉乃ちゃんは大きな尻尾をひるがえし、ポニーテールの美少女、花子さんと向き合った。


「花子さん、あなたが悪さをくり返すようなら、私はあなたを祓わねばなりません」

「あら、私の恋を邪魔しようっていうの? でも、はたしてアンタにできるかしら? たかが子狐の分際で」

「黙れでございます」


 吉乃ちゃんと花子さんの視線がぶつかり、バチバチと火花が散る。

 たちまち、吉乃ちゃんと花子さんの間に険悪なムードがただよいはじめた。


「まあまあ、二人とも落ち着いて」


 美幽センパイがあわてて二人の間に割って入り、互いをなだめる。


「花子ちゃん。誰かに恋をするのは素晴らしいことよ。でも、周りに迷惑をかけてはいけないわ。きっと彼も喜ばないと思うし」

「そうよね……。ごめんなさい。これからはきちんと片づけます」

「吉乃ちゃん。この通り、花子ちゃんは反省しているわ。今夜は見逃してもらえないかしら」

「分かりました。ですが、神様があなた方を見守り続けていることだけは、お忘れなく」


 吉乃ちゃんは気持ちをおさめ、涼やかな目でさらに続けた。


「美幽さん。あなたは今でこそ優しい幽霊のようですが、この世に対する恨みや憎しみが重なれば、いつ悪霊に身を落とすやもしれません。そうなる前に、魂を自然に還したければ、いつでも稲荷神社をおたずねください」

「ん……。分かった、考えておくわ」


 美幽センパイは落ち着いた声で応える。

 横で聞いていた私の胸に、さみしい風が吹きこんだ。



――美幽センパイの魂を自然に還すってことは、つまり、美幽センパイがこの世からいなくなってしまうってこと?


――そんなの、絶対にやだッ!



 急に涙がこみ上げてきて、私は美幽センパイの身体に腕を回して抱きついた。


「私はいやです! 美幽センパイとずっと一緒にいたいです!」

「旭ちゃん……」


 美幽センパイが涙に震える私の頭をそっとなでる。

 美幽センパイの手はあいかわらず冷たかった。


「でもね、旭ちゃんだっていつかは自立しないといけないのよ」

「します! 約束します! だから、私のそばからいなくならないで!」


 私は美幽センパイを抱きしめる腕にさらに力をこめ、駄々をこねる幼子のようにしばらく泣き続けたのだった。


 こうして、今回の家庭科室事件は幕を閉じた。






 翌朝。


「ふわぁ~」


 学校の教室にたどり着いた私は、自分の席につくなり大きなあくびをした。

 美幽センパイも教室にやって来て、嬉しそうに声をかけてくれた。


「おはよう、旭ちゃん。眠そうね。かわいいまぶたがくっついているわよ」


 美幽センパイに笑われ、ごしごしと目をこする。

 それから目をぱっちり開けると、いつの間にか私の前に吉乃ちゃんが立っていた。


「おはようございます、旭さん」

「おはよう、吉乃ちゃん」

「旭さん。昨夜はずいぶん遅くなってしまいましたが、大丈夫でしたか?」

「それが聞いてよ、吉乃ちゃん。家に帰ったらお父さんがカンカンでさ」


 吉乃ちゃんとの会話に花が咲き、私はひそかに安心感をおぼえた。

 たとえ吉乃ちゃんの正体が神様の使いの子狐であっても、私にとって大切な友だちの一人に変わりはない。

 だから、吉乃ちゃんも変わらず私のことを友だちとして求め続けてくれると嬉しいな。 


 二人で会話を交わしていると、今度は瞳子ちゃんが教室に姿を現した。


「お、おはよう。旭、吉乃」


 瞳子ちゃんは昨日までとは異なり、私たちを下の名前で呼んでくれた。

 まだ呼び慣れないからか、不機嫌そうな、照れくさそうな赤い顔をしている。

 たちまち、心に温かいものが染みわたる。


「おはよう、瞳子ちゃん」

「おはようございます、瞳子さん」


 瞳子ちゃんはうなずき、さらに言った。


「二人とも、昨日はお疲れ。ところで、うちの学校に幽霊なんていなかったわよね?」


 いつものツンとした態度で念を押してくる瞳子ちゃん。

 私は吉乃ちゃんと顔を見合わせた。


「うん。いなかったよ」


 私たちは、この学校を守りたいという瞳子ちゃんの気持ちを知っている。

 だから、幽霊のことは私と吉乃ちゃんだけの秘密にしておこう。

 瞳子ちゃんにとって、幽霊はこの学校にはいてはいけないものなのだから。


 それから、瞳子ちゃんは口元に手をそえ、恥ずかしそうに声をひそめた。


「それと、私が怖くて気を失っちゃったこと、誰にも言わないでよね」


 ふふ、と吉乃ちゃんが微笑をこぼす。


「旭さん、いかがしましょう?」

「うーん。どうしよっか、吉乃ちゃん」

「絶対だからね、二人とも! 私たち、友だちでしょっ!」


 瞳子ちゃんは頬を真っ赤にして怒ったように訴える。


 私たちの明るい笑い声は、朝の教室によく響いた。


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