第34話 センパイ、推しの子がキレましたよ

 翌朝。

 私は登校すると、教室の机の上にスクールバッグを置き、廊下のつきあたりにある奥のトイレへと向かった。


 美幽センパイとの待ち合わせに使っていた家庭科室には、あの事件以来行っていない。

 また変に疑われてもいやだから、家庭科室を荒らした犯人がつかまるまで近づかないつもりだ。


 まもなく目的のトイレに到着した。


「おはようございます。美幽センパイ、いらっしゃいますか?」


 人気のない暗いトイレに呼びかける。

 返事はなく、乾いた声が固い壁に空しく反響するだけだった。

 今度は洗面台の前に立ち、鏡をのぞきこむ。


「センパーイ、もう朝ですよー」


 鏡に向かって声をかけてみたけれど、やはり声は返ってこない。

 鏡に顔を近づけて奥をのぞいたら、いつもの私のたぬき顔が映ってがっかりした。


 私はあきらめてトイレを離れた。

 教室に戻るのはゆううつだった。

 昨日の出来事を思い出すと、しぜんと足が重くなる。


 六条さんは私が犯人だと思いこんでいるみたいだった。

 他のクラスメイトはどうだろう? 昨日の終礼で六条さんが私を名指ししたのだ。それを聞いて、疑いの気持ちが芽生えたとしてもおかしくはない。

 そもそも、若杉先生だって私を怪しんでいるような気がするし。


 それでもなんとか教室にたどり着き、席に座って本を広げる。

 文芸部でも流行っている『ときめきハーモニー』のノベライズだった。

 共通の趣味を持っている文芸部の人たちの存在を心で感じながら読んでいると、ほんの少し強くなれた気がした。


 時間が経つにつれ、クラスメイトたちが次々と教室に姿を見せはじめた。

 明るい声で朝のあいさつを交わし、笑顔を見せ合っている。

 にぎわいはじめた教室に気をそがれつつ、本を読み進めていく。

 すると、予期せぬ声が耳に届いた。


「おはよう、浅野さん」


 名前を呼ばれ、びっくりして顔を上げる。

 なんと、私の席の前に立っていたのは六条さんとその取り巻きの子たちだった。


 身を固くして見上げる私と、口元に不敵な笑みを浮かべて見下ろす六条さんたち。

 私はまさにヘビににらまれたカエル状態。怖くて視線をそらすこともできない。


 六条さんが瞳に黒い光を宿し、私に問いつめた。


「浅野さんなんでしょう? 家庭科室を荒らしたの。昨日はちゃんと先生に謝った?」


 私は動揺と興奮とがない交ぜになったようなひどく不安定な感情に襲われ、しぜんと目尻に涙が浮かんできた。


 私はなにも悪いことはしていない! 勝手に決めつけないで!

 ……と言い返したかったけれど、身がすくんで声が出ない。


 それでもなにか言わないと、と焦っていると、ふいに別の声が耳を打った。


「六条さんは、旭さんが家庭科室を荒らしたところを見たのでしょうか?」


 よどみのない清らかな声だった。


「吉乃ちゃん!」


 なんと私の窮地を救ったのは吉乃ちゃんだった。

 吉乃ちゃんは涼しげな目で淡々と言葉を続ける。


「昨日、先生が『むやみに人を疑うことのないように』とおっしゃっていましたよね?」


 六条さんはまさか反論されると思わなかったのだろう。不機嫌そうに眉をつり上げ、頬をわずかに赤らめている。


「フンッ! 時間といい、タイミングといい、浅野さんしかいないんだから仕方がないじゃない。生徒が帰る時にはきれいに片づいていて、夜に誰も侵入しなかったのなら、朝しかない。そして、浅野さんは朝早くに誰もいない家庭科室にいた。だったら、犯人は浅野さんしか……」

「でも、見てはいないのでしょう?」

「み、見てはいないわよ」


 六条さんはぐっと息を飲み、素直に認めた。


「でしたら、旭さんが犯人とは言い切れませんよね?」


 吉乃ちゃんがわずかに唇の端を上げる。

 しだいに場の空気が吉乃ちゃんのほうに傾きはじめていく。吉乃ちゃん、強い!

 しかし、六条さんも負けていない。反撃の一手を言い放つ。


「それなら、守谷さんは犯人が誰だと思うわけ?」

「幽霊のしわざかと」

「……幽霊?」


 六条さんと取り巻きの子たちが思わず顔をしかめる。不思議な吉乃ちゃんワールドに理解が追いつかないみたいだ。

 六条さんが声を荒らげる。


「ゆ、幽霊なんかいるわけないでしょう!」

「そうでしょうか? ずいぶん前からうわさになっているようですが」

「うわさはうわさよ! おじい様が建てた校舎にそんなものがいるわけないんだから!」

「では、一緒にたしかめてみましょうか」

「……は?」

「今夜、校内を見て回りましょう。そうすれば幽霊がいるのかいないのか、はっきりするかもしれません」

「はああ~っ!?」


 六条さんの声が思わず裏返る。


「夜の学校を生徒が歩き回るなんて、そんなことできるわけないじゃない!」

「かわいい孫娘の頼みでもおじい様は許してくださいませんか? それとも、案外かわいがられていないのでしょうか」

「失礼ね! めっちゃかわいがられてるわよ! おじい様はメイプルシロップのように甘々で、私の頼みならなんだって聞いてくれるんだから!」


 六条さんが熟したリンゴみたいな真っ赤な顔で吠えたてた。


「そこまで言うなら、今夜、一緒に学校を見て回ってやるわよ! あなたたちもいいわね!」


 六条さんは後方にひかえていた取り巻きの子たちをふり返った。

 すると、取り巻きの子たちは顔を青くしてうろたえ出した。


「わ、私は塾があるから」

「私もピアノを習ってて」

「ちょうど好きな動画の生配信があって」


 取り巻きの子たちが次々と辞退を申し出る。

 ついに六条さんがキレた。

 

「もういいわよ、私一人で行くからッ! 浅野さん、あなたは来るんでしょうねッ!」


 六条さんは目を三角にして前のめりになり、怒りに任せて私の机をバンッ! と両手で叩きつけた。

 有無を言わせぬ勢いに、


「はいぃっ! もちろん行かせていただきます~っ!」


 私は首を縦にふらざるを得なかった。


 こうして、私と吉乃ちゃん、六条さんの三人で、今夜学校を見て回ることが決定したのだった。



 ……って、これってほとんど肝試しだよね?


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