第33話 センパイ、元気出してください

 まもなく私は職員室から解放された。


「はあぁ~」


 私は廊下に出るなり大きく深呼吸をした。

 けっきょく、家庭科室で一人でなにをしていたのか? という若杉先生の問いには答えられなかった。

 けれども、若杉先生はスクールカウンセラーの柳先生を紹介しただけで、それ以上私を問いつめはしなかった。

 柳先生は、


「この日なら学校に来ているはずだから、遠慮なく相談室をたずねてね」


 と、今後のスケジュールを教えてくれた。

 他の先生に比べて生徒と年齢が近く、笑った顔がかわいい柳先生はまさに癒し系だ。

 たいした悩みがなくてもつい相談したくなってしまう、とうわさになる理由がよく分かった。


「……やっぱり私、若杉先生に疑われているのかな」


 ぽつりと声がもれた。

 放課後にわざわざ私を呼び出し、スクールカウンセラーの柳先生を紹介するあたり、若杉先生が私に疑いの目を向けている感はぬぐえない。


 もしかして、私が家庭科室を荒らした張本人で、若杉先生には言えなくても、柳先生になら自ら罪を告白するんじゃないかって考えているのかな? だとしたら、すごくいやだ。


 それか、若杉先生にまでいつも一人でぶつぶつ言っている気味の悪い生徒だと思われているのかも。それで、私のことを柳先生に相談したのかもしれない。

 どちらにしても、あまりいい気はしない。


 あくまで想像上の話で、若杉先生が実際になにを考えているのかは分からない。けれども胸の奥がもやっとして、解放されても気分は晴れなかった。

 それにしても。


「センパイ、大丈夫ですか?」


 美幽センパイはいまだに感情の波が引かないのか、ひっく、ひっく……と両手で顔をおおって泣き続けている。

 美幽センパイ、いったいどうしちゃったんだろう? 柳先生と出会ったとたん、ぼろぼろと涙を流しはじめるなんて。

 私は美幽センパイをなぐさめたくなった。


「センパイ、よかったら帰りに稲荷神社に寄っていきませんか? あそこならゆっくり話ができますし、外の空気を吸えば気分が変わるかもしれませんよ」


 私の提案に、美幽センパイは両手で顔をおおったまま、こくん、とうなずいた。





 正門を出て、通学路をゆっくりと歩いていく。

 四月も下旬となり、緑の若葉はみずみずしい色を濃くしている。四時を過ぎてもまだ空には清々しい青さが広がっていた。


 美幽センパイは泣き止んだものの、唇をきゅっと固く結んで、ずっと静かだった。

 まるでなにかに耐えているかのように黙っている美幽センパイはいじらしくて、横顔を見上げるたびに胸がつまった。


 やがて稲荷神社に到着すると、私たちは境内に置かれたベンチに腰を下ろした。


「センパイ、どうか元気出してください。センパイが静かだと、私もさみしくなります」

「ありがとう、旭ちゃん。もう元気になったから大丈夫よ」


 私の励ましに、美幽センパイが嬉しそうな笑みで応える。

 時間が経って、ようやく落ち着いてきたみたいだ。


「いったい、なにがあったんです? いきなりあんなに泣き出して」

「私にも分からないの。柳先生を見たとたん、急に涙があふれ出して……。自分でも飛び上がるくらいびっくりしちゃった」

「まあ、センパイならほんとうに飛び上がれるんでしょうけど」


 重力にしばられず、自由に宙を舞い上れる美幽センパイが時々うらやましくなる。

 美幽センパイなら、身体測定のたびに体重を気にしてハラハラすることもないんだろうな。


「きっと柳先生があまりにキュートだったから、感動して泣いちゃったのね」

「うーん。そういう涙じゃなかったような」


 美幽センパイが職員室で泣き出した場面を思い出す。

 身体を震わせながら嗚咽をもらす美幽センパイはなんだか苦しそうで、となりにいた私まで辛くなってしまった。


「センパイ、柳先生に心当たりはあるんですか?」

「ううん、初めて見かけた先生だった。あんなにきれいな人なんだもの、一度見たら絶対に忘れないよ。あーあ、私も将来あんなきれいなお姉さんになりたいなー」


 美幽センパイは茶目っ気たっぷりに、のどかな声を伸ばす。


 美幽センパイには幽霊になる以前の記憶がない。

 もしかして、柳先生の存在もまた美幽センパイの過去に関係しているのかな?


 美幽センパイについて、分からないことはまだまだ多い。

 若杉先生のことがなぜ引っかかるのか?

 どうして柳先生を見て泣き出したのか?

 稲荷神社になつかしさを感じるのはなぜか?

 美幽センパイに記憶がないのはなぜか?

 そもそもなぜ幽霊になったのか?

 

 美幽センパイが教室で感じた視線の正体だって、いまだにつかめていない。

 解けない謎がいくつも重なって、頭がこんがらがってしまう。

 いつか、美幽センパイの秘密に近づける日が来るのだろうか?


「ありがとうね、旭ちゃん。旭ちゃんとお話ししたおかげで、気分がすっきりしたわ」


 やがて美幽センパイは立ち上がり、大きく伸びをした。


「さあて、そろそろ学校に帰ろうかな」

「え? いつもみたいにうちに来るんじゃないんですか?」

「うん。ちょっと調べたいことができてね」

「調べたいこと?」


 美幽センパイは、じゃあね、と軽やかに手をふって去っていく。


 美幽センパイ、いったいなにを調べるつもりなんだろう?


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