第五章 ようこそ、夜の学校へ

第31話 センパイ、もしかして私、嫌われていますか

 翌日、体育の授業があった。

 クラスのみんなは体育館の壁面ミラーの前で交互にダンスを踊っている。

 私は床に体育座りをして順番を待つ間、美幽センパイと小声で会話した。


「センパイ、今日も体操着に着がえたんですか。やる気満々ですね」

「だってダンス好きなんだもん。おっ、瞳子ちゃんだ。やっぱり上手ねー」


 どうやら美幽センパイの瞳には六条さんの麗しい姿が映っているようだ。

 六条さんは今日も華麗なダンスを披露し、できて当然とでも言いたげな勝ち気な態度を示している。


 理事長の孫娘である六条さんは、取り巻きの子たちを従えて、今日もクラスの女王様として君臨していた。

 クラスメイトたちは敏感に空気を読みながら、六条さんとの適切な距離をはかり、無難な声を交わして敵にならないように気をつかっている。


 ふと、六条さんと目が合った。

 一瞬、六条さんが険しく目をつり上げる。

 その目を見たとたん、胸に針が刺さったみたいにチクリと痛みが走った。


「……やっぱり私、六条さんに嫌われているのかな?」


 以前耳にしてしまった、六条さんの棘のある言葉を思い出す。



――ねえ、あの子。いつも一人でぶつぶつ言ってない?



 六条さんにとって、私はいつも独り言をつぶやいている気味の悪いキャラなのかもしれない。


 六条さんに美幽センパイが見えない以上、誤解されるのは仕方がない。

 けれども、六条さんの言葉には、他の子にはない絶対的な影響力がある。

 六条さんがひとたび不気味だと言えば、その言葉はすぐに取り巻きの子たちに引き継がれ、やがては教室中に伝染していく。

 そして、ついには六条さんの意見が教室みんなの総意になっていくのだ。


 けれども、美幽センパイは首を横にふる。


「心配いらないわ。旭ちゃんはこんなにかわいいんだもの。きっかけがあれば、瞳子ちゃんともすぐに仲よくなれるわよ」

「そうかなぁ。そもそも、きっかけがないような」

「大丈夫。旭ちゃんには私がついているでしょう? それに、吉乃ちゃんとだって友だちになれたじゃない」

「それはそうですけど」


 私は先に踊っている吉乃ちゃんをちらりと見た。

 吉乃ちゃんはヒップホップが性に合わないのか、先生の目を盗んでマイペースに日本舞踊を踊りはじめていた。つくづく不思議な子だ。


「旭ちゃんのことだもの、きっとすぐに友だちが増えるわ。だから心配しないで、今の旭ちゃんにできることだけを考えましょう」


 そうだった。

 頭のなかでいくら六条さんのことを考えたって、相手を変えられるわけじゃない。

 それよりも、今の私にできることを考えよう。

 私にできる小さなことを少しずつ積み上げていく。その先に、新しい友だちとの出会いがあるのかもしれない。


「よし、交代!」


 小熊先生が手を打ち、体育館に声を響かせた。

 私は立ち上がり、手で軽くお尻を叩いて鏡の前に立った。


 鏡越しに、六条さんが私をさりげなく見ていることに気がついてしまう。

 私はなるべく気にしないよう六条さんから意識をそらし、ダンスに集中する。


 私は美幽センパイみたいにうまくは踊れない。

 足の運びもおかしいし、手の位置も定まらなくて、不格好かもしれない。

 それでも、私は私なりに一生懸命練習する。

 今の私にできる精いっぱいを尽くすことだけを考える。

 きっと、それでいいんだ。


 となりで一緒になって踊っていた美幽センパイから、はつらつとした明るい声が飛んできた。


「そうそう、いい感じよ! 旭ちゃん、上手になってる!」


 こうして美幽センパイは今日も冴えない私を懸命に励まし、勇気づけてくれるのだった。






 一日のすべての授業が終わり、終礼の時間を迎えた。

 担任の若杉先生がみんなの前に立ち、おもむろに話しはじめた。


「最近また校内を荒らす行為があったようです。なにか心当たりのある人はいますか?」


 若杉先生は芯の太い声で、かしこまって座っている私たちにたずねた。

 家庭科室のことを言っているんだ、とすぐにピンときた。


 昨日の朝、私は家庭科室に本が散らばり、お皿が割れているのを発見した。

 きっと、先生たちは生徒が帰った後に家庭科室を見て回ったのだ。

 そして、ドロボウが入りこんだのではなく、やはり生徒のしわざだと確信したのだろう。それで、こうして私たちにたずねているのだ。


 若杉先生は教室をゆっくり見わたし、やがて私に目を向けた。私はあわててうつむいた。


「先生」


 突然、教室の沈黙をやぶる声が耳を打った。

 声の主は六条さんだった。


「いったい、どの教室が荒らされていたんですか?」

「家庭科室です。昨日、今日と続けて報告がありました」


 今日もだったんだ。

 今日は家庭科室には行っていないけれど、誰かが私と同じように異変に気づいて先生に伝えたのだろう。

 すると、六条さんが凛とした声ではっきりと明言した。


「家庭科室なら心当たりがあります。浅野さんです」



 ……えっ? 私?


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