第四章 あの子にも見えているの?

第23話 センパイ、あいかわらず推しの子が好きなんですね

 翌朝は、いつも以上に早く家庭科室にやって来た。

 なかはあいかわらずうす暗く、カーテンのすき間から陽の光が細く差しこんでいる。

 その白い光の先に美幽センパイはいた。


「センパイ、おはようございます」

「おはよう、旭ちゃん。いつも早いわね」


 美幽センパイは手をふって私を迎え入れてくれた。


「センパイこそ、いつも私より早いじゃないですか」

「だって、旭ちゃんに早く会いたいんだもの。旭ちゃんも私に会いたくて早くにやって来るのでしょう?」

「うーん……。その通りなんですけど、素直にハイとは答えにくいような」

「うふふ。私に会いたがってくれる旭ちゃん、かわいい」

「もうっ、そういうこと言うから素直に認めにくいんです!」


 私は恥じらいをごまかすようにツンと唇をとがらせる。

 私のことをかわいいと言うのは美幽センパイくらいだ。


 美幽センパイはいつだってこんな私を無条件に受け入れてくれる。

 それが嬉しくて、つい甘えたくなってしまう。

 

「それより聞いてくださいよ、センパイ」

「どうしたの?」

「実は、昨日お父さんが帰ってきてから、部活に入っていいか聞いたんです」

「それで、どうだった?」

「それが……あっさりOKもらえました!」


 私は興奮ぎみに打ち明けた。



 昨日の夜、私はお父さんにどう切り出そうか考えあぐねていた。


 どうか文芸部に入部させてください。家事も勉強もちゃんとしますから。

 ……なんて、変な約束を取りつけてしまうと、言質を取られて後で面倒そうだし。


 いっそ、入部しました、と事後報告にしたらどうだろう?

 でも、ほんとうはまだ正式に入部したわけじゃないから、うそをつくことになってしまう。

 そんなことをしたら、たとえ入部できても後味が悪くて気持ちよく部活動に励めない。


 けっきょく、考えがまとまらないうちにお父さんが帰ってきてしまい、仕方なく、


「あのさ、部活に入りたいんだけど……」


 とストレートに告げた。

 すると、お父さんはなんの部活なのかを聞いたくらいで、こっちが拍子抜けするほどあっけなく許可してくれたのだった。



「入部に反対されるどころか、新しいことにチャレンジするのはいいことだからって、かえって応援されたんです。お父さん、どうしちゃったんだろ?」

「旭ちゃんが苦手意識を持っているだけで、お父さん、ほんとうは旭ちゃんに好きなことをやらせてあげたいんじゃないかしら」

「そうでしょうか? 入部を認める代わりにもっと勉強しろ、家事をやれ、って見返りを求めてきそう」

「大丈夫よ。いつもがんばってくれている旭ちゃんに、きっと感謝しているわ」


 美幽センパイは、どういうわけか確信を持っているような話しぶりだ。

 私にはお父さんの腹の内は分からない。

 けれども、私のことをちゃんと見守ってくれてはいるんだろうな、とは思う。

 そう頭では理解しても、心が素直になれなくて、私はすねたように頬をふくらませた。


「まったく。もしそうなら、自分の洗濯くらいは自分でしてほしいものです」


 ふてくされる私に、美幽センパイは温かく微笑みかける。


「それじゃ、今日の放課後からさっそく部活に参加するの?」

「いえ、文芸部の活動は週二日なので、今日はありません。ただ、入部届だけは先に出さなきゃだから、今から職員室に行って用紙をもらってきます」

「善は急げね。私も一緒に行くわ」


 こうして、私は美幽センパイと共に家庭科室を飛び出した。

 すると、廊下に出たとたん、


「きゃっ!?」


 私は一人の少女とぶつかってしまった。


「す、すみません! 私の不注意で。……って、六条さん!?」


 なんと、相手は同じクラスの六条さんだった。

 六条さんは私の顔を見るなりわずかに表情を険しくした。

 その顔を見たとたん、心臓がぎゅっと縮むような痛みをおぼえた。

 六条さんは不機嫌そうに眉をつり上げ、ぶつかった肩を手で軽く払う。


「気をつけてちょうだい。だいたい、浅野さんはどうしてこんなところにいるの?」


 六条さんの鋭い目に見すえられると、つい委縮してしまう。

 どう答えたらいいだろう? まさか幽霊と会っていましたとも言えないし。


「ちょっと校内を見学していて」

「見学?」


 六条さんはますます疑いを深めたような目を向けてくる。

 私は焦ってさらに言葉を重ねた。


「うん。素敵な校舎だなーって。私、知らない場所がまだたくさんあるから」


 さすがに苦しくなってきた。だから、うそをつくのはいやなんだ。

 けれども、六条さんは私の説明に納得したのか、深くうなずいた。


「私のおじい様が建てた校舎だもの、素敵に決まっているじゃない。でも、廊下に飛び出すのは感心しないわ。まだ早朝とはいえ、生徒が歩いているのだから」

「ごめんなさい」

「ま、いいわ。それじゃ」


 六条さんは気持ちを収め、颯爽と去っていく。

 同じ一年生のはずなのに、私の遥か上に立っているかのような、あの風格はなんだろう? 

 美幽センパイが感心したようにうなずいた。


「さすがは理事長の孫娘ね。瞳子ちゃん、凛として素敵だわ~」


 どうやら美幽センパイの推しの座はゆるがないみたいだ。


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