第19話 マッサージ

 小凪こなぎを迎えに行ったあの日から数日後の、十月最後の土曜日。自室にて。


「──っ! ────っ!」


 俺は枕に顔をうずめ、羞恥の旨を叫んでいた。


 ここ最近ずっとこの調子で、なにもしていないときはほぼこうして悶えている。


 というのも、あの日俺がしでかしたことや発言は俺の想像以上に破壊力が高く、日が経つにつれ冷静になった精神を攻撃してくるのだ。


 なんだあのかっこつけた発言の数々……。いやかっこよくないし、なんというか……イタい!


 しかも俺がやったことだけを見れば、妹の同級生を言葉責めにした挙げ句泣かせたというもの。


 客観的に見れば鬼畜極まりない行いを、妹や妹の友人、そして偶然居合わせた一般生徒に見られていたこともかなり痛い。やめて、俺のライフはもうゼロよ。(自業自得)


 しかも、だ。散々と相手のことを主観的だの噂に対する根拠はなんだの言っていたのに、俺だって主観的な意見を並べているじゃないか。自分のことを棚に上げすぎ。


 噂のことだって、結局確かな根拠がなかったから鎌をかけたのだ。もし相手が冷静な状態なら、まず引っかからないだろう。


 詰めが甘い。考えが浅はか。感情的になって言動が矛盾してる。ダメダメ尽くしのダメ野郎の完成だ。


 あーやだ、もうやだ。もう家から出たくない……。


 そんな羞恥から、俺が家を出るのは学校かバイトのときのみ。買い物や寄り道なんて、する気は一切湧いてこない。


 特に登校するときは、小凪の学校に通う生徒とも間々すれ違うため、見られていないかと警戒して精神をすり減らしている。


 人の噂も七十五日と言うが、本当にそれだけの月日で俺の話は消えているだろうか……。


 胃痛すら覚えながら、しかしと俺は天井を向く。


 小凪からの報告によれば、あの日の翌日に影石かげいしさんがやって来て、根も葉もない噂を流したことや、これまでの嫌がらせのことについて謝罪してきたらしい。


 噂も影石さんが作った嘘だということが生徒に広まっていき、小凪に対する誤解もなくなっているとのこと。


 大勢の前で散々恥ずかしい姿を晒したが、小凪の平穏を取り戻せたので良しとしよう。


 まぁ、それでも恥ずかしさは拭えないんだけどな……。


「っ、はぁ……」


 体に溜まった疲労をため息に乗せ吐き出して、横を向く。


 さて、なにをするか。


 勉強をする気もないし、かといって寝る気分でもない。


 読書でもするか。


 本棚にある、未開封らしきマンガを見つけ起き上がる。


 買ってその日に読むという習慣がないから、ついついビニールがついたまま本棚に仕舞って放置してしまうんだよな。


 どんな話だったっけ、と前巻の内容を思い浮かべながらページをめくるも、どうにも内容が入ってこない。


 どうしたものか。そう悩んでいると、突然扉の向こうから「兄さん」と声がした。


 ベッドにマンガを起き扉を開けると、いつも通りのラフな格好をした小凪が立っていた。心配そうな瞳で俺を見上げている。


「えっと、大丈夫?」


「……まぁ、大丈夫だよ。まだ恥ずかしいけどな」


 再びあの日のことを思い出し、羞恥に頬を掻く。


 本当にらしくないことをした。小凪を助けられたのはいいんだが、もっと別のやり方があったんじゃないかとは今でも考える。


 まぁ、時は戻らないからな。漫才と違って。


「でも、かっこよかった」


「……そ、そうか。そう言われると、それはそれで恥ずかしいな……」


 お世辞なのかと考えてもしまうし、なによりこの歳になると身内からの評価は総じて気恥ずかしく感じる。


 なんなんだろうな。反抗期のように、思春期独特の心理反応なのだろうか。


 まぁ、そういった分野を勉強していないからわかるわけないが。


「それで、どうしたんだ?」


 寄り道しかけた思考を停止させ、小凪に用件を尋ねる。


 まさか先ほどの確認だけではないだろう。そう思ってのことだったのだが、小凪は「えっと」と答えを探すように視線を泳がせていた。


 まさか、本当に俺の状態を確認するためだけに呼んだのか? それはそれで気恥ずかしいというか、小凪にしては珍しいというか。


 やはり自分がらみのことだから、いっそう気にかけてくれているのだろうか。最近の小凪の様子を鑑みるに、その可能性も高い。


 小凪、いい子説。いや、小凪はいい子なんだが。


「にっ、兄さん、困ってることない?」


「困ってること? 特にないな……」


 強いて挙げるなら恥ずかしいことをした自分に対して困っている。


 俺の中にあんな一面があったとはな。


「じゃ、じゃあ、あたしにできることない?」


「小凪は充分できてるだろ」


 交代制ではあるが弁当を作ってもらっているし、この前は部屋の掃除もしてくれた。普段からキレイにしているから、あまりすることがなかったと言っていたが。


 誕生日も祝ってくれたし、誕プレもくれた。小凪が俺にしてくれたことは、挙げても挙げても切りがない。


 しかしその返答では満足できないようで、小凪は「あたしにしてほしいこと、なにかないの?」と少し強めに尋ねてくる。


 小凪にしてほしいこと、か。


 いろいろともらっている身としてなにかを要求するのははばかられるのだが、こうして小凪から迫られれば結構だとは言いづらい。


 なにかちょっとしたことをお願いして帰ってもらうか。


 そう考えた俺は、なにかしてほしいことと呟きながら思考を巡らせる。


 ふと、浮かんだのは膝枕だった。


 ……いやいやいや、あれは例外中の例外だったからな。要求はできない。というか妹に膝枕をねだるとかただの変態でしかない。


 なにかあるだろうか。そう思考していると、ふといつか見た番組を思い出す。


 ドッキリ系の番組だったのだが、その中にマッサージを織り込んだものがあった。


 マッサージか。まぁ、体育やバイトで多少なりとも疲労が溜まっている気がするし、それくらいが丁度よさそうだ。


 肩叩きとか、楽でいい気がする。


「じゃあ、マッサージを頼めるか?」


「わかった、任せて」


 小凪はダルっとした袖を捲り、自信ありげに笑ってみせた。




   ーーーーーーーーーー




 んー、これは……。


 ベッドにうつ伏せになり小凪のマッサージを受けること恐らく十分ほど。


 んーっ、と声を上げて俺の肩に体重をかける小凪。


 あー、ふーん、なるほど……よっわ。


 俺はあまりの弱さに、真顔になっていた。


 いや、正直これは、マッサージが始まった直後からなんとなく予感はしていたのだ。


 最初は、ベッドに腰かけて肩を揉んでもらっていたのだ。しかし小凪の力が弱く十分にできないため、こうして横になり小凪の全体重を用いることにしたのだが……。


 計算外だったのが、まず小凪の軽さ。身長もそこそこで体の発育もいいほうだと思うのだが、嘘のように軽い。


 そしてもう一つの誤算が、俺の体の具合である。


 同学年の男子に比べれば運動量は少ないし、それほど凝っていないだろうと思っていたのだが、むしろその逆。運動量が少ないため、週三の体育やそこそこ入れているバイトで簡単に筋肉が凝ってしまっていたのだ。


「っ、はっ……兄さん、カチカチ」


 はい、今のセリフで変な妄想をした人は、大人しくお縄についてください。


「なんで兄さん、こんなに凝ってるの?」


「運動不足なんだろ、たぶん」


 どこか不満そうな小凪にそう返し、俺は枕にぽふっと顔を沈ませる。


 というか、なんだ。全然大丈夫だと思っていたのだが、こうして凝っていることを自覚すると体が怠く感じる。どうしてなのだろうか。


 それからも諦めずマッサージをしようと奮闘していた小凪は、数分の格闘のすえ、最終兵器『足踏み』を使うことに決めた。


 こういうのって、小学生低学年くらいの子どもがやるマッサージだよな……。


 俺の中で、小凪=小学生並みの力という方程式が生まれた瞬間だった。




「兄さん」


 それからしばらくして、マッサージに疲れた小凪が口を開いた。


「なんだ?」


「マッサージしてほしい」


「……」


 はい、もうえっちな妄想はダメだからな。マッサージで思い浮かべたやつ、手を挙げろ。そしてそのまま交番まで走ってこい。


 そんなくだらない考えはさておき。


「それは〝お願い〟か?」


「えっと……うん、〝お願い〟」


 そういうことなら、と俺はベッドから起き上がる。


 入れ替わるようにして小凪がベッドに横になり──横になり?


「小凪、なんで寝てんだ?」


「足、マッサージしてほしいから」


「っ……はぁ、わかったよ」


 了承しつつ、俺は小凪に見えない位置でため息をこぼす。


 いや、なに。マッサージをするくらいはべつに構わないんだ。普段からお世話になっているわけだし、その程度のことでいいなら喜んで引き受けよう。


 しかし、しかしである。小凪の問題点の一つに、部屋着が無防備すぎるというものがある。本日も例に漏れず、素足を大胆に露出している。


 いくら肉親とはいえ、妹の素足を触るのには抵抗がある。せめてズボンくらい穿いてくれていればよかったのだが……。


 そんな文句は言ってられず、俺は意を決してマッサージをすることにした。


 まずはふくらはぎ。


 ツボなどはわからないが、それとなく揉んでみる。


「んっ」


「……」


 一瞬、小凪の口からなにか艶かしい声が聞こえたような気がしたが、気のせいだと自分に言い聞かせる。


「んっ……ふっ……んんっ」


 無視、無視、無視。無視だ、無視をするんだ俺。ゾーンに入ったかのように、聴覚を遮断するんだ……っ。


 そんなことを考えながらマッサージを続け、太ももに移った。


 あーもう、柔らかいです。なんかいけないことしてる気分……。


 あまりの緊張に、マッサージを終えたとき、本当にゾーンに入ったように太ももをマッサージしているときの記憶が抜けていた。


 小凪が満足そうな様子だったので、まぁよしとしよう。



 小凪が労ってくれたのに、結局最後はまた疲れた……。


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