第三章 ~『アトラスとウシオの闘い』~
一勝一敗。ウシオとアトラスの二人が戦う大将戦こそ、チームとしての勝敗を分ける決定戦だ。
だがウシオにはチームの勝利のことなど頭にない。眼前の憎き相手を屈服させることで頭の中がいっぱいになっていた。
「まさか俺様と対等な立場になったつもりじゃないよな?」
「随分と上からだな」
「当然だ。俺様は学年最強のウシオ様だぞ。てめぇら凡人どもとは才能が違うんだ」
ウシオの挑発はアトラスにだけ向けられた言葉ではない。観客席の生徒たちとも実力が違うのだと誇示していた。
だからこそ反感の輪が広がる。張り詰めた空気が弾けるように、ウシオに対する非難が爆発した。
「ウシオ、負けろおおっ!」
「一年生のくせに調子乗んな」
「うぜええ」
ウシオに対する負の感情は連鎖し、罵倒が尽きると、今度はアトラスの応援へと変わる。
「アトラス頑張れえええっ」
「ウシオを倒してくれ」
「お前が次の最強だああっ」
声援が次第に大きくなっていく。その中には驚くべき声も混じっていた。
「アトラスさん、頑張ってください♪」
第一王女がアトラスに声援を飛ばす。本来公平であるべき主催者の声援に、場の空気がざわめいた。
(今の声、やっぱり俺は聞いたことがある)
記憶の中から声の主を探るが、観客席の声援で上書きされてしまう。姫の後押しが加わり、場の空気がアトラス一色に染まる。
「随分と人気者だな。でもまぁ、仕方ねぇか。観客はいつだってジャイアントキリングを求めるものだ。最弱のアトラスを応援する奴らの心情も理解できる」
「その解釈は都合が良すぎるだろ。ただウシオの性格が悪いから、負けて欲しいだけじゃないか?」
「うぐっ……い、言うじゃねぇか。だがいいのか。俺様を怒らせれば怒らせるほど、試合で酷い目にあうことになるんだぜ」
「問題ない。なにせ俺の方が強いからな」
「虚勢を張るな。だがまぁ、俺様の前に立てた勇気だけは褒めてやるよ」
「度胸ね……確かに俺はクラスメイトを囮にして逃げたりしないからな。誰かさんより勇敢かもな」
「――ッ……おい、早く試合を始めろおおっ!」
「舌戦で敵わないから暴力か。ゴブリンでももう少し理知的だぞ」
「うるせえ! 早く開始だ!」
審判役の教師はアトラスに目で合図を送る。彼もまた準備は完了している。互いが始められる状況なら、開始しない理由はない。
「互いの準備完了を承知した。では両者構え。試合開始いいいっ!」
開始の合図と共にウシオは全身から魔力を放つ。刺すような魔力はバロン兄弟の三倍近い魔力量だった。
アトラス一色だった観客席は沈黙に包まれてしまう。
「クククッ、見たかよ。俺様の魔力にビビった奴らがダンマリだ。てめぇも怖ければ震えていいんだぜ」
「さすが学年一位だと感心はしたよ。だが恐ろしくはない。魔力量も俺の方が上だからな」
ウシオの魔力が霞むほどの魔力をアトラスは放つ。その圧倒的な力はウシオの表情を変えさせるのに十分な驚きを与えた。
「おい、てめぇ、この短い期間に何があった?」
「それを知ることに何か意味があるのか?」
「秘密ってことか。だがまぁ関係ねぇのは事実だ。魔術師の戦闘は魔力がすべてじゃねぇからな!」
ウシオは拳を握り込んで、胸の前で構える。その構えには見覚えがあった。
「王国格闘術か……」
「知っているのなら話は早え。魔力が引き上げるのは身体能力だけ。てめぇがどんな馬鹿力になろうが、俺様に当たらなければ関係ないのさ」
「当たらなければな」
以前のアトラスならば力任せに殴ることしかできなかった。だが今の彼は違う。マリアから学んだ格闘術がある。
脇を締めて、両手を顔の前で構える。その立ち振る舞いに隙はない。王国打撃術の型をその身に体現していた。
「恥を掻かせてやるぜ、アトラス!」
ウシオはアトラスの構えの完成度に気づいていなかった。魔力が多くても体術は素人だと、油断したまま接近すると、捻りながら正拳突きを放つ。
しかしその拳がアトラスに命中する直前、アトラスは正拳突きを捌き、ウシオの態勢を崩す。しまったと、後悔が彼の頭に過ったときにはもう遅い。捌いた手をそのまま裏拳として放ち、彼の鼻を押しつぶす。
裏拳を防御しきれなかったウシオは、吹き飛ばされてリングを転がる。リング外へ落ちる直前のところで何とか耐えるが、潰れた鼻から血が溢れ出ていた。
「ははは、さすがは学年最強。咄嗟に魔力で防御するなんてやるじゃないか」
「……ッ……う、上から俺を見下すんじゃねぇ!」
鼻を潰されると、泣きたくなくても生理現象で涙を流してしまう。人前で泣いてしまった恥じらいが怒りを加速させていく。
「怒鳴るだけじゃ俺は倒せないぞ」
「言われなくてもやってやらああっ」
ウシオは再び間合いに入ろうと駆けだそうとするが、殴られた痛みが頭を冷静にした。踏み込む一歩目で足が止まる。
「油断していたぜ。てめぇ、いつの間に王国格闘術を習得していたんだ?」
「優秀な教師に教えてもらってな」
アトラスの付け焼刃の格闘術は打撃だけに特化した訓練だったことと、膨大な魔力量による超人的な身体能力のおかげで、一流相手でも十二分に通じる練度へと達していた。
単純な殴り合いでは勝てないと、ウシオは自覚する。
「いいぜ、認めてやるよ。てめぇは強い。体術だけなら間違いなく俺よりも上だ。だがな俺たちは魔術師だ。勝負を決めるのは、いつだって魔術なんだよ」
ウシオの言い分はある意味で正しい。強敵相手でも必殺の魔術が決まれば下剋上を成し遂げることは不可能ではない。
「てめぇはカスリ傷さえ治せない最弱の回復魔術師だ。その力で俺様の《爆裂魔法》に抗ってみろよ」
「抗う? 場の空気を読めないのか?」
「はぁ? 空気だぁ?」
観客たちの二人に向ける目は試合前とガラリと変化していた。
最弱のアトラスが最強のウシオに挑む構図から、今ではそれが逆転し、必死に抗うウシオを憐れむ空気が生まれていた。
憐憫は弱者にのみ与えられる感情だ。常に強者であり続けたウシオには耐え難い屈辱だった。
「アトラスを倒したら、次はてめぇらの番だからな。覚えとけよ」
第三者の評価が既にアトラスへと傾いている。これは客観的な実力ではウシオが劣っていることを意味する。
侮辱に耐えながらも、緩んでいた気持ちを締めなおす。秘匿すべき魔術を公開してでも倒すと決め、ウシオは駆けだした。
「さっきより随分と速いな」
速さの秘密は足元を爆破してスピードを上昇させていたからだ。クロウほどの高速移動はできなくても、十分に身体能力の底上げになる。
「これでも食らえやっ」
爆風で加速した勢いをそのままに、ウシオは前蹴りを放つ。しかし圧倒的魔力を保有するアトラスにとって、その蹴りは脅威となりえない。
蹴り足を受け止めるために魔力の鎧で体を守る。蹴りが命中するが、衝撃は鎧を貫通し、身体に傷を負わせるほどの威力ではない。
「てめぇの魔力ならそのまま受け止めると思ったぜ」
命中したウシオの蹴り足から魔力が放たれる。その魔力は《爆裂魔法》によって殺傷力の高い爆炎へと変化し、アトラスを吹き飛ばす。
「はははッ、これこそが俺様の《爆裂魔法》の真骨頂。体術と爆破のコンビネーションは、てめぇの魔力の鎧さえも粉砕するっ!」
打撃と共に放たれる《爆裂魔法》は格上の魔術師を殺しうる強力な技だった。
最初の打撃で魔力の鎧を破壊し、本命の《爆裂魔法》で肉体を粉砕する。二段構えの連撃はアトラスの上半身を吹き飛ばしているはずだった。
「どうやら俺も油断していたようだな」
爆炎の中からアトラスが姿を現すが、目立った傷はない。必殺を確信しながら、失敗した事実にウシオは困惑する。
「おい、てめぇ。どうして生きてやがる?」
「さぁ、なんでかな?」
「チッ、もう一度試してみるしかねぇか」
「いいや、次はない。なにせこれからはずっと俺の番だからな」
アトラスは拳を顔の前に構えると、魔力を放出して間合いを詰める。そして脇を締めながら、拳を軽くウシオの顔に当てる。
「うぐっ」
打撃は命中するが、体重を乗せていない一撃だ。顔を吹き飛ばすまでには至らない。さりとてアトラスの魔力により強化された一撃を受ければタダでは済まないのもまた事実。前歯が折れて、白い歯と口から噴き出た赤い血が宙を舞う。
(俺のパンチは軽い一撃でも十分な威力がある。ならば躱すのが難しいジャブの連打こそ最良の戦術だ)
ステップを踏みながら、連続で放たれる軽い打撃にウシオはただ耐えることしかできない。
鼻を折られ、歯を折られ、目は腫れあがり、口からは血が溢れている。満身創痍になるウシオ。だがそれでも彼は逆転を諦めてはいなかった。
「この俺を舐めるんじゃねぇええ!」
打撃に耐えながらも、逆転の望みを賭けて、ウシオは拳を振るう。しかしそれはアトラスにとってもチャンスであった。
ウシオの放たれた拳を躱すと、足を一歩前へ出し、温存していた右手を彼の顔面に叩きつける。
カウンターで入った一撃を耐えられるはずもない。顔面に直撃を受けたウシオは、意識を失った状態でリングを転がり、そのままリングアウトで敗北した。
決着が付いたことで、呆然と試合を観戦していた観客たちは、ハッとしたように拍手を送る。
「最高の試合だったぜ!」
「誰だよ、アトラスのことを最弱魔術師って呼んだ奴!? 最強の間違いだろ!」
「うおおおっ、アトラスさんはすげー男だぜ」
賞賛を浴びるアトラスに審判役の教師が近づく。そして彼の腕を掴むと、勝ち誇らせるように持ち上げる。
「勝者、アトラス。よって選考会は二対一でアトラスチームの勝利だあああっ!」
審判の勝利宣言により闘技場が喝采に包まれる。最弱魔術師の汚名が返上された瞬間だった。
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