第三章 ~『マリアとリック』~
「あ、あなたは……ぐすっ……い、生きていたのですね……っ……」
アトラスの顔を見た瞬間、マリアは目尻から涙を零す。死んだはずの彼が生きていたことへの感動の涙だったが、そうは解釈しない者もいた。
「貴様あああっ、平民の分際で姫様を泣かせたなっ!」
叫び声を上げたのは甲冑の騎士だった。整った顔立ちと、綺麗な黒髪の美少年は、腰から剣を抜く。
「ま、待って、リック。この人は――」
「姫様、ご安心ください。あなた様の忠臣リックはすべのて事情を察しています」
「そ、そうなのね。それなら安心――」
「つまりこの男は敵ということですね!」
「察してなかったのね!」
フドウ村の事件のせいで、騎士にマリアが襲われていると誤解していたが、二人の話を聞く限り、親しい仲だと分かる。
(無用な心配だったな……)
アトラスは警戒を解くが、リックは敵意を込めた視線を向ける。
「アトラスとか言ったな。私の剣で成敗してくれる。覚悟しろ!」
リックは身体から魔力を放出し、剣を上段に構える。
「私の魔法は『硬直』。剣で斬った相手の身体を動かなくすることができる!」
「…………」
「ははは、恐ろしくて声も出まい」
「いいや、自分の魔法をペラペラと話すお前に呆れていただけだ」
嘘の魔法を語っている可能性もあるが、傍で話を聞いていたマリアも呆れていることから、真実なのだろう。
「行くぞ、悪党! 正義の剣で散るがいいっ!」
リックの剣が振り下ろされるが、アトラスは何もせず、ただその剣を受け入れる。
全力で放たれた一刀だった。しかしアトラスの魔力の鎧は厚い。剣が肉を裂くことはなかった。
「き、貴様あああっ、抵抗するのかああっ」
「してないだろ」
「言い訳するなああっ」
再度リックの剣が襲うが、圧倒的な実力差を超えることはない。まるで蟻が象に挑むかの如き愚行であった。
「はぁはぁ……ぐっ、わ、私は負けない……」
「諦めろよ。魔術を扱えるならともかく、中級魔術師に敗れるほど弱くはない」
「――ッ……わ、私の一番気にしていることを……」
「それよりも『硬直』の魔法は剣でダメージを与えないと発動しないんだな。勉強になったよ」
強者の余裕を浮かべるアトラスと、息を荒げるリック。最初は慌てて止めようとしていたマリアだったが、今では微笑ましげに二人を見つめている。
「リック、気が済みましたね。あとは私が話しますから、離れていてください」
「ですが私は姫様の――」
「良いのです。それにアトラスさんが暗殺者なら私はとっくに死んでます」
「――ッ……わ、分かりました。大人しくしています」
リックは剣を鞘に納めると、アトラスたちから距離を取る。
「これで落ち着いて話せますね……まずはフドウ村の件、改めて感謝します。あなたがいなければ私も子供たちも死んでいました」
「子供たちは今どこに?」
「フドウ村とは別の村の孤児院に預けています。今度、連れてきますね」
「別にいいさ。感謝されたくてしたことじゃないからな」
自分の信じる正義のためにした行動だ。子供たちが無事であると知れたなら、それで満足だった。
「やっぱりアトラスさんは優しい人ですね♪」
「俺がか?」
「はい。先ほどのリックの闘いでもそうです。実力差は圧倒的でしたが、あなたは手を出しませんでした」
「優しいのはお互い様さ」
リックの剣戟は初撃から徐々に威力を上げていった。最初の一刀は最低限の負傷で済ませようと配慮していた証拠である。
「そういや、リックとはどういう関係なんだ?」
「気になりますか?」
「そりゃな。なにせ姫だからな」
「リックは私の護衛であり、友人です。時々お馬鹿さんになりますが、私のようなポンコツを尊敬してくれる優しい子なんです……」
「つまり孤児院の子供と同じ取り巻きってことか?」
「立ち位置的には近いと思いますよ」
「せ、清楚な見た目に反して業が深いんだな」
取り巻きたちに姫と呼ばせて、コミュニティを支配する女性がいると聞いたことのあったアトラスは、彼女もまたそのような人物なのだと誤解する。
「それにしてもリックに勝てるなんて、アトラスさんは優秀なのですね……でも考えればそれも当然ですね。私たちの逃げる時間を稼ぎながら、フドウ村から生還したのですから。あの後、どうやって脱出したのですか?」
「敵を倒してだな」
「あの襲ってきた上級魔術師をですか?」
「ああ」
「…………」
マリアは呆気に取られていた。『創剣』の魔術師は王国でもトップクラスの実力者だ。その彼を打ち破ったというのだから、驚くのも無理はなかった。
「もしかしてアトラスさんは一学年の生徒ですか?」
「そうだが。それがどうかしたのか?」
「いえ、第一学年最強の魔術師は『爆裂魔法』を使う噂を思い出したのです。もしかしてそれはあなたのことではありませんか?」
「…………」
否定も肯定もせず、沈黙で返す。
(《爆裂魔法》は使い手のほとんどいないレアな力だ。その力を回復魔術師が習得していると知られれば、俺の能力に推測が付くかもしれない)
口止めすべきだと判断し、回答を頭の中で整理する。
「あー、そのことなんだが、俺は一学年最強の男とは別人だ」
「ふふふ、謙遜しなくても良いのですよ」
「本当さ。だから《爆裂魔法》の使い手はもう一人いるんだが、実はそいつと揉めていてな。俺はそいつに勝たなくてはならない。勝算を上げるためにも魔法については秘密にしてくれ」
「魔法は秘匿すべきもの。アトラスさんが隠しておきたいなら口外はしません」
「助かるぜ」
「ですがアトラスさんの実力なら学生など敵ではないのでは?」
「いいや、そうとも言い切れない。魔力量だけなら負けない自信があるが、体術が素人同然でな。親友からも敗因になり得ると指摘されたばかりなんだ」
「体術ですか……よければ私が力になりましょうか?」
「マリアが?」
「ふふふ、私は魔術に関してはポンコツですが、剣術と格闘術に関しては王国でも屈指の腕前だと自負しています」
「そんなにも強いのか?」
「論より証拠。証明してみせましょう♪」
マリアはアトラスの襟首を掴むと、足を払って、宙に浮かせる。何が起きたのか分からないまま、彼は地面に叩きつけられていた。
「怪我はありませんか?」
「魔力の鎧で防御しているからな。だが……驚かされた」
「いまのは王国格闘術の投げ技の一つです。その他にも打撃技や関節技があり、細かな技術も含めれば技の数は千を超えます」
「その技をすべて使えるのか?」
「ええ。師範からも格闘術の才能にだけは恵まれていると褒められましたから♪」
「…………」
アトラスの目に映るマリアが、か弱き少女から、尊敬すべき武術家へと変化する。気づくと頭を下げていた。
「改めて頼む。俺に格闘術を教えてくれ」
「もちろん構いませんよ。ただ私の特訓は厳しいですから。覚悟してくださいね♪」
「強くなるためならスパルタもドンと来いだ」
格闘術の師を手に入れて、アトラスはさらなる強さの頂きを目指すのだった。
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