第3話『モテない男の主張』

「授業の進行には余裕があるから、今日の数学はホームルームにしよう!」


 授業開始直後。

 開口一番、坂口先生はそう言って、黒板に何事か書き始めた。


『恋愛困難者』


「これ、どういう意味か、知らない奴はいないよな? 恋愛力が低すぎて、恋愛がしたくてもできない人たちのことを指す言葉だ。つまり、かいつまんで言うと……」


 チョークが黒板に当たる硬質な音が断続的に響く。


『恋愛困難者=致命的にモテない人』


「少し乱暴な言い方になるが、こういうことなんだ」


 乱暴っていうか失礼な言い方ですよねそれは?

 だいたい致命的にモテないってなんだよ。


 モテないくらいで致命傷なんか負ってたまるか。

 坂口先生は教卓に手を付き、クラスメイトたちの顔を見た。


「恋愛困難者の辛さはもう十分知っているだろう。だから今日は、先生たちが盛岡のために……盛岡に残された、限りある時間をよりよくするために、何ができるかを一緒に考えていきたいと思う」


 クラス中がしんとなり、皆はうつむいたままだ。

 僕は我慢できなくなり、手を挙げた。


「どうした、盛岡」



「あの、別に……大丈夫ですそういうの。本当に」


「なに?」


「こんなホームルームまで開いてもらっちゃって、はっきりこんなこと言うのもなんですけど……」


 もううんざりだ。はっきり言ってやる。


 たかが恋愛力とかいう訳の分からない数値が低かったくらいのことで、こんなに毎度毎度大騒ぎされては身が持たない。

 放っておいてくれれば僕はそれでいいんだ。


「ちょっとモテないくらい大したことじゃないですよ。僕はもう慣れてますから。諦めてますし、受け入れてます。生まれつきそうですし、死ぬまでモテなくても仕方ないんです。だから、普通に数学の授業やってください。坂口先せ――」


「盛岡くんっ!」


 僕の言葉は、とつぜん叫んだ大蛇さんの台詞にかき消された。

 見れば、大蛇さんは席から立ち上がり、はらはらと大粒の涙をこぼしていた。


「モテなくてもいいなんて……死ぬまでモテなくてもいいなんて、そんなこと本当は思ってないんでしょう!? そんな強がり言わなくていいんです!」


「大蛇さん……」


 なにこの雰囲気。

 僕がなんかすげー健気な奴みたいじゃん。


「人間なんだから、人間として生まれてきたんだから……盛岡くんだって、モテたいに決まってます! なのに、それでもいいなんて、一生モテなくてもいいなんて、そんな悲しいこと言わないでください……!」 


「なっちゃん……」


「ありがとう、リカちゃん……」


 友人から借りたハンカチで涙をぬぐい、大蛇さんは決然とした目つきで言った。


「盛岡くんは大事なクラスメイトの一人なんです! 最後まで一緒に笑っていたいんです! だから……盛岡くん。私にそのお手伝いをさせてください!」


「大蛇……お前」


「ふふ、変ですか、坂口先生? 出会ってたった一年しか経ってない相手に、こんなに必死になるなんて」


「いや……変なんかじゃない。クラスメイトのために必死で頑張る生徒を、俺は笑ったりなんかしない。誰にも笑わせたりなんかしない!」


「先生……!」


 大蛇さんと坂口先生の熱い演説に心を動かされたのか、あちこちからすすり泣きが聞こえてくる。


「よし、決まりだな! 皆で一緒に頑張ろう! いくぞ、えい、えい、おー!」

『おおおお――!!』


 坂口先生の掛け声に合わせ、クラスメイトたちは泣きながら拳を天井に向かって突き上げる。


 誰にも彼らの勢いを止めることなどできはしないだろう。

 今まさに、クラスは一つになろうとしていた。

 僕を除いて。


 ◆


「さて、具体的にどうしていくかだが……東金。言い出しっぺのお前に何か案はあるか?」


「はい。まず、盛岡くんに恋愛の楽しさを教えてあげたいと思うんです。恋愛力が低い人は、そもそも恋愛に対する関心がすごく低いって聞いたことがあるので」


 なるほど、一見筋は通っているように見える。

 でも、恋愛力の低さと、恋愛への関心度の相関が分からないことには効果があるのかどうかは微妙なんだよな。


 生まれ持った恋愛力が低いから、その症状として恋愛に興味がないのか。

 はたまた、モテなさすぎて恋愛に希望が持てず、その結果として恋愛力が低く判定されてしまったのか。

 

 例えるなら、犬嫌いにも二種類いるわけだ。

 生まれつき、生理的に犬が嫌いなのか。

 それとも、子供の頃に犬に噛まれたから犬が嫌いなのか


 ……まあ、どちらにせよ答えの出ない疑問だ。

 考えるまでもない。

 第一、恋愛の楽しさを教えるってなんだ?


 おモテの皆さんから、ありがたいのろけ話でも延々聞かされるのか?

『昨日見た夢』くらいどうでもいい話をエンドレスで流され続ける光景を想像し、僕はげんなりする。


 だとしたら心底勘弁してほしいけど……。

 

「なるほど。具体的にどうするつもりなんだ? 東金」


「はい。盛岡くんには、誰かとお試しで付き合ってみるのがいいと思うんです! そうすれば、恋愛をすることの楽しさが実感できると思うので!」


 ふむ、お試しで付き合ってみる、か。

 それは結構楽しそうだな。


 恋愛力の向上云々を抜きにしても、単純に彼女ができた気分が味わえるだけでもありがたい。

 坂口先生はポンと手を打った。


「なるほど、名案だな! よし、じゃあ放課後に全校集会だ。盛岡、少し勇気がいるかもしれんが、大丈夫か?」


「ちょちょちょ、待ってください待ってください。なんですか? 全校集会? 何言ってるんですか?」


「こういうのはなるべくたくさんの人に呼びかけるのが効率的だろう。だから全校生徒の前で、盛岡自身がお願いすれば、きっと心を打たれて協力してくれる人は増えるはずだ」


 何の拷問だ。

 しんと静まり返った体育館で、一人壇上に立つ僕。

 マイクのノイズを抑え、おごそかにこうのたまうわけだ。


『実は僕、死ぬほどモテないんです。もしよかったら、誰でもいいのでどうか僕と付き合ってくれませんか?』


 ……こんなみっともない『未成年の主張』があるか!

 性欲丸出しにも程があるわ!

 まだ告白でもした方がマシだよ!

 

「ていうか、そもそも僕が恋愛困難者ってこと自体、秘密にするって話でしたよね? なんで校内全域に僕の恥部をつまびらかにしないといけないんですか」


「いや、もうクラスにはバレちゃったからいいかと思って」

「いいわけないでしょう」


 自分でバラしといて何が『バレちゃった』だシバキ倒すぞ。

 大体クラスメイト二十数人と全校生徒七百人余りじゃ大違いだ。


 おちおち購買にも行けなくなるじゃないか。

 すると、大蛇さんからこんなフォローが。


「盛岡くん、モテないことは決して恥ずかしいことじゃありませんよ。自分に自信を持ってください。モテないことだって盛岡くんの立派な個性ですから。個性に良いも悪いもありません!」


「あ、ありがとう……」


 ごめん、せっかく励ましてくれたけど、モテないのは悪い個性だと思う。

 僕の引きつった笑いに、ニッコリと満面の笑みを返し、それから大蛇さんは坂口先生の方を向き直った。


「坂口先生、まずはクラスで呼びかけるのが先だと思いますよ」


「うむ、そうだな。では、この中に盛岡の恋愛力治療に協力してくれる者はいるか?」


 要するに『僕と付き合ってもいい女の子はいるか?』という問いかけだ。

 嫌な緊張感に、胃がぎゅっと縮んだような心地がする。


 これで誰の手も挙がらなかったら気まずすぎるぞ。

 しかし、幸いにも最初の手はすぐに挙がった。


「おお、やってくれるのか大蛇おろち! 先生は嬉しいぞ!」


「まあ、言い出しっぺですから……それに、盛岡くんみたいな人、放っておけないんです」


 ちょっと照れくさそうにする大蛇さんに、自然と拍手や歓声が湧き上がる。

 マジかよ。僕、大蛇さんみたいな可愛い子と付き合えるわけ?

 お試しとはいえ、こんなに嬉しいことはないぞ。


 しかし、大蛇さんは本当にいい人だな。

 好きでもない男のために、恋人のふりをしてくれてもいいなんて。

 

 そして驚くべきことに、大蛇さんの立候補を皮切りに、ほかにもチラホラと手が挙がり始めたのだ!





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