第67話 身バレは計画的に!







 時は期末試験の直前、七色作戦から三日経った日の昼休み。

 校舎裏で俺と綾辻さんは向かい合っていた。周りに他の生徒はおらず、いるとすれば、綾辻さんの肩に乗ったニャピーのマーだけ。

 異性の高校生同士が誰もいない校舎裏で二人きりというのは、言葉だけで表したら恋愛漫画のワンシーンのようだが、生憎この場の雰囲気は、どちらかというとサスペンスものでの崖の上のシーンに近い。


「水樹君って、ハイドロードさんなの?」


 緊張感が漂う中、綾辻さんは意を決して口を開いた。

 その綾辻さんの問いに、顔を上げてため息をついた俺は、目を細めて綾辻さんを見た。


「どうしちゃったの、綾辻さん?」


 口元を緩ませて半笑いな口調で問う。我ながら、よくこんなナチュラルな知らないフリができたと思う。


「俺がハイドロードって。嘘告白の方がまだ笑えるけど?」

「私、昨日見たよ。屋上で水樹君がヒューニって人と話してるの」


 マジか!

 その言葉を聞いて、俺の心臓がドキッと大きく鳴った気がした。俺は閉口して作った表情を止め、無表情で綾辻さんを見据える。

 まさか、あの場に綾辻さんがいたとは……。周りの気配には気をつけていたつもりだけど、一番気をつけていたヒューニが目の前にいたせいか、あるいは疲れていたためか、まったく気がつかなかった。

 あの場を見られたとなると、ここで下手に惚けてやり過ごすなんてことはできないな。


「……そうか」


 どうしたものかと内心で考えていると、綾辻さんは「あっ!」と声をあげて慌てて口を開く。


「勘違いしないでね。だからって別に水樹君がヒューニさんの仲間とは思ってないから!」

「……なんでだよ? もしかしたら、俺がヒューニと手を組んでお前らを落とし入れようとしてるのかもしれないだろ?」


 あの場を見たのであれば、ヒューニと俺が仲間だと思われても仕方がない。

 例え俺がガーディアンズのハイドロードだったとしても、その可能性が消える訳じゃないし、そもそも変身した所を見たのでなければ偽者の可能性だってある。


「ハイドロードさんには先週の作戦で……ううん、水樹君にはそれよりも前からずっと、私たちのこと守ってくれてたもん。だから大丈夫だよ」

「お人好しか!」

「えへへ、よく言われる」

「そもそも偽者の可能性だってあるだろ?」

「……偽者?」

《へっ?》


 綾辻さんとマーが揃って目を丸くして首を傾げる。

 さては考えつかなかったな、コヤツ等。


「そ、それでも、水樹君が沙織ちゃんが嫌がるようなことするはずないもん。だから、水樹君があのヒューニって人と何か悪いことするなんてあり得ないよ」

「……純粋だなぁ、ホント」


 なんの躊躇いもなく、そんなことを言われ、俺は何だかむず痒くなり、指先で頬をポリポリ掻いた。


「……はぁぁ、まぁいいや」


 やがて、心にある羞恥心を吐き出すように、大きなため息をついて俯いた後、俺はまた綾辻さんへ向き直る。


「あぁ。綾辻さんの想像通り、俺がハイドロードだよ」


 俺が正体を明かすと、綾辻さんは「そうだったんだ」と複雑な心境を表情に出しながら小さく頷いた。

 いずれ正体を明かす時が来るとは思っていたが、いざそうなってみると何ともあっさりしたもんだ。


「私から訊いておいてなんだけど、いざ言われてみると、やっぱり少し信じられないかな」

「まぁ普通はそうだろうな」


 苦笑いする綾辻さんに、俺は共感するように頷いた。俺も綾辻さん達三人がキューティズだって報告を聞いた時は、現場を見るまで信じられなかったからな。


「それで? この事、沙織や秋月には言ったのか?」

「ううん。水樹君も何か事情があるんだろうなって思ったら、まだ誰にも言ってないよ」

《私以外にはね》

「……えへへ」


 綾辻さんは首を横に振る横で、マーが補足する。今日こうして打ち明けるために、どうやら綾辻さんはマーと色々相談したようだ。


「……そうか」


 俺は視線を綾辻さんから外して、少し思考する。

 つまり、まだ沙織と秋月、ミーとムーは知らないわけだ。ここで沙織達にも俺のことを明かすべきか、あるいは黙っておくべきか、判断に悩む。

 いや。というよりも独断専行するのはマズいか……。


「綾辻さんは、今日の放課後、時間ある?」

「えっ! あっうん。大丈夫だけど……?」


 そこでちょうど、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「なら、付き合ってくれ。今後について話したい」

「うん」

「あと、俺がハイドロードってことは、まだ沙織達には内緒で頼む」

「うん。分かったよ」


 綾辻さんはすんなりと了承してくれた。まだ聞きたいことはたくさんあるようだが、彼女もここですべてを聞けるとは思っていないらしい。

 放課後にまたここに来るように伝えて話を終えると、俺と綾辻さんは校舎裏を後にする。


「それじゃあ、また放課後」

「うん、またね」


 やがて2年生のフロアに着くと、それぞれのクラスへと向かうため俺達は別れる。手を振って去っていく綾辻さんを見送り、俺も自分の教室へ向かった。

 そして教室に入るまでの間に、俺はケータイを取り出して“ある人物”にメールを送った。




 ***




 放課後、こっそりと合流した俺と綾辻さんは、ある程度生徒が下校したのを見計らった後に学校を出た。綾辻さんを引き連れる形で、俺は最寄り駅とは逆方向の道を行く。

 俺がどんどん人通りの少ない裏道に行くので、綾辻さんは少し不安げだ。


「ねぇ水樹君、どこ行くの?」

「んー、どこってわけでもないんだけどな」


 現代社会はどこに目があり耳があるか分からない。よって重要な話をするのに、その辺の公園や河川敷で話すわけにもいかず、かと言って、キャロルのような喫茶店を使うわけにもいかない。

 いつもなら、そういう時はガーディアンズ本部へ行くのだが、今回はそんな時間もない。となると、方法は一つだ。

 しばらく綾辻さんと道を歩いていると、俺は道中に車が一台止まっているのを発見した。車種とナンバープレートを見ると、目的の車で間違いない。

 俺は周りに誰もいないことを確認しながらその車の横まで歩くと、そのまま後部座席のドアを開けて中に乗り込んだ。


「えっ! 水樹君?」


 いきなり見知らぬ車に乗り込んだ俺を見て、綾辻さんとマーは目を見開いて驚いた。


「すみませんね。急に呼び出して」

「気遣い不要よ。仕事だから」

「……ゼロさん?」


 俺が車の運転手に声をかけると、運転席にいる女性は平然と言葉を返す。そこでやっと綾辻さんは目の前の車が先日乗った玲さんの黒いセダン車であることに気が付いた。


「良いから、早く乗って」


 運転手の玲さんに言われて、綾辻さんは慌てて車に乗り込んだ。彼女がドアを閉めたのを確認して、玲さんはフロントミラー越しに俺達を見る。


「どうしてゼロさんが?」

「水樹から連絡をもらったの。綾辻に自分の正体がバレたってね」


 玲さんの言った通り、彼女を呼んだのは俺だ。車の中であれば盗聴の心配はない上、話し合いと情報共有を同時に行える。一石二鳥だ。


「えぇまぁ。実はヒューニが接触して来たところを見られまして……」

「ごめんなさい」

「貴女が謝ることないわ。それに遅かれ早かれ、そうなるだろうと思ってたし、想定内よ」


 言ってることとは反対に、玲さんの目線がチクリと俺に刺さる。


「ホントに水樹君がハイドロードさんだったんだ」

「あぁ。だから一応、綾辻さん達が変化人間……魔法少女だってことも知ってるし、大方の事情も知ってる」

「そうなんだ」


 俺と玲さんが知り合いだったと分かり、綾辻さんは納得したように頷いた。


「知ってしまったのは仕方ないとして、綾辻はこのこと、今までの間に誰かにしゃべった?」

「いえ、水樹君にも事情があると思ったので、まだ誰にも言ってません」

「そう……良かったわね、バレたのが良い子で」

「……まったくです」


 ミラー越しの玲さんの目線から顔を反らして俺は小さく頷いた。暗に『これが一般生徒にバレてたら危なかったぞ。気を付けろ』と言っているのだろう。確かに他の生徒にバレて、もしSNSで拡散されたりでもしたら、面倒なことになっていた。


「状況は分かった。ガーディアンズとしてはハイドロードの正体を知る人間は最小限にしておきたいのだけど、綾辻はどう? 他の二人にも水樹のこと話したい?」


 玲さんに訊かれ、綾辻さんは俯いた。


「わ、わかりません……でも水樹君やゼロさんにも事情があるだろうし、黙っておくようにってことなら従います」

「そう」


 膝に手を置いて姿勢を正しながらまっすぐ言った綾辻さんを、玲さんは静かに見定める。緊張から少し手が震えているが、隣にいる俺から見ても綾辻さんが嘘を言ってる様子はない。


「貴女のペットはどうかしら? 仲間の二匹に黙っておける?」

《ペットじゃないよ! ニャピーだよ!》

「あははぁ」


 ペット呼ばわりされたことに怒るマーを見て、綾辻さんが苦笑いする。


《むぅぅ……まぁ、千春ちゃんがそれで良いなら、私もミー達には秘密にしておくよ》

「ありがとマーちゃん……はい、大丈夫みたいです」

「……分かったわ」


 綾辻さんが代弁した回答に短く頷くと、次に玲さんは鏡に映る視線をこちらを向けた。


「水樹はどう考えてるの?」

「そうですね……俺個人の意見としても、できればまだ沙織と秋月には隠しておきたいです。今いきなり正体を明かせば、二人も混乱するでしょうし」

《沙織ちゃんなんて、ビックリして倒れちゃいそうだもんねぇ。まさか憧れのハイドロードが、実は幼馴染の男の子だったぁーなんて聞いたら》

「そうだね」


 俺の言ったことに共感するように見せかけて、綾辻さんはマーの言ったことに頷いた。


「……そう」


 俺達が言ったことを整理するように、玲さんは顎に手を当てて思考する。


「そういえば貴女達、明日から期末試験って言ってたわね」

「はい」


 綾辻さんが頷く。ちなみに玲さんは、魔法少女とのパイプ役として、俺達の高校の学校行事とスケジュールは一通り把握している。


「なら、詳しくは試験が終わってから話しましょう。ここで綾辻に色々話して試験に集中できなくなって、夏休みに補習を受けることにでもなったら面倒だし、それまでにこちら側の方針も決めておくわ。色々と訊きたいこともあるでしょうけど、今はそれで良いかしら?」

「……はい」


 納得しているのかどうかは分からないが、綾辻さんは小さく頷いた。

 俺としても異論はなく、鏡越しに目を合わせると玲さんも俺の意思を察した。


「それなら今日はここまでね。ついでだから送ってくわ。ベルトしめなさい」


 玲さんはエンジンを掛けて、綾辻さんの家へ向かって車を走らせる。

 走行中、綾辻さんは俯き気味になり時折俺へ視線をチラチラと向けてきたが、俺達の間にまったく会話はなかった。




 ***




 しばらくして、綾辻さんの家近くに着くと玲さんは車を止めた。


「また何かあれば、水樹にでも良いから連絡して」

「はい、ありがとうございます。それじゃあ」


 綾辻さんは降車してドアを閉めると、俺に向かって手を振ったので、俺も振り返しておく。俺たちが道路の角を曲がるまで彼女はその場で俺たちの車を見送っていた。


「何か申し開きはある?」

「ありません」


 綾辻さんの姿が見えなくなってすぐに、玲さんが訊ねてきた。

 仕事中の早口なのは変わらず、いつもより低い声の玲さんに、俺がハッキリと言い切ると、彼女は大きなため息をついた。


「気をつけなさいよ。今回はあの子だったから良かったものの、他の誰かだったらどうなってたか」

「ご尤もです。すみませんでした」

「……もう良いわ。過ぎたことだし、次から気をつけなさい。本部には私から報告しておくから」

「ありがとうございます」


 俺は素直に謝罪する。言葉だけ聞くと、お前ホントに分かってるのかと言われそうだが、その辺は普段の行いのお陰か、玲さんもそれ以上は何も言わなかった。

 玲さんは車を走らせ、俺の自宅へ向かった。


「それにしても、やっぱり綾辻は純粋ねぇ。人の弱みを握っても、それを利用しようとかまったく考えてないわ」

「そうですね」


 『それが普通だろ』と言えれば良いのだが、残念ながら世間というのはそれほど善意に満ちていない。特に今回の件、人によっては金を要求したりして俺やガーディアンズを脅し、大金を得ようと考える輩もいたかもしれない。

 そういうことを考えると、綾辻さんは愚直なほど純粋だ。一見それで良いようにも思えるが、綾辻さんの立場で考えると一概には言えない。

 それの何が問題かというと……。


「こちらとしては助かるのだけど……あの子、自分が“消される”かもとか微塵も思ってないのよね」


 そう、玲さんの言う通り、綾辻さんは自分の取った行動の危うさや拙さを分かっていない。

 確かに今回の場合、俺に落ち度があるし、綾辻さんは魔法少女というハデスを倒せる唯一の存在であるため、可能性としてはとても低いのだが、一般人が下手に国家や巨大企業の裏の秘密を知れば、大概ろくな結末にならない。

 その結末とは何か……。端的に言うと、社会の闇に葬られるのだ。ドラマや映画でもよくあるような、どこぞの誰かに暗殺され、表では自殺や病死、行方不明などで処理されて終わる。そんな結末だ。

 だが、綾辻さんはそんな可能性をまったく考慮していない。ガーディアンズや俺を信頼しているからと言えば聞こえは良いが、今回、俺に真っ正面から確認しにきたのは、行動としては少し能天気過ぎる。

 ガーディアンズが守っている内は大丈夫だろうが、いつか何かをやらかしそうだ。


「あーいうタイプは戦いに向いてないわね」


 途中、赤信号に差し掛かり、玲さんはブレーキを踏んだ。


「それが魔法少女の素質って言うなら、随分と残酷な話ですね」

「ホントね」


 前に言っていたが、魔法少女の魔力量は三人の中では綾辻さんが一番高い。もしこの素質が本人の心の純粋さや高潔さに相関しているなら、なんともあべこべで無慈悲なものである。

 戦いで勝つためには大なり小なり狡猾さが必要なのだが、純粋な人間には恐ろしいほどその素質がないからだ。


「それでもあのタイプの子が戦い続けると、辿る道は大体2パターンなのよね」

「というと?」

「火野さんや上地みたいに折り合いをつけながら背負い込むか、利用されるだけ利用されて身を滅ぼすか」


 ……あぁ、なんとなく分かる気がする。


「いずれにしても、心が汚れていくのよ」

「『水清ければ魚棲まず』ならぬ『心清ければ人戦えず』ってことですか?」

「そういうこと」


 信号が赤から青へと変わり、玲さんはアクセルを踏んだ。


「なにか思うところがあるんですか?」

「個人的に少しね。いまどき綾辻みたいな子は珍しいし、私としてはあの子達にあまり戦場に立って欲しくないのよ。できればこちら側の秘密も、知らないままでいて欲しかったわ」

「そんなの今に始まったことじゃないでしょうに、なんで今さら?」

「言ったことなかったかしら? 私はそういう純粋な人達を守りたくてこの仕事をやってるの」


 無意識に俺の視線が玲さんの方へ向く。

 それは初めて知った。そういえば、他のエージェントと比べて玲さんとは付き合いの長い方だが、彼女の過去について聞いたことはなかった。

 だが、なるほど。そう言われると、なんとなく玲さんらしい気がする。


「でも、そういう純粋さを持ち合わせて許されるのって子供の内だけなのでは?」

「……まぁ、普通はそうなのよね」


 また別の赤信号に差し掛かり、玲さんはまたブレーキを踏む。止まった時に勢いが余っていたのは、多分気のせいだろう。


「この世界や社会が想像以上に“汚れてる”っていうのは、普通なら生きていくうちに何となく気づいていくわ。そして皆ズル賢く生きていくようになって、周りの純粋な人の弱みや優しさにつけこんで、それでまた純粋な人が汚れていく」

「悪循環ですね」

「えぇ。けど、世界を良いものにするには、きっとその純粋さが必要なのよ。だから私は守るの」

「そうですか……」


 ……そういえば、前に松風さんがそんなこと言ってたな。


『本当の意味で世界を救えるのは、ワシのような金持ちや政治家ではなく、ただあるがままの純粋なものを受け止められる、そういう存在なのじゃよ』


 『青龍』になった時に聞いたあの人の言葉は、俺には今でもよく分からない。

 その言葉の真意を考察しながら、俺はぼーっと車の外を眺めるのだった。





 やがて、俺の家の近くまでたどり着き、玲さんは路上に車を止めた。周りに人がいないことを確認して、俺は降車する。


「それじゃあ、お疲れ様です」

「えぇ。補習にならないよう、ちゃんと勉強しときなさい」

「悠希に言うべきだと思いますよソレ?」


 ドアを閉めると玲さんは車を走らせて去っていった。あのまま帰宅するのか、あるいは本部に戻るのか知らないが、俺は夕焼けを眺めながら自宅へと帰った。







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