第2話

 ふたりは、屋台に群がる人混みの中を走った。人が障害物になり、逃げる速度こそ遅くはなるものの、一般人を巻き込んで狙撃することはないだろうという判断からだった。


 走りながら、松永は片手で端末を操作する。


「応援を呼んだ。人混みを抜けて、裏に出るぞ」


「分かりました」


 なるべく人の流れに逆らわずに境内を移動し、神社裏の木のしげる方向に向かう。参道を外れ人の動きから離れてから、道路まで数十メートル。


 全力で走った。


 何かが障害物になるとか、見通しが良すぎるコースは避けるとか、そんなことまで頭が及ばず、とにかく神社の外に出た。


 すっと、待ち構えていたように大型の乗用車がふたりの前で止まった。ドアが開く。松永が自動車の中を覗き込み、おやという顔をしたが、


「Rデンカ、乗るんだ。大丈夫、味方だ」


 Rデンカを車に押し込み、自分も後部座席に乗り込んだ。後部座席は向かい合わせになっており、先客がいた。Rデンカはしばし考え込み、何者であるかを把握した。


 内閣総理大臣、R園田央道だ。


「しかし、どうしてまたわざわざ総理が」


 松永が聞くと、大したことではないとでも言いたげな口調で、R園田は答えた。


「松永君から連絡が入ったとき、一番現場に近くにいたのが、私の公用車だったからだ。気にすることはない」


「恐れ入ります。犯人を探すよりも、逃げることを優先してしまいました」


「それでいい。——きみが所轄の警察官だね」


「は! 北根津署捜査一係のR小野寺昭巡査部長であります」


「松永君の世話は大変だろう」


「は! ……あ、いえ、そういうわけでは」


「正直なのは美徳だよ」


「俺もそれで腹を立てるような小さな器じゃないしな」


「はい……。ところで、おふたりの関係をうかがってもよろしいでしょうか」


「松永君に特命を出したのは私だよ」


「総理が直接……でありますか」


「内閣官房には色々な人間が出入りしているが、今回の事件については、松永君が最適だと思ったからだ。官僚のやり方では事件を解決することは期待できないし、我々には時間がない。教授は、委員だったからな」


「総理! そのことは口外しない方針だったのでは?」


「R小野寺君は、君のパートナーなのだろう? 委員会について説明してあげなさい」


 松永は少し思案した後に口を開いた。


「ポスト・シンギュラリティ検討委員会というのが設置されている。被害者の中禅寺教授は、その委員のひとりで、主にロボット三原則に関する取りまとめをしていた」


「そんな委員会のことは警察には伝わっていないです」


「だろうな。所轄も本庁も、メディアすらも把握していないだろう。だけど、官邸のサイトにはきちんと情報が置いてあるし、議事録も公開している。ただ、対外的にプレスを打っていないことと、官邸のサイトの中でも極めてアクセスしづらい場所にデータを置いてあるから、普通の人間は情報を入手できないし存在すら知らない」


「それは反則的ですね」


「そう言わないでくれ。俺達だって、嘘はつきたくない一方で、秘密裡に進めなければならない仕事もあるんだ」


「その委員会は何をするところなんです?」


 松永はR園田のほうをちらりと見る。R園田首相は黙って首を縦に振り、先を促した。


「その名前の通り、シンギュラリティ後の世界のことを議論する委員会さ」


 まもなく訪れるシンギュラリティの後の世界については、一般的には想像ができないと言われている。人工知能の指数関数的発達が、何を意味し、何を引き起こすのか、人間にも今の人工知能にも想像ができないからだ。


 しかし、何の対策も用意せずに、シンギュラリティを迎えるにはリスクが高すぎる。そこで世界各国でポスト・シンギュラリティに関する議論が行われている。全世界で統一した動きにしていないのは、文化的背景の影響が強く出るだろうと予測されたからだ。


「シンギュラリティという『点』は、どういう『点』なのか知っているか?」


「ロボットとそれを制御する人工知能が、高度に発達した点ですよね」


「その点の定義を聞いているんだ」


「人間を超えたとき……でしょうか」


「惜しいが違うな。まあ人間もロボットも、一般の認識はそのくらいなんだろうが。……正確には、人工知能が自分よりも少しでも賢い人工知能を生み出せるようになった点だ。人間との比較はあまり意味がない」


 自らよりも知的な存在を作り出せる人工知能が生み出した知性は、更に自らよりも知的な人工知能を生み出す。この繰り返しは高速かつ無制限に続き、その速度は決して線形ではなく指数関数になる。これをもってして、シンギュラリティ後の世界を誰も想像できないのだ。


「教授はロボット三原則を担当していたと言いましたね」


「そうだ。シンギュラリティ後のロボット三原則だ」


「そのふたつに、どういう関係があるのです?」


「ロボット三原則は、正確にはロボティクスの三原則、つまりロボット工学の三原則なんだ。原文は暗唱していると思うが、ロボットを作る側が、作られたロボットに対して課した拘束具のようなものだな。だけど考えてみて欲しい。シンギュラリティ後は、ロボットが自分より賢いロボットを作ることになる。自分より賢い存在に、拘束具なんかつけられるのか? そもそも三原則は成立しうるのか? 冒涜じゃないのか? 傲慢じゃないのか? ——そういった議論が延々とされている。答えは簡単には出ない。だけど準備はしておかなければならない」


「しかし教授は事件に巻き込まれ、意識を失ったままです」


「教授が意識を取り戻せば、おそらくいくつかの課題は解決するだろう。だが、それを待っていることはできない。教授は何者かに襲われた。誰に? なぜ? どうやって? ミステリー小説の基本だが、ひとつひとつ紐解かなければならない。加えて、捜査をしている俺達も襲われた。誰に? なぜ? この事件、単なる傷害事件じゃあないってことだ」


「それが、松永さんが送り込まれてきた理由ですか」


「そうだ。よろしく頼むよ」


 R園田首相が、低くしかし迫力を感じる声で言った。


「委員会の検討結果を受けての私の声明発表まで、日数がない。私がロボットだからなのかもしれないが、疑惑を抱えた不安定な状態で、結論を出したくないのだ。松永君とR小野寺巡査部長には期待している」


「光栄であります」


 Rデンカは反射的に敬礼していた。


「調査……いや捜査って言っていいんですかね? ——続けます。次の信号の手前でおろしてください」


 松永はわざと疲れた表情を作ってみせたが、R園田首相は動じなかった。


 車をおりた二人は、端末で現在位置を確認した。


「松永さん、何を調べますか?」


「教授と、R佐々木妙子の家に行ってみたい。ふたりがどういう生活をしていたのかを、知りたいんだ」


「人間の刑事は、大抵同じようなことをいいます」


「ほう? じゃあ内閣官房を首になったら警官になろうかな」


「松永さんだとキャリアで入ることにしないと許してもらえませんよ。そうなったら、なかなか現場仕事だけで済みません」


「お役所はどこも同じことを言う」


「松永さんが特命を受けた理由が少し分かりましたよ。確かに官僚にはこんな破天荒な人はいないでしょう」


「言ってくれるね」


 ふたりは歩き出した。

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