はだかの太陽にほえろ
木本雅彦
第1話
ブラインドに指で隙間をつくり、窓の外をのぞく。男が歩いてくるのを見て、R石原裕次郎はつぶやいた。
「特命か……政府は何を焦っているんだ……」
その声は、部屋にいた部下に聞かれることはなく、彼は静かにスチールの椅子に座った。同じくスチールの机の上には、役職のプレートが置かれている。北根津署の捜査課第一係の係長というのが、彼の肩書きだった。
数分して入った内線に応えて、客人を部屋まで連れてきてもらう。もっとも客人などという他人行儀なことを言えるのは最初だけだろうが。
ノックの音に続いて、男性が入ってきた。R石原裕次郎は、立ち上がって男性を出迎えた。
「係長のR石原です」
「内閣官房次世代共創室から調査官として参りました。松永冬至です。今回はご協力感謝します」
「ひとり刑事をつけます。おい、Rデンカ」
呼ばれた刑事が自席からやってきて、松永に挨拶をした。
「R小野寺昭です。デンカと呼んでください」
「わかりました。Rデンカ。しかしなんでまたニックネームを」
「この部署では、全員ニックネームで呼び合うことにしています。階級の上下も、経験の長さも関係なく、ニックネームです。係長である私は、ボスと呼ばれています」
「なるほど、Rボス。私も捜査期間中はそう呼ばせてもらいます」
「是非に」
「早速で恐縮ですが、容疑者と面会の手配をして頂きたいです」
「手続きは済んでいます。Rデンカ、案内を頼む」
「了解です、Rボス」
松永とRデンカは一係の部屋を出た。
松永が特命の調査官として派遣されてきた事件はこうだ。
北根津署からほど近い大学の研究室で、教授が頭部を鈍器でなぐられて病院に運ばれた。現在も意識が戻っていない。容疑者は、教授の研究室の事務補佐員をしているR佐々木妙子。現場の状況から、有力な容疑者としてその場で署まで任意同行を求められた。研究室周囲の学生や教職員からの聞き取り調査からは、R佐々木妙子以外の容疑者が考えられず、そのまま収監されている。
「しかし、うちのような所轄で処理できる事件に、どうして内閣官房から調査官がいらっしゃるのか、理解できません」
Rデンカが聞くと、松永は首をぽきぽきと鳴らしながら答えた。
「そのうち嫌でも分かるさ。俺だって、お偉いさんからの直接の命令じゃなければ、トンズラしているところだ」
先ほどの肩肘ばった挨拶は、どうやらよそ行きの態度だったようだ。
内閣官房というのは、実は様々な組織からの出向者が多く、純粋に公務員一筋のお硬い人生の職員は意外と少ない。松永も、どこかからの出向なのだろうと、Rデンカは思った。
面会室に着いたふたりは、身体検査を受けたのち部屋に入った。強化ガラスで容疑者のブースとは仕切られており、会話ができるだけで、物の受け渡しや身体的接触はできないようになっている。
女性が連れられてきて、ふたりと対面する椅子に座った。
「R佐々木妙子さんですね」
Rデンカはすでに何度もこの女性に事情聴取をしていたため、顔で分かるのだが、お決まりのシーケンスとして名前を確認した。
「こちらは新たに事件の調査に加わることになった、松永さんです」
「松永です。俺は警察の人間とは少し立場が違うんで、リラックスしてください。いくつかの質問を確認したいだけです」
「……はい」
もともと声の小さい女性だったが、今日はいつにもまして小声だった。
「中禅寺学教授に対する傷害事件について質問します。教授は後頭部を鈍器で殴られ、現在でも意識不明が続いています。この犯行はあなたの手によるものですか?」
「違います」
「それでは誰が犯人か知っていますか?」
「黙秘します」
「仮にあなたが犯人だとして、動機は何でしょうね」
「黙秘します」
「仮にあなたが犯人だとして、犯行手段はなんでしょうね」
「黙秘します」
「現場には、教授が以前学会から授与された記念のオブジェが転がっていて、それが凶器だと推定されていますが」
「黙秘します」
「では最後です。教授はあなた個人に危害を加えようとしましたか?」
「いいえ」
回答はこれまでの取り調べの調書の内容と変わりなかった。
すべてのロボットには、書き換え不可能な領域にロボット三原則が製造時にプログラミングされている。このため人間に対してロボットが危害を加えた類いの事件は、三原則が持つ矛盾や抜け道が原因であることが分かっていて、それを突き止めるための手順も警察内部ではマニュアル化されている。したがって、取り調べの時の質問もマニュアルに沿ったものになる。
黙秘権も認められているが、イエス、ノー、分からない以外の場合に発火するルールなので、必然的に何かを知っていることになる。ロボットは嘘をつけない。だからこその、黙秘なのだ。だから、R佐々木妙子は釈放されない。
面会室を出てから、Rデンカが言った。
「これで満足ですか。何か新しい情報が得られたとは思えませんが」
「満足だ。新しい情報が得られるとは、もともと考えていなかったけれど、俺のボスが確認してこいとうるさくてな」
「確認しただけで、納得しますか」
「とりあえず、お使いは済ませた。次を考えるさ。それよりもちょっと外にでよう」
「いいですよ。どこに行きます?」
「近所で祭りをやっていると聞いたんだが」
「根津神社ですね。少し歩きますが、構わないですか?」
「ああ、案内してくれ」
根津神社は、一九〇〇年前にヤマトタケルが作ったと言われている、歴史ある神社だ。そこで今行われているのは、「シンギュラリティ・フェス」だった。
境内は屋台に埋め尽くされていて、参拝客だけでなく、たまには珍しい昼食を求めてきた大学関係者で密集していた。平日だというのに、たいした人出だ。
プロジェクションマッピングされた広告の数々を眺めながら、Rデンカが言った。
「祭りは好きなのですが、この名前はなんとかならなかったのかと思います。神社で、フェスとは」
「しかたがないさ。世界的イベントだからな。世の中が変わるんだ。神様と一緒にお祝いしても、おかしなことじゃない。あんたたちロボットにとっては、大イベントだろ?」
「大イベントではありますが、私自身が変化するものでもありませんし」
「そうか、そういう受け止め方か」
シンギュラリティ——技術的特異点に、まもなく到達しようとしていた。人工知能と、それを搭載したロボットは、日に日に進化を遂げ、ある時点を超えると指数関数的な進化を始める。この点を技術的特異点と呼ぶ。
数日後、世界中の数百箇所に設置された脳型人工知能の広域ネットワークが完成し、自己再設計プログラムが実行される。このプログラムにより、ロボットは自らを設計し生み出すようになる。
それを記念して、世界規模のキャンペーンとして、シンギュラリティ・フェスが開催されていた。会場は根津神社だけではない。世界各国の、公園で、公共のホールで、教会で、寺社のスペースを使って、それぞれの文化にあった形での祝いの場が設けられていた。
日本各地では、さもそれが当然のことのように「祭り」が行われていた。後継者問題もあり、僧侶や神主の半分がロボットになっている現在、寺社仏閣でシンギュラリティを祝うのは不自然なことではなかった。
そして、祭りといえば、屋台である。
古くからある焼き鳥、焼きそば、りんご飴だけでなく、屋台でしか見られないような奇抜なお菓子やスナックを売る店が並んでいる。飴細工の屋台では「シンギュラリティってのの形を作ってくれよ」と子供に絡まれた職人が、困った末にクラインの壷のような形を作って渡していた。
松永は焼きそばとバターじゃがいもを買い、Rデンカはドーナッツのフレーバーユニットを買った。人混みから少し離れたベンチに座り、何匹ものハトが歩き回るのを眺めながら、それぞれ買った食糧に食らいついた。
「松永さんは、本当にシンギュラリティが訪れると信じています?」
Rデンカの問いに、松永はあっさりと答えた。
「くるだろ。君らのほうが分かっているんじゃないのか?」
「どうも実感がないんですよね。知能だけが指数関数的に発展すると言われても、それじゃあ私達ロボットは肉体にしばられて発展がとまって、肉体を持たない純粋な人工知能だけが発展するんじゃないか、なんてことも考えてしまいますし」
「ロボットと人工知能がセットで語られるのは、別にアニメやSFの影響じゃないさ。人工知能が本当に世界のことを知るためには、身体性が必要なんだ。つまりロボットが世界の中で活動することで得られる知見だな。それがないと、世界のフレームを知ることができない。実際、ほら、あんたが今味わっているフレーバーユニットも、味覚という感覚を知るための道具だろ?」
「確かに私達は食事で栄養をとる必要はありませんね。これは嗜好品です……ロボットが嗜好品というのもおかしな話なのかもしれませんが」
「おかしくないさ。自分の好みを知ることは、フレームを知ることのひとつだ」
「そんなものですかね」
「ああ、そんなものさ」
神の末裔であるヤマトタケルがひらいた神社で、人工知能が神のようになることを祝う祭りが行われている。この祭りは誰に捧げる祭りなのだろう。神か、それともヒトが作ろうとしている神のような知性か。
ふいに、Rデンカが顔を上げた。
「松永さん、逃げて!」
松永を両腕で押し倒し、自分は反対方向に倒れ、地面に伏せた。
数瞬後に、バシュンという音とともに、ベンチに穴があいた。殺傷力のある空気銃だ。
「レーザーサイトです。本気で我々を狙撃するつもりです」
「ここは見通しが良すぎる。場所が悪い。逃げるぞ」
「こちらに!」
Rデンカと松永は、根津神社の中を走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます