泥でできた娘

灰崎千尋

第1話

 その娘が最初に目にしたものは、主人の頭部でこぽこぽと音を立てて泡立つ緑の液体だった。


 娘の主人は、錬金術師である。

 他の錬金術師がそうであるように、彼もまた「賢者の石」を創造しようと熱心に研究を続けていたが、或るときその過程で致命的な失敗をしてしまい、彼の頭は丸底フラスコになってしまったのだった。頭部のフラスコは、彼がうっかり転んで地べたに這いつくばることがあっても傷一つ付かないほどには頑丈で、目も耳も鼻も無いが以前と変わらず知覚することができた。口も無いが話すことはでき、ガラスで反響したような声が出た。フラスコの中には謎の液体が容量の半分ほど入っており、彼の感情によって色が変わった。たとえば緑色は、喜びである。

 この錬金術師は色々な方法を試したが、今のところ彼の頭を元に戻す方法は見つからなかった。ひょっとしてこの頭の中にある液体こそ「賢者の石」なのではないか、と考えたりもしたが、瓶の口にはコルクで固く栓がしてあり、コルク抜きは何故か歯が立たず、逆立ちしたって一滴もこぼれない。

 彼は諦めて、研究を続けることにした。研究の途中でこうなってしまったのだから、ひょんなことでまた元通りになるかもしれない、という淡い期待もあった。

 しかし困るのは、この姿では人前に出られないことだった。研究を続けるためには資材が必要で、そのためには人里で売買しなければならない。

 そこで彼が創り出したのが、「ゴーレム」の娘だった。


「ゴーレム」とはまじないを施した泥人形で、主人の命令に忠実なしもべである。ただ出来ることには限りがあり、知能はあまり無い。だが頭からつま先まで人の姿をしているだけ、自分よりは人里に溶け込めるだろうと、錬金術師は思ったのだ。

 出来上がったゴーレムに一度は歓声をあげたものの、それは彼の予想以上に泥が剥き出しだった。錬金術師は頭の液体を灰色に濁らせ、うんうん悩みながらゴーレムを加工していった。

 瞳のあるべきところにはエメラルドを埋め込み、額に書かれた呪文の文字を隠すように馬の尾の毛を頭に植え付け、水で溶いた顔料でその肌を塗り、服を着せた。彼に多少の絵心があったのが幸いし、ぱっと見ただけでは泥人形とわからないようになった。長い栗毛を髪の毛のように植えたので、若い娘のようにも見える。

 彼は満足してフラスコの中身をまた緑に泡立たせると、ゴーレムに命令した。


「さぁ、私の代わりに町へ行って、宝石と薬を売ってきておくれ。そうしてそのお金で別の薬品と素材を買ってくるのだよ。宝石商、薬屋、鍛冶屋にはそれぞれ手紙を書いておいたから。地図は覚えられるね? お前の泥の舌では喋れないから、何か聞かれたら口元を手で覆いなさい。そうすればお前はおしの子だと思われて、どうにか切り抜けられるだろう。わかったかい?」


 ゴーレムの娘はこくりと頷き、錬金術師の遣いとして街へ出かけたのだった。

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