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「テレビの電源よし!」「リビングの電気よし!」「廊下の電気よし!」

「冷蔵庫の扉よし!」「給湯器もよし!」「トイレの水よし!」「風呂の蛇口

よし!」「シンクの水よし!」「玄関の電気よし!」

 

〈キィ――ッ!〉


〈ガチャ!〉「玄関の鍵よし!」


「……ん? 待てよ。玄関の電気大丈夫かな?」


〈ガチャ!〉

     〈キィ――ッ!〉

            「やっぱり消えてたか」


〈ガチャ!〉「玄関の鍵よし!」


 アパートから出るまでの一連の儀式を無事に終え、僕はまるで外出許可を

得たかのように安堵の表情を浮かべ近所のスーパーへ買出しに出掛けた。

 元々僕を悩ませていた”加害恐怖”がよりいっそう酷くなる一方で先ほどの

ような”確認行為”に加え”不潔恐怖”が僕の日常を非日常へと変えてゆく。

 今日も冷凍庫の扉を開け冷凍食品を買い物カゴに入れた後、ゆっくり扉を

閉め左手で軽く押し付けた。

 理由は以前同様しっかり扉を閉めた事を実感する為の行為だがあまり強く

押し付けると冷凍庫全体が後ろに下がり裏面にひしめく配線がショートし

最悪火災が発生する可能性もあるため微妙な力加減が必要となる。

 だが業務用の大型冷凍庫に少々力が加わった程度で後方に移動するとは到底

考え難く、現実にあり得ないと頭では理解していながらも止められないのだ。

 僕はしばらくの間押し付けた手を中心に扉全体を注視した後ゆっくり左手を

離し冷凍庫から少し離れると、ガラス越しに冷凍食品を再び選ぶフリをしながら

扉が確実に閉まっているのを再確認する。 

 帰宅後に再度確認の為スーパーに戻りたくない僕は愚行と理解しながらも

こうして続けるしかないのだ。

 スーパーを後にする覚悟をやっとの思いで決心した僕は工事現場から発する

ホコリ混じりの風を避けるため遠回りするも再び新たな工事現場に出くわすなど

数々の障害を潜り抜けようやく帰宅となる。

 帰宅後直に手洗いし、購入した全ての商品を消毒用アルコールを浸した

テッシュで丁寧に拭き取るなど”不潔恐怖”は限りある時間を侵食し、僕の

生活リズムそのもの容赦なく狂わせる。

 普段誰もが行う手洗いも僕にとってそう簡単な作業ではなく、手洗い終了

までかなりの時間を要する。 

 石けんでもみ洗いし水で流すのだが、泡が流れ落ちた両手を見つめていると

ふと石けんを付けたかどうか不安になりもう一度石けんを付けるという愚かな

ループからなかなか抜け出せなくなるのだ。

 そんなループは5回以上続く時もあり、手の平の泡を指を使って文字を

描き確実に石けんを使用した痕跡を強く印象付けたりと毎回工夫しなければ

手洗いすら終えることが出来ない。

 症状は当然入浴中にも現れ僕を苦しめる。

 シャンプーで洗髪しシャワーで洗い流し泡が消え去るとふと洗浄液が本当に

シャンプーだったのかと不安になり初めからやり直してしまうなど短期記憶

に自信が持てず、つい手洗い同様何度も何度も同じ行動を繰り返してしまうのだ。

 たとえ一つをクリアしても更なるハードルが僕を待ち受ける。

 システムバスの天井から水滴が落ち身体に当たる度”不潔恐怖”からもう

一度体を洗い直したり、それが頭部だとまさに振り出しのシャンプーへ逆戻り

という最悪のルートは僕から平常心を一気に奪ってしまう。

 悔し涙を流そうが発狂しようが風呂場から出るにはやり続けるしかなく、

極端な水道使用量の変化で管理人さんから水漏れを指摘されるなどまさに

狂った日常生活に翻弄された僕は遂に死を意識するようになる。

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