7-3(25)

 まるで予期せぬ展開にかなり混乱した僕はそのまま無言で後ずさりし、

台所でコップに水を注ぎ込むとそれを一気に飲み干した。

 

(あれれ? こんなシーン書いたっけ? 全然覚えてないんですけど。

ちなみにボク、今、相当酔ってる?)


 流し台に両手を付き何度も首を傾げる僕の背後からはやはり紛れもない 

彼女の声が重い空気と共に廊下全体に響き渡り、そして確実に近づいて来る

のが分かった。


「どこ行ってたのよ。バイトはとっくに終わってたんでしょ。言いなさいよ」

とナオミは背後から指先で軽く僕の脇腹を突っついた。

「ちょっと、バイト仲間と食事してたんだよ」と僕が振り返ると彼女は

鼻をつまみ、左手で仰ぐような仕草を見せた。

「くっさ――っ! レンちゃん、お酒飲んだでしょ」

「そうだよ~ 悪い? 自分の金で仲間と酒飲んで何が悪いんだよ」と

僕は若干開き直り、彼女をかわすように廊下を通り抜けリビングに戻った。

 僕は早速長澤さんから貰ったワインボトルを紙袋から抜き取ると蛍光灯の

光を当て読めもしない英語で書かれた表ラベルと裏ラベルを交互に何度も

確認しゆっくり腰を下ろした。


「どうしたのよ、そのワイン?」


 彼女はリビング入り口の扉にもたれ、まるで不審物を見るような目つきで

尋ねた。


「貰ったんだよ。アメリカ留学のお土産だって」

「へぇ~ 誰からよ」

「バイト仲間だよ」

「バイト仲間って女なの?」

「そうだよ。それがどうかした?」

「ふぅ~ん、別ぇつに~」


 すまし顔でまるで圧をかけるように彼女が僕の真横に腰を下ろすと密着する

現実味のある肌感覚から先ほどまで疑問に感じていた事を再び思い出した。


「いや、そんな事より現実にナオミがにいるってことはまさかコレって 

小説のワンシーンなの? ボク書いた記憶全くないんだけど」

「違うわよ」と彼女は呆れた表情で耳の上辺りをせわしなく数回掻いた。

「だったら見つからないうちに早く帰った方がいいよ。そう言えばさっき

フイユテいたよ」と僕は立ち上がり窓の方を指差すと彼女は全く動じること

なく僕に座るよう促した。

「今日は大丈夫よ、ちゃんと許可取ってきたから」

「許可? 何なのそれ」

「つまりアンタみたいに思いつきで小説書かれたらワタシたち演者は迷惑

するでしょ、完結出来ない可能性だってあるワケだしさ。だから”リメディー”

って制度があって初回ならほぼほぼ審査なしで執筆者に会って反省会、

つまりダメ出し出来るのよ」

「へぇ~ そんな制度あるんだ。それって徐々に審査が厳しくなったり

するの?」

「そりゃ~ 当然厳しくなるわよ。だってそんなの毎回許してたら役柄や待遇に

不満を持つ演者がしょっちゅう執筆者に文句言いに来るわよ。最近の傾向

じゃ物語中盤あたりだと申請者の3パーセントぐらいしか許可されないし、

物語後半ともなると99・99パーセントはまず無理ね。やっぱり小説は基本

執筆者のものだからそこら辺はワタシたちの世界でも基本理念としてしっかり

と守られているのよ」と彼女は若干得意げな表現を浮かべ僕の肩を軽く叩いた。

「ちなみにこの反省会で例えば僕がナオミに物語の今後の展開について

アドバイス的なこと求めるのって可能なの?」

「残念ながらそれはご法度、つまりアドバイスはもちろんのことこの先の

シナリオを聞くことさえ出来ないのよ。出来るのはあくまで過去に過ぎ去った

シーンについてのみよ」と彼女は少々残念そうな表情を浮かべ目の前の

ワインボトルを指先で軽く突っついた。

 この際ナオミのアイデアも聞いておこうと一瞬頭をよぎらせた僕は一つ

息を吐き、奥に追いやられたワインボトルを再度引き寄せると彼女の表情が

一変した。


「ところでレンちゃん、プロットはどんな感じで仕上がってるの?」

「えっ、ま、まぁまぁかな。ハハッ!」

「まぁこんな遅い時間まで女と飲み歩いてたんだから出来てて当然だよね~

レ~ンちゃん」

「な、何だよ、その目は。まさかボクを疑ってるの?」

「な~んか妙にキョドってるからよ」

「そ、そんな事より反省会はどうしたんだよ。何か僕に言いたい事あるん

じゃないの?」

「そうそう言いたかったのはシーンの終わり方よ、終わり方」

「終わり方? 特に問題ないと思うけど。むしろちょっと次が読みたくなる

ような連続ドラマ仕立てな感じにしたんだけど、それってダメなの?」

「レンちゃんはそれで良くってもワタシには残像感が残るのよ!」

「プッ! 残尿感?」

「何言ってんのよバカ! ヘンタイ!」

 

 ナオミは少し顔を赤らめながら腕まくりすると突然右腕を僕の目の前に

突き出した。


「よぉ~く見てよ。まだ小さくて赤いブツブツの痕残ってるでしょ。これ

この前、薄気味悪い骨みたいな生き物見た時出来たジンマシンよ。なのに

アンタがちょうどそのシーンで切っちゃったからあの後2時間もゾクゾク

が止まらなかったんだからね。もうひとつ前はお腹がグーグー鳴ってホント

辛かったんだから」と彼女は差し出した腕を僕の顎に当て何度も上下させた。

「そ、そうだったんだ。今後気を付けるからさ、もう止めてくんない」と

僕は苦笑いし細く真っ白な彼女の腕を掴むとその感触はまさしく僕の心の

奥底に眠るナオミそのものだった。

「どうかした? 急に真面目な顔しちゃって」

「えっ、いや何でもないよ」と少し動揺しながらも実はこの時僕は以前病室

で互いに手を取り励まし合ったナオミの闘病生活を思い出していた。


「レンちゃん、今日なんか変よ。どうしちゃったのよ~」

「ちょっと飲み過ぎたみたいなんだ。悪いけど他にダメ出しがあるんなら手短

にお願いしたいんだけど」と僕はナオミの膝を軽く叩くと彼女はおもむろに

立ち上がり以前僕が貸したキャメル色のダッフルコートを羽織り出した。

「レンちゃん、コレもう少し借りるね」

「別にいいけど、ダメ出しは?」

「もういいの」とナオミはベストの胸ポケットから小さなビニール袋を

取り出すとそれをそっとテーブルの上に置いた。

「何なのこれ?」

「レンちゃん、気にしてるのかな~って思ったからさ」とナオミは小袋

から取り出したのは先が潰れたタバコの吸殻だった。

「まさかコレあの時僕が捨てたヤツ?」

「そうよ、火事、心配なんでしょ。もし要らないならさっさと捨てちゃって」

と彼女は鼻の頭を人差し指で軽く掻き照れ笑いを見せた。

「ごめん、なんかナオミにまで気使わせちゃって。でもありがとね」

「いいのよ。誰でも気になってしょうがなくなる事あるもんね。じゃ~

またね!」と笑顔のナオミは胸元で小さく手を振った。

「えっ、もう帰るの?」

「うん、あまり遅いと色々うるさいのよ。じゃ~ 総監督、後はよろしくね!」


 ナオミは敬礼するとその場でクルリと方向転換しリビングから姿を消すと

廊下からはまるで軍隊のようなリズミカルで軽快なきしみ音が響き、そして

それは徐々に僕から遠ざかった。

 その後扉の開閉音を確認した僕は急いで立ち上がるとそのまま廊下を抜け

玄関に向かうと扉を少しだけ開けた状態で外の様子を確認した。

   

〈カン!〉〈カン!〉〈カン!〉……


 ナオミがちょうど鉄製の階段を颯爽と下りてゆく様子が見えた。

 僕はナオミに気づかれないよう慎重に狭い扉のすき間から外へ出ると

ゆっくり扉を閉め鍵をかけた。

 そして背中を丸め少しかがんだ姿勢のまま共有廊下を進むと鉄製の階段

付近で一旦立ち止まりナオミの姿を再確認した。

 するとナオミは小さなポシェットをクルクル回しながら薄暗い夜道を

全く警戒することなく軽快な足取りで東の方へ向かって行くのが見えた。

 僕は彼女に気づかれないよう慎重に一定の距離を保ちながら後を追った。

 ポツポツと続く街灯の灯りが少し伸びたナオミの茶褐色の髪に幾度となく

反射を繰り返し、突き当りに見える薄暗い公園に彼女が入った辺りで僕は

不覚にも完全にその姿を見失ってしまった。

 緑のフェンスに囲まれた公園は横に細長い形状で、恐らくナオミは

左右どちらかにいるだろうと踏んだ僕は特に焦ることなく身を屈めながら

慎重に近づいた。 

 僕は公園入口にある2本の石柱の左側に身を潜め金網越しに中の様子を

伺った。 

 だが覆い茂る草木が邪魔をし金網越しでは到底ナオミの姿を確認する事が

出来ず僕は足音に注意しながら今度は右の石柱に移動しもう一度中を覗き

込んだ。 

 すると確実にいると確信していたはずのナオミの姿はなく、焦りに焦った

僕はそのまま一気に公園内部に侵入した。

 踏みつけた枯れ葉の音を響かせながら僕は隈なく公園内を探索するも

ナオミはおろか誰一人として見当たらず、時おり吹く風に遊具がきしみ音と

共に揺れ動くだけだった。


 あれれ、どこに行ったんだろ? まさかあの高い金網を乗り越えたのか?

いやわざわざそんな事する必要ないよな。きっとこの公園のどこかにナオミ

が住む世界と繋がってる場所があるはずだ。……きっとそうに違いない。 

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