彼女は銀河エージェント
kumapom
第1話 十二月の寒い朝
十二月のその日の朝、音楽の
少しだけ遅れて校舎へ走って入った俺は、彼女に廊下で見つかって呼び止められた。
「斉藤くん」
先生はポニーテールの黒髪を揺らしながら、俺に向かってツカツカと歩いてきた。
「はい」
「後で音楽の授業の時、資料を運ぶのを手伝ってくれないかしら?」
「はい!」
メガネの奥から覗くその眼光は鋭く、誰が言い出したか、榎田先生はメデューサと呼ばれている。
結構な美人なのだけれども、大変近寄りがたい。
いやいや、こういう人は恋人の前では豹変すると言うし……。
「斉藤くん……」
「はい!」
「今、先生のこと、チラチラ見ていなかった? 何か言いたいことでもあるの?」
「いえ! ありません!」
「……ならいいわ……」
そう言うと先生は去って行った。
まさかと思うが、読心術でも心得ているのだろうか?
危ない危ない。
そして午後、音楽の授業前。
音楽準備室からダンボールを出して台車に積む作業をしていた時、廊下で話す二人の男子高生の会話が聞こえてきた。
「聞いたか? 三組に今度転校してきた女子、金髪のツーサイドアップ。尻尾が生えていたって噂だ」
「へえ……しっぽ?」
「一瞬で消えたらしいけど」
「モノノ怪の類か? 何の尻尾?」
「噂では……黒くて長かったらしい……」
転校生というのは未知の存在だ。
それゆえ、色々尾ひれがついた噂が立つ。
後から調べると、大概はなーんだっていうオチがつくけど。
「あと、妙な黒くて四角い物体を手に持ってたって話だ」
「何それ?」
「良く知らないが、『私にこれを撃たせるな」とか言っていたらしい」
「銃か?……もしやエージェント? 形状からすると某国の?」
「その可能性もあるが……おっとっ! そうだ! 次、体育だから着替えないとぉ!」
「お、おい!急にどこへ……あっ! ぼくもやらなきゃぁ!」
廊下に出てみると、もう二人の姿は見えなかった。
なんだ、もう終わりか。つまらん。
「おい、動くな」
突然後ろから女性の声がして、顔を見る間も無く、音楽準備室に引きずり込まれた。
背中に何か硬いものが押し付けられている。
この状況は……南米辺りの裏路地なら、手を上げて無条件降伏するところだろうが、ここは学校だし、そんな危険なことが起こるとは思えない。
となるとだ、これは誰かのイタズラと言う可能性が高い……。
「後ろを向くなっ!」
振り返ろうとした俺の頭は強く押さえつけられた。
「今のは警告だ……次は命が無いと思え!」
信じられないが……これはもしや、本当にマズい状況?
「分かった。要求をどうぞ……」
俺はゆっくり手を上げながらそう言った。
「え? ……そうだな、まず……」
「まず……?」
「な、お前、名前は何て言うんだ?」
「へ? ……崇だけど」
「タカシ……と」
カリカリという音がした。
「メモとってる?」
「振り向くなっ!」
「ゥッ!」
振り向こうとした首を押さえつけられて、体だけ半回転した。
「ちょ……首痛いんだけど……」
「振り向こうとするからだっ!」
どうやら、どうしても振り向かせて貰えないらしい……。
「分かった……もう振り向かない……」
「えっ!」
「……君が言ってるんじゃない……」
「そ、そうだけど……まあいい、次の機会だ」
「……へ?」
「何でもない!」
背中に堅いものが何度も突きつけられた。
「痛い! 痛いって!」
「あ、ゴメ……いや、次は命が無いと思え!」
「さっきもそのセリフ言ってなかった?」
「やかましい! いいから質問に答えろ!」
「さっき答えたよ……崇って……」
「次の質問にだ! まだあるっ!」
「……どうぞ……」
「か、髪型はどういうのが好みだ?」
俺は少し黙って、今の状況を考え、まさかとは思ったが言ってみた。
「……ツーサイドアップ……」
「え? マジで?」
俺はなんとなく彼女の正体が分かった。
正確に言えば、彼女の真の正体は依然謎のままだが、誰であるかは見当がついた。
「最後の質問だ!」
「はい!」
「……かっ! かかっ、彼女は……いるのかっ?」
「……いないけど……」
「良ーし!……いや、何でも無い! そのまま動くな。そのまま目を瞑って百まで数えろ。声に出してだ」
「……分かった……1、2、3……」
後ろで動く気配がし、足音が最初はゆっくりと、そしてだんだんと遠ざかって行った。
ふう、行ったか。
しかし俺は律儀に数を数え続けた。
「25、26……」
「斉藤くん……」
「はいっ!」
メデューサ、いや、榎田先生だった。
「来ないと思ったら、そこで何やってるの?」
両手を上げて数を数えている状況をどう説明しようか。
とりあえずスクワットを始めた。
「ちょっと運動を……やろうかなと! 最近やってなかったんで!」
榎田先生は僕を上から下までジロジロと眺めた。
「バカなことやってないで、早く資料を運びなさい!」
「はい!」
そう言うと、榎田先生は去って行った。
「ふう……」
俺は残りのダンボールを台車に積み始めた。
「あの女は何者だ?」
声と共に背中にまた硬い感触が突きつけられた。
僕はまた両手をゆっくり上げて、その場に硬直した。
まだいたのか……というか、さっきの足音はフェイク?
「榎田先生です……音楽の……」
「お前、あの女が好きなのか?」
「いえ、滅相も御座いません!」
「女の方はお前に色目をつかっていたようだったが」
「……いや、そんなことは、無いかと」
「そうか? お前がニブいだけなのではないか?」
「……無いとは思いますけど……」
ニブいのには自信がある。
しかし、まさかメデューサに好かれているなんてことは……まさかね。
「あんな年増の女より、同じくらいの年の方がいいぞ?」
榎田先生はまだ二十代の前半だったはずだが、相対的にかなり上なのは間違いない。
「それに、あの女は地下組織のエージェントだぞ」
そういう……設定?
「もし、お、お前が良いというのなら、わ、わた、わた……」
俺は状況を把握しかねていた。
銃が本物かどうかは見ないと判明しないが、その何かを背中に突きつけられている状態で、この後ろの女は何を言おうとしているのか。
「……わっ! 私と付き合って下さいっ!」
どストレートが放たれ、まともに食らった俺は一瞬、よく分からない状況にクラクラと目眩がした。
「……あの……」
「何だ?」
「とりあえず、手を下ろしていい……ですか?」
「う、うん……いいぞ」
「あと、その、俺にも好みと言うものがあるので……」
「か、髪型は大丈夫だぞ! バッチリだ!」
「……この状況は、やはりいたずらか何か?」
「た、ターゲットを攻略するには、まずスキを突けと教わっている!」
……天然の中二なのか、それとも俺の知り得ないマジものの何かの組織の者なのか。
「まず、顔を合わせて普通に話をしてみないと……」
「わ、分かった! ……いいぞ! ふ、振り向け!」
俺は銃が本物であることを一応想定しながら、ゆっくりと振り向いた。
しかして、そこには目を瞑って、口をタコチュー形状にした、一人の金髪の少女がいた。
……あれ?意外と可愛い?
性格は凄く問題ありそうだが、これは……もしかして天恵来たる?
それにこのタコチュー形状はつまり……キスして良かと?
「伏せろっ!」
しかし、タコチュー形状の口をしていた彼女の口から次に放たれたのは『伏せろ』の言葉だった。
次の瞬間、その空間に何か大きな物体が現れ、音楽準備室のダンボールの山を打ち砕いた。
振り向くと、そこに鬼の形相をした榎田先生が立っていた。
「こんなところに
俺は、よく分からない世界に巻き込まれたようだった。
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