(22)
盛り上がったとはお世辞にも言えなかったが、それでも久しぶりに家族揃って夕飯の卓を囲むひとときを過ごせた。柄にもなく、クリスマスってのはいいな、ありがたいなと思った。
年が年だからさ。そんなご大層なプレゼントなんか要らないよ。これまでいろいろあったのをとりあえず脇に置いといて、三人揃って夕食の卓を囲めたこと。俺にとっては、それだけで十分プレゼントをもらった気分になれる。
食事の終わった二人が二階に上がり、俺は一人でソファーの背もたれに背中を預けている。窓際のまだ頬を染めてもいないポインセチアを見やりながら、ひとりごちた。
「二十年の不幸と二年の幸福か……」
無為に浪費してしまった二十年を後悔していないわけじゃない。時間を巻き戻して最初からやり直せれば、もうちょいましな人生を送れたかもしれないなとは思う。だがその二十年の無駄があるから、俺は今の幸福をとことん味わうことができている。
美春は逆だろう。二十年分の幸福をたった二年で失った。あれだけ充実した日々はどこへ行ってしまったんだろうと、何も掴めなかった手のひらを見つめて呆然としている。
しかし。
時に急かされる生き方には、どこかに休止点があるんだろう。それを俺らがどう感じるかとは関係なく、どうしても足を止めなければならないタイミングというのは厳然としてある。
俺の場合は離婚して社を辞めた二年前がそう。美春と千秋は失職した今年がそう。足が止まった時に見たもの、感じたこと、決めたこと。それが次の自分を作っていく。根が傷んで葉を落としてしまったポインセチアが、こんちくしょうとばかり芽吹くみたいに。
俺らの休止点は、これが最初で最後ということにはならないだろう。だから次に思いがけない形で足が止まってしまった時には、今回のことを思い出そう。足を止めた時に目に入った景色、その時に思い知った諸々のこと、見つめ直した自分の姿、スタックした場所からもう一度動き出そうと思ったきっかけ。どれも得難いプレゼントだった。それを……必ず思い出そう。
「ああ、パパ。まだ起きてたの?」
パジャマを着た千秋が、ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら二階から降りてきた。
「まあな。もうちょいでクリスマスもすっかり終わりだ。今年はいろいろあったから、少しだけ余韻に浸っていたくてな」
「あはは」
俺が座っているソファーの空いたところに、千秋がぽんと体を投げ出した。どことなく浮かれた様子なのは、昨日今日の出来事とは関係ないと思う。どれ、一丁つついてみようか。
「なあ、千秋」
「なあに?」
「佐藤くん、いいだろ?」
ぼっ! 千秋の顔が真っかっかに染まった。
「な、ななな、なにを!」
「おまえもわかりやすいよなあ。視線や態度でばればれだよ」
「うう、だ、だけどさあ……」
「だけど、なんだ?」
「いや、年上はいやなんちゃうかなあって」
何アホなことを言ってるんだ。少しはリサーチしろよ。まったく!
「年は同じだろ?」
「え? そうなの?」
「お前は短大出て二年ちょい。佐藤くんは今大学四年だけど、一留」
「いちりゅう?」
「そう。彼は苦学生なんだ。自分の学費を稼ぐために、大学を一年休んでるんだよ」
「す……ごい」
「すごいよ。苦難で腐らずに、逆に自分を動かすエネルギーに変える才能がある。店長が彼をすごく気に入ってるんだけど、俺も彼は大成すると思う。狙うなら今だ」
「狙うならって」
にやっと笑って、千秋をどやす。
「佐藤くんはモテる。早い者勝ちだぞ」
「うううっ」
真っ赤になったまま俺を睨んでいた千秋は、ぼそぼそっと文句を言った。
「ねえ、父親ってさあ。娘に恋人ができるのを嫌がるもんじゃないの?」
「おまえなあ」
二階を指さす。
「あの美春が、おまえの恋路を応援するはずないだろ。オトコなんかろくでなししかいないって言うに決まってる」
「あ……」
「意見というのは二つ以上あった方がいい。違う意見を並べてそのどれが妥当か、どれが自分にとって一番か、いっぱい考えて、悩んで、選んで、決断する。なんでもそうさ。最後は自分の判断になるけど、その判断材料はいっぱいあった方がいい。俺のも単なるその一つだよ」
「うん」
「店長があんなに悩んだのは、対立意見がまるっきりなかったせいだよ。スタッフ全員が味方をしてくれる。そうすると店長以外のプランは出てこない。選べる選択肢がないんだ」
初めてさのやで店長に会った時の仏頂面を思い出す。あれは……選択できる意見が誰からも得られない苛立ちの現れだったのかもしれない。
「そうか。それでコンサルに頼ったのかあ」
「ああ。すごく辛かったと思うよ」
「なるほどなあ」
「佐藤くんのことは、パートのおばちゃんたちにもさりげに探りを入れてみたらいいよ。まずは情報収集からだ」
「ううう、あざーっす……」
よろよろと二階に戻った千秋の背を見送り、そのうちもっと際どい話を持ち込むようになるんだろなあと苦笑いした。さて俺も休もうと思って腰を上げたら、引きずるような重い足音が二階から降りてきた。
「どうした?」
「……」
ずっと俯いたままだった美春が、どすんと両膝をついて床に突っ伏した。それから、ひたすら「ごめんね」を連呼しながら泣き崩れた。
何に対する謝罪なのかわからないが、それよりも意識が外に向いたことを喜んだ方がいいんだろう。
「まあ、いろいろある。三人が三人、今は再建途上だからさ。まず自分自身をなんとかするしかないよ」
美春が泣きながら小さく頷いたのを見て、もう一言付け加えた。
「ただ、一つだけ頼みがある」
「な……に」
「俺は母親の代理は出来ても、母親にはなれないんだ。千秋をちゃんとフォローしてくれ。千秋を無視したり、見捨てるのだけは止めてくれ」
ふうっ。
「俺は千秋に、親としてやらなければならないことを十分してやれなかった。今さら慌ててフォローしても遅いかもしれないけど、それでもしないよりはずっとましだと思ってる」
「う……ん」
「美春も。そう思ってくれるとうれしい」
◇ ◇ ◇
「うーん、ジングルベルが鬱陶しかったけど、ぱったり聞こえなくなるのも寂しいもんだなあ」
せっせと品出しをしながら、独り言を床にこぼす。
26日。昨日まであれほど店を振り回していたクリスマスの気配がさっと消えて。これからは、年末年始の慌ただしさが店をひたひたと満たすようになるだろう。
ポインセチアの最後の一鉢が姿を消し、お正月向けの寄せ植えに切り替わった生花コーナーの棚を見て、俺はふと思いを巡らせる。ここでポインセチアの鉢植えを買っていった人たちは、みんな素晴らしいプレゼントをもらえただろうかと。
俺はもらえたよ。プレゼントが欲しいとは誰にも言わなかったし、サンタにもお願いはしなかった。それでも。枯れかけていたポインセチアが蘇るように、散り散りになっていた俺たちはぎごちなく集まり、再び歩み始めた。
それはまだ小さな芽に過ぎない。どんな風に伸びるのか、はたまた枯れてしまうのか、今はまだわからない。それでも、来年のクリスマスを三人で過ごす夢を見ることくらいは許してもらえるだろう。
「主任、何にやにやしてるんですか?」
いきなり田村さんに突っ込まれて、慌てて取り繕う。
「いや、結局全部売れちゃったなあと思って」
「ああ、ポインセチアですね」
「そう」
店長のオファーを丸一日考え……いや、嬉しさをじっくり味わい、田村さんは正職員になることを決めたそうだ。これまでどこかぎごちなかった笑顔が、はちきれそうな笑顔に変わっていた。
「来年のクリスマスもきっちり売り切りたいよね」
「はい!」
俺がそうだったように。正職員になれることよりも、店長が自分の働きぶりをきちんと評価してくれたことが何より嬉しかったんだろう。これで、ライフボートだった俺からの離陸が進むと思う。
孤独という大嵐の中で取りすがれるものを必死に探していた田村さん。その相手が一時的に俺になるのは構わないよ。俺も二年前は店長に支えてもらったからさ。でも田村さんは、生き残るチャンスをすでにものにしている。いっぱい芽吹いてるんだよ。それなら自分の足で立った方がいい。そして……俺が余計なことを言わなくても、田村さんはきっとそうする。さっきの返事を、俺ではなく持ち場の花を見ながら言ったからね。
店長は、新しくなった店でも生花コーナーを出入り口の近くに設けるだろう。来年のクリスマスにも、店に入るとすぐに華やかなポインセチアがお客さんを出迎えるはずだ。その光景を思い浮かべたのか、目を細めた田村さんが夢見るように呟いた。
「ここのポインセチアを見ると幸せな気持ちになる。思わず連れて帰りたくなる。そんな風にしたいです」
*** FIN ***
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