(2)
「よし、と。次は補充だな」
在庫チェックを終えて、一度店内を見回す。店長が
場末のスーパーと言っても、地域密着の営業スタイルだからお客さんはひっきりなしに来る。その上年末年始にかけては稼ぎ時で、品出しと客対だけでも仕事量が五割り増しになるんだ。有限の時間を無駄にしないでリミットいっぱいまで働いてくれというのが、店長の偽らざる本音だろう。
だが店員やパートがぎりぎりの人数しかいないこのスーパーでは、給料は安いのに仕事量がべらぼうに多い。働いても働いても仕事が楽にならないから、新しく入った人ほど疲れ果てて次々辞めていく。いくら店長がばりばりのやり手で他の社員の何倍も働くと言っても、店長と同等の馬力を誰彼構わず要求することには無理があるんだよな。
他業種から転職してきた俺には、小売畑の人間でなかったからこそ見える部分がある。社長が一手にこなしている仕入れや販売の仕切りには一切口を出せないし、そもそも俺には小売業における経験や商品知識がまだ全然足りない。でも、仕事の段取りを考えるという点では
だらだらやるな、無駄に休むなと嫌味を言い続ける店長のプレッシャーを真に受けたら、そらあ誰だって潰れるさ。でも、店長の「働け」プレッシャーには具体的な中身がないんだ。それなら中身を自分で調整すればいい。
一番モノとカネが動く部分に、自分の使える持ち時間と体力を集中配分する。ノルマを達成できたら、残りの時間には作業を無理に詰め込まないでペースを落とす。そうやって作業にしっかりめりはりを付ければ、店長と時間にのべつまくなしに追いまくられるという切迫感を遠ざけることができる。
納期を元に作業スケジュールが組まれるソフトウエア開発の仕様は、他業種にも応用が利くんだ。
俺がパートさんたちにこっそり秘策を吹き込んでからは、スタッフの定着率が大幅に向上した。その実績を評価してくれた店長が、俺に主任の肩書きをつけたんだ。ただし肩書きだけで、給料はまるっきり変わらないけどね。
それでも、店長がスタッフへの助言を認めてくれたことですごく仕事がしやすくなった。忙しさは変わらないけれど、スタッフだけでなく俺自身も少しだけ明日を考える余裕ができた。この先どうなるかはともかく、今はそれでいいよ。
「横井主任、納品チェックお願いします!」
ヤードにつながる厚手のビニールカーテンをべろんと開け、ベテランパートの福田さんが顔を突き出して俺を呼んだ。
「今行きます!」
◇ ◇ ◇
忙しいさのやでは、職員やパートさんの昼休み時間が固定されていない。昼時に客の入りがいい時は、その波が過ぎるまで誰も昼休みを取らないんだ。レジに入らない俺は、まだ持ち場が少ない新米の田村さんと二人きりで少し早い昼飯を食うことが多い。
雑然としたスタッフルームでビニ弁をもさもさ食いながら、田村さん相手に朝の話の続きをする。田村さんは、保育園に預けている息子さんとお揃いのかわいい弁当箱を開けたものの、視線は萎れたポインセチアに縫い閉じられたままだ。
「このポインセチアなんですけどね」
「はい」
「葉っぱに対して鉢が小さすぎるから水が切れて萎れてしまう。葉っぱに見合ったサイズの鉢を使えばいいのに。そう思いませんか?」
「はい」
「それは私たちの見方で、農家さんは違うんです。土にも鉢にもコストがかかるから、できるだけ小さくしたいんですよ」
萎れたポインセチアを持ち上げ、指で鉢をつつく。商品として扱うために仕方なく付属しているような、小さくて安っぽいプラ鉢。2号鉢だから、土なんかいくらも入らない。鉢植えというのは建前で、実際には植え替え前提の花苗に近いんだ。
「利益を出すための考え方はどの業種でも同じで、資材や管理にかかるコストをけちれれば利幅を大きく取れます」
「それはわかりますけど……」
「でね。ポインセチアはもともと乾燥にとても強いんです。鉢を小さくした方が、資材コストを下げられるだけじゃなくて管理も運搬も楽なんです」
「えっ? そうなんですか?」
「はい。でもそれは生産者の事情で、鉢植えを買う私たちはそんなの知りませんよね」
「ええ」
「だから小さい鉢に窮屈に植わっているのを見ると、水をあげなきゃと思ってしまうんですよ」
「も、もしかして」
ぎょっとしたように、田村さんが鉢を手に取った。
「まさか」
「はい。その、まさかです。萎れてしまったのは水切れのせいじゃなくて、水のあげ過ぎ。根が蒸れて、傷んじゃったんです」
「……」
絶句してるな。俺もそうだった。小さな鉢だと水切れしやすいという印象になるから、どうしても継ぎ足し灌水をしやすい。しかも小鉢には受け皿がなく、ビニール包装の下に水が溜まって土が乾きにくくなる。たぶん、包装の下の方がびしゃびしゃになっているだろう。むしろ、そっちの方が問題なんだ。
田村さんが、萎れた葉を触りながらうめいた。
「ううー、葉っぱが大きくて鉢が小さいから水が必要ってわけじゃないのかあ」
「ポインセチアはね。水が好きなお花なら、いっぱいやっても問題ないんですけど」
「はい」
「でも園芸店ならともかく、花苗も商品の一つに過ぎないスーパーじゃそもそも十分な世話ができません。日当たりは悪いし、出入り口付近は空調の風が強く当たる。お客さんが出入りするたびに温度が極端に上下する。ポインセチアにとっては厳しい環境なんです。葉が傷む原因は、必ずしも水のことだけじゃないんですよ」
田村さんのせいじゃないと擁護したわけがわかったと思う。俺が受け持ったところで、同じ状態にならないとは限らない。ポインセチアの小鉢は、仕入れてから売り切るまでが時間勝負になってしまうんだ。
田村さんの意識が管理不手際の気後れから離れ、粗末な扱いをされているポインセチアそのものに移ったらしい。ぽつりとこぼした。
「なんか……かわいそうですね」
育ち盛りのお子さんを抱えて日々の生活に追われるシンママの田村さんには、自分の今の姿と使い捨てられる運命にある萎れたポインセチアとが重なったのかもしれない。見るからに元気がなくなってしまった。ああ、俺も。二年前は確かにそうだったんだよ。
「かわいそう。ええ、確かにかわいそうなんですけどね」
萎れたポインセチアを持ち上げ、しげしげと見つめる。
「見栄えとコスト重視でバランスの悪い苗を出荷する生産者。花苗を管理する環境もノウハウもないのに適当に仕入れて売る小売店。どうせクリスマスまでのお飾りだからとまともに世話をせず使い捨てる消費者。この苗は、人間のエゴを一方的に押し付けられてくったり萎れているように見えるでしょ?」
「はい……」
「はははっ! こいつらは、そんなやわなタマじゃありません」
売り場から撤去した葉の傷んだポインセチアの小鉢。その中からいくらかまともなやつを一つ引っ張り出し、傷んでいるてっぺんを鋏で全部切り落とした。茎だけになってしまった苗をビニール袋に入れ、田村さんに差し出す。
「これを暖かくて日当たりのいい窓辺に置いてみてください。水やりは、土がしっかり乾くまでストップ。冬の室内なら、月に一、二回でも十分間に合うはずです」
「こんな風に切っちゃって……大丈夫なんですか?」
確かに、今はただの棒切れみたいに見えるだろう。俺にもそう見えたからね。
「論より証拠です。そのうち、なんで私がやわなタマじゃないと言ったかわかると思いますよ」
俺とポインセチアを代わる代わる見ていた田村さんは、そのポインセチアにすがるようにしてビニール袋を受け取った。
「はいっ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます