ポインセチア
水円 岳
(1)
街中に、浮かれ調子のクリスマスソングが流れ始めた。俺の勤めている場末の食品スーパー『さのや』の店内でも、申し訳程度の音量でジングルベルが流れている。乳製品の棚の在庫チェックをしながら、やれやれ地獄のシーズンがやって来るなとそいつを聞き流す。
目抜き通りの繁華街は、クリスマスが近づくにつれてどんどん華やかさと賑わいを増してくる。しかしそこから少し離れただけで、通行人が貧乏神に連れ去られているかのように人影が薄くなってしまう。富むものはますます富み、衰えるものはますます衰える……そんな現実をまざまざと見せつけられる。
立地に恵まれない小売店は、黙っていても人が来る大型スーパーと違って賑わう時期ほど集客に苦労するんだ。さのやもその例外ではない。これからがまさに生き残りをかけた正念場になる。
上物をずらっと揃えている表通りのでかい店と正面から張り合っても勝ち目がないから、場末の店ならではの安さを武器に仕入れた端から売り切って利益を確保しなければならない。勢い、いつも人と商品がうろうろしている店内の雰囲気はどうしてもがさついてしまう。
その中にあって、入り口近くの小さな生花コーナーだけが辛うじてクリスマスらしい華やかさを演出していた。
いつもは床置きされた三つのポリバケツに仏花用の切り花が無造作に生けられ、その横に置かれたプラスチックの花台に、ゼラニウムやプリムラ、ベゴニアなどの小さな花鉢が肩を寄せ合うようにして並べられている。花ものが並んでいると言っても、ささやかなコーナーなのであまり自己主張しない。
その棚が、師走に入ると一変するんだ。さのや二代目の
それらは展示品ではなく、売り物。値頃感があるから結構はけるが、扱い数量が知れているから総売り上げへの寄与は微々たるものだろう。儲けを出す商品というよりむしろクリスマスディスプレイの一環と考えた方がいいのかもしれない。しかし。手入れが悪いとすぐに傷んでしまう生花は、本来ディスプレイ向きではないと思う。ぼろぼろの鉢花が目に入ると、場末感がもっとひどくなるんだ。
「うーん、そろそろ限界だなあ」
鉢花は状態のいいものから売れていくので、今並んでいるものは客の目を引かなくなった売れ残り。どこかここかに難があるので、そろそろ入れ替えなければならない。本格的なクリスマス商戦はまだまだ先なんだが、残っているのはもう撤去した方がいいだろう。
持ち場の在庫チェックをしながらちらちら生花コーナーに視線を飛ばしていたら、花と青果の売り場を持たされている新米パートの田村さんが気後れした様子で近づいてきた。右手に、見るからに状態のよくないポインセチアの鉢をいくつか持っている。それをこそっと俺に見せた田村さんが、小声で俺に訊いた。
「すみません、横井主任。これ、どうしたらいいですか?」
田村
一生懸命なので店長の評価は悪くないが、店長の評価基準は「出来て当たり前」が最低ラインだ。評価基準に届かないスタッフには容赦なく嫌味をぶちかます。かてて加えて、多忙を極めるこの時期の店長はおそろしくてんぱっている。うっかり触り方を間違えたら、どんな嫌味が吹っ飛んでくるかわかったもんじゃない。
なにせ店長は、学生の時にラガーマンだったというだけあってがたいがいい。顔貌も精悍だ。俺の十歳下の三十五だが二十台に見えるほどエネルギッシュ。店長が常時発散しているオーラは、誰が見ても彼が店長だとわかるくらい強烈だ。そのエネルギーを嫌味に転換されると、直接ぶつけられる相手だけでなく、それが耳に入ってしまう俺らにとっても心臓に悪い。
口下手な田村さんは、威圧的に感じるのか店長をとても苦手にしている。直接指示を仰ぐのが怖くて、しょぼくれ切ったおっさんである俺を頼ることにしたんだろう。もっとも、店長の指示は的確で短い。そこに嫌味の一つや二つ挟まったところで、かかる時間は知れている。俺は説明する分どうしても拘束時間が長くなっちまうんだよな。パートさんにとってどっちがましかは正直微妙だと思う。
「すいません。ちょっと見せてくださいね」
田村さんから鉢を受け取り、状態をチェックする。本来なら真っ赤な苞が華やかな印象を醸し出しているはずなのに、葉も苞も元気なく萎れてしまっている。
土は? あらら。鉢土がびしゃびしゃで、表面にうっすらカビが生えている。枯らしてはいけないと水をどんどんあげていることがあだになってしまったなあ。滞水を嫌うポインセチアは、水やり間隔を十分に空けないと根腐れしやすくなるんだよね。
水のやり過ぎだけでなく日照不足や低温の影響もあるから、必ずしも田村さんのミスだけが原因というわけでもない。傷んでしまったものは商品価値がなくなるという事実だけ伝えればいいかな。
「葉が傷んじゃうともう売れないんですよ。他のもだいぶ傷みが目立つから、今出てる分は売り場から下げといてもらえます?」
俺が管理の不手際を責めなかったからほっとしたしたんだろう。田村さんが、申し訳なさそうに萎れたポインセチアに詫びた。
「ごめんね、お世話が下手くそで……」
「しょうがないですよ。品出しとレジ対応だけでも手一杯ですから。うちは花屋じゃないので、どうしても割り切りが要るんです」
「もう少し、大きいのは入れないんですか?」
その方が管理が楽だと思ったのかな。確かにそうなんだけどね。でも、商品の選択は店長の専任事項だ。俺らには手を出せない。
「大鉢は置き場所や売価がネックになります。小さな鉢の方が仕入れも売り切るのも楽なんです。値頃感があるからね」
「そうなんですか……」
葉の萎れたポインセチアを一つ掲げ、その葉に触る。根が傷むと葉が張りを失い、少しずつ萎れてくる。水を切らしてしまった時と同じような症状が出るんだ。ひどくなると葉先からぱりぱりに乾いて縮み、最後は落ちてしまう。もし株の元気が戻っても、一度縮んだり変色してしまった葉はそのままだ。株全体が枯れたわけでなくても売り物にはならない。
まだ生きてはいても、ひどく傷んでいる……か。俺に似てるな。思わず自虐の笑いが漏れて、田村さんをびびらせてしまった。
「すみません。わたしのお世話不足で」
おっとっと。慌ててそれを否定する。
「いや、こういう小さい鉢は、入荷したのをその日のうちに売り切るくらいのイメージなんです。水やりがどうのこうのはあまり関係ないんですよ」
「えっ? そうなんですか?」
意外だったんだろう。田村さんがぽんと目を見開いた。
「興味があるなら説明しますよ。ただ、業務があるから昼飯の時にでも続きを話しましょう」
「あ、はい。お願いします」
あまり長く立ち話をして、お客さんにさぼっていると思われるのは困る。店長に見つかったら大目玉だし、実際こなさなければならないことは山のようにある。
田村さんから視線を切って、保冷ケースの鏡面に映った自分の店員タグに目をやる。「
まあ、どんな肩書きがついたところで、スタッフの仕事はせっせと働くことだけだ。なにせこの店では、総大将の店長が一番激務をこなしてるからな。
「さて、と」
このあと納品が立て込む。俺が対応しなければならないから、さっさと在庫チェックを終わらせないと。在庫管理表を挟んだクリップボードを構えて、練り製品のチェックにかかる。
「熱々のおでんを食いながら、熱燗をきゅっと一杯。クリパよりはそっちの方がいいな」
そんなくだらないことを、ぶつくさぼやきながら。
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