第3話 遊びに行きませんか?




僕の目の前にはほとんどを食べ終わってしまったカレーライス。そして彼女の前には、同じく食べ終わりかけのAランチがある。


だから僕はこれを早く言わなければいけなかった。


彼女と友達になれたら、多分僕は初めにこう言いたかったんだと思う。



「あの、それで…お願いがあるんですけど…」


食堂のざわつきがなんだか耳にうるさい。僕の声はとても小さくなって、それでも大きな声では言えない気がした。


「なんでしょうか?」


僕の声が小さくてよく聴き取れないからか、彼女は食事を中断したまま、僕を見つめてくれていた。



「あの…勉強、教えてくれないですか…?」



「えっ…?」


彼女はきょとんとして僕を見ている。




僕には、「自分は勉強が上手い方だ」という自負があった。でもそれは、彼女に打ち砕かれてしまいかけている。


だから僕は、彼女と切磋琢磨することで、自分を更に高め、彼女と交流を続けたかった。




「僕、入試でトップを目指してたんです。でもそれはあなただった。だから、あなたから学びたいんです」




そう言って彼女を見つめると、彼女はおどおどと恥ずかしがっていたが、やがて、「いいですよ、私でよければ」と言って、嬉しそうに笑ってくれた。




そして僕たちは、スマートフォンでSNSアプリを立ち上げて膝を突き合わせて、「友だち」登録をした。


彼女の名前は「園山美鈴」さんだった。本当に、鈴のような高くてころころした、綺麗な声だよなあ、と、僕は思っていた。







その日から僕たちは、放課が合う日になると二人で大学の図書館に行き、勉強をするようになった。



そして園山さんはある日、僕をとても驚かせた。




「ええっ!?これ全部を覚えてるんですか!?」


僕はある日、そう叫んだ。


それは僕が園山さんに、「苦手分野はないんですか?」と聞いた時のことだ。


彼女は「そうですねえ、数学がやっぱりどうしても解けない時があって…」と歯がゆそうな表情で言葉を切った。


その時僕は、「そうなんですか、同じですね」と言おうとしたけど、彼女は気を取り直したような顔をしてこう言った。


「苦手な問題は、暗記してある同傾向の問題の中からアタリを付けます」と言った。


えっ…?どういうことだ…?


僕は園山さんの言うことがイメージできずに固まっていた。


「ちょうど、今日は数学科目の講義があったので、問題を書き写したノートがありますよ」


そう言って園山さんは黒いシンプルなトートバッグから、三冊のノートを取り出す。


僕はまさかと思ってそのノート達を手に取ってめくったが、三冊ともびっしりと、問題と解答に埋め尽くされていたのだ。


「じゃあ…もしかして、全部暗記しておいて、覚えてある似たような問題の解き方を…記憶から取り出すんですか…!?」


そう言うと園山さんは、「はい、そうすると少しは解けるものも増えるんです。不安なので、書きつけたノートは持ち歩くんですけど」と言って、ちょっと恥ずかしそうに笑った。


なんてことだ!そんな途方もない荒業を、この人はしてきたのか!




それに、園山さんは問題を解くスピードも速く、新しいものを覚えようという知的好奇心がいつも湧き出し続けていて、大学に入ってからも、寝る間を惜しんで勉強をしているらしい。そしてある日、「勉強って、してるだけで楽しいんです」と園山さんは言っていた。


僕にも少しはそういうところがあるから気持ちはわかっても、「しているだけで楽しくて止まらない」なんてことは、僕にはない。



僕は、結果が得られることが嬉しかったのだから。




てっきり勉強量の差だと思っていたものが、その差を生み出しているのは動機の違いだと知って、「勝てるわけがない」とちょっと思いかけた。




でも、僕が難解な設問に苦しんでいると、園山さんが隣で「頑張って!」と言って、自分も一緒に問題を解いているように、懸命に悩んでいるような顔をしてくれたから、僕はいくらでも頑張れた。







そして僕は園山さんへの憧れを胸に抱いて、幸せな気分で日々を過ごした。



この時期になっても、僕は園山さんをすっかり友達だと信じ込んでいたままだったので、園山さんにある提案をした。




その日も僕達は図書館で、僕の苦手な数学の勉強をしていた。


「ああ…数学、難しいですね~…」


「ふふ、煮詰まってますね」


「はい…」


僕は難しい証明問題を諦めかけてしまって、図書館の端っこにあるテーブルで肘をついている。


園山さんは隣に腰掛けて、労うように優しい目で見てくれる。


なんだか、その微笑みに僕は気持ちが甘えてしまいそうだった。




高校生くらいまでは息抜きに一人で街へ出かけたりもしていたが、近頃はそれも忘れて、僕は一心不乱に勉強をしていた。ふと、「気分転換も大事にしなさい」と言った父の顔を思い出す。




ちょっとだけ遊びに行きたいな。そう思って、隣にいる園山さんの顔色を窺うように、ちら、と彼女を盗み見た。


園山さんは僕の手元にあったノートを見ていたが、僕が首をひねって彼女を見たので、こちらに顔を向ける。


彼女は僕の言葉を待っているようだった。そして、僕の後ろめたいような気持ちは、顔色に表れてしまっていたらしい。


「どうかしましたか?」と、園山さんも不安そうな顔をする。




「あの…勉強が終わったら、遊びに行きませんか?」




僕はそう言った。園山さんは少しびっくりしていたが、また恥ずかしそうに、「いいですよ」と言ってくれた。






「ちょっと準備があるので」と言って、図書館を出た園山さんは、女子トイレに入って行った。準備ってなんだろう?




僕は園山さんがトイレから出て来るのを待っていて、途中からちょっと園山さんの心配をしていた。




もうずいぶん経つのに、まだトイレから出てこない。何かあったんだろうか。それとも、準備に時間が掛かっているのかな?こんなに長い間、何をしているんだろう?


「すみません、遅くなりました!」


園山さんはバタバタとトイレから出てきて、僕にぺこっと頭を下げる。その時僕は、下げられた園山さんの頭を見て、「あれっ?」と思った。そして顔を上げた彼女を見て、僕はすごく驚いた。


「うわあ…!」


思わず声を上げてしまった。




彼女は、綺麗にお化粧をして、長い髪を頭に沿わせて編み込んでいたのだ。




睫毛を伸ばして、鮮やかな口紅を塗って、ティアラのような髪の束を頭に乗せた園山さんは、綺麗だった。それにびっくりしてしまったので、僕はなかなか次の言葉が言えなかった。




「…お化粧して、髪を結っていたんですね」


そう言うと園山さんははにかんで、「みっともないと、あなたに恥をかかせてしまいますし…」と俯いた。そんなこと、思う必要ないのに。


「いえいえとんでもない!普段のままでも充分ですよ!でも、すごくお綺麗です」


「ありがとうございます」




まるで籠に束ねられた花がこぼれているようだ、と僕は思った。でもそれは、言えなかった。








「あのー…ほんとにここでいいんですか…?」


僕達は大学を出て地下鉄に乗り、遊ぶにはもってこいの、都心の大きな駅で降りた。大学からはそう遠くない。そして今、僕達は駅前の大きな通りにある、一軒の店の中で、列に並んでいる。


「はい!ここがいいんです!」


僕がそう答えても、園山さんは店内を見渡す仕草をして、不思議そうな顔をしていた。ここはファストフードの大手の店だ。




僕はもう、自分の家のことは園山さんに話した。父の職業も、生まれ育ちの話も園山さんにした。園山さんからは聞けなかったけど。




だから、園山さんが不思議に思うことは無理もないと思う。


「僕…こういうとこ、来たかったんです」


「初めてなんですか?」


園山さんは、驚いてはいたけど察してもいたのか、あまり動じていなかった。


「はい…ずっと来たくて…友達と遊びに行くって、ほとんどしたことなかったから…」


その僕の言葉を聞いて、園山さんは一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐに微笑ましそうに僕を見つめる。


「何、食べましょうか」


そう言って彼女は嬉しそうに笑っていた。


その時、受付レジの店員が「次の方どうぞー」と、はきはきとした声で僕達を呼んだ。




僕はチーズバーガーを頼み、園山さんはチキンカツバーガーを頼んだ。そして、なんとサイドメニューのオニオンリングアンドポテトフライを、Lサイズにしてもらっていた。


「いただきまーす!」


園山さんはチキンカツバーガーの包みを開け、トレーに敷かれた紙の上にフライを開けて、ぱくぱくと食べ始める。


「いただきます」


僕も、チーズバーガーの包みを開けて、お茶の入った紙カップの蓋にストローを刺した。




生まれて初めての、チーズバーガー。両手で食べ物を抱えてかぶりついたのなんて、どのくらい前だろう。ああ、こんなに美味しかったのか。




友達と食べてるからかな、家での食事とは違って胸がわくわくしてきて、いくらでも食べられそうな気がしてくる。




でも、僕は食が細い方だ。というか、そうらしい。自分では、「もう満足したから充分な量だ」、としか思わないけど。


そして、どうやら園山さんはたくさん食べても平気なようだ。


彼女はさっきから片手にチキンカツバーガーを持って、それを一口かじって飲みこんでから、オニオンリングをつまんで、またバーガー、そしてポテトと、元気よく食べている。


僕がチーズバーガーを食べ終わってからも、園山さんは残ったフライドポテトを食べていた。




顔中を笑顔にして、美味しそうにポテトを二本同時に口に放り込む園山さんは、まるで子供が食事をしているようで、かわいかった。




「美味しそうに食べますね」


思わずそう言ってしまうと、園山さんは急に焦ってポテトを飲み込んだ。


「あ、すみません、はしたないところを…」


「いえいえ、かわいらしい、という意味ですから」


「えっ…」


僕の言ったことに、園山さんは本当に驚いて、顔を真っ赤にしていた。そして、ちょっと俯いて顔を逸らす。


何か僕はおかしなことを言っただろうか。かわいらしい食べ方だと思ったから、そう言っただけなんだけどな。そう思って僕は氷の入ったお茶をストローでかき混ぜ、一口飲んで喉を潤した。


「あの、変なことを言っちゃったなら、すみません…」


なんとなくそう謝ると、園山さんは「大丈夫ですよ」と言ってくれたけど、長い睫毛は伏せられたままだった。


「あっ、それで…このあと、どうしますか?」


園山さんは顔を上げて、なぜか慌てたようにそう言う。


「えーと、そうですね…」


そういえば僕たちは食事が終わってしまったんだ。どうしようかな。そう思って僕は考え込む。


僕は他にも行きたいところはあったけど、園山さんが僕に合わせてばかりでは申し訳ないかなと思って、僕は聞き返してみた。


「園山さんは、どこか行きたいところとか、ないんですか?」


すると園山さんは僕を大きな目で見つめてから、俯いて顎に手を当てて悩んでいたけど、「じゃあ…次は、私の行きたいところでも構いませんか?」と言った。僕はもちろん、「そうしてください」と言う。


「ちょっと遠いんですけど…」


「大丈夫ですよ。じゃあもう行きましょう」




僕達は立ち上がって、バーガー屋を後にした。








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