第7話 幽霊の専門家




「お父さん!おかえり!」


私はぱっと振り向いて玄関へ向かう。正直に言えば、「どうしてこんなことを急にこの子は気にし出したのかしら?」というお母さんを振り切るためでもあったが、それより何より、今日はお父さんの誕生日だ!



「おお、母さんから聞いてたぞ。おかえり。どうした、また少し痩せたんじゃないか?」


「うん!ただいま!え?痩せた?そんなことないけど。久しぶりに会ったからじゃない?」


「そうか。気のせいかな」


「うん。お父さん!お誕生日おめでとう!


「ありがとう、涼子」


私は家の廊下を、お父さんを振り返りながら台所まで歩いて行く。お父さんはくたびれていた様子だったけど、優しく微笑んで私を見つめてくれていた。



お父さんが食卓に就くと、お父さんの前で俯いていたお母さんに、お父さんは「またあのことを考えてたの?少しは君も休まないと」と、心配そうに声を掛けた。


お母さんははっと顔を上げ、お父さんを責めるような目で見る。それは、私が居るのにこの話を始めた事に対してのように見えた。


「この子にも、もう話したんだろう?さっきから君を心配してるのが私にもわかった」


お母さんはまた俯いてしまったが、お父さんはため息を吐いて「聞いたんだろう?」と私の方を向く。


「お子さんを亡くした、人のこと…?」


「そう」


「やっぱり。悦子、こうやって涼子も心配になるんだ。私だってとても心配なんだよ…」


お母さんは泣いていた。




そりゃあそう。私だって、美絵が同じ目に遭ったとしたら、黙って見ていることも、同じように苦しまずにいることも、出来るはずがない。




「お父さ…」


私がそれを言い掛けた時、お父さんが「あ、」と言った。



「そういえば、お母さんの三回忌の法要を、今年やらなくちゃいけないな」


「そうね…お義母さんの法要は、やらないとね…」



お母さんは辛そうだった。お父さんも「親友を心配し過ぎてしまう事は承知の上で、妻を癒してあげなければ」と思ったのだろう。だから次の一言を言ったんだと思う。



「その時に、亡くなった子の墓参りでもしてあげなさい。同じ寺なんだから」





私は、動悸を押さえ、熱くなる頬を必死に留めて、トイレへと向かった。












もう決めたわ。こうなったらもう専門家に頼むしかない!



私はそう思って、トイレで蓋を閉じたままの便器の上に蹲っていた。両手の震えを押さえようと、必死に両手を揉みしだきながら、頭の中で段取りを整える。



明日の朝、「早く帰らなくちゃいけなくなったから」と言って、駅まで送ってもらって家族と別れたら、駅から歩いて20分くらいの、うちの家族も入っているお寺に行って、どうしても和尚さんに会わせてもらうわ。



それで、どうやったら良一君が救われるか聞く。



もし和尚さんに会わせてもらえなかったり、和尚さんが私の言う事を信じなかったりしたら…そうよ!お寺なんて、東京にだっていくらでもあるじゃない!




まだこの方法があったのよ!お寺を百軒回ってでも、良一君が救われる方法を探すわ!








私はその晩、お父さんに「誕生日プレゼントは後から選んで送るから」と言ったけど、お父さんは「いいよ、忙しいんだから勉強を頑張りなさい。それが父さんへのプレゼントだ」と言って寄越した。


お父さんは優しい。お母さんは心配性なくらい人をいつも気に掛けている。




私は…?私のしている事って…本当に、良い事なのかな…?




その晩は、明日への緊張で寝つかれないかもしれないと思っていたけど、なぜか酷く疲れていたのか、久しぶりにぐっすりと眠れた。






翌朝は雨が降っていた。私はお母さんの作ってくれた朝食の鮭を美味しく食べ、「ごめん、急に明日バイトの予定が入っちゃったの、東京でやることもあるから、送って行ってくれない?」と頼んで、無事、駅まで送ってもらった。


「じゃあお母さん体に気を付けてね、ここでいいよ」


お母さんは運転席のウィンドウを下げて私に微笑み、「あなたも体に気を付けるのよ、本当に。お父さんの言ってたように、少し痩せたように見えたのよ」と言った。


「うん、わかった。ありがとう、じゃあまたね」



私はお母さんの運転する車が駅前のロータリーをぐるりと回り、それから家へと向かう国道を曲がって行くところまでを見送ってから、ホームに背を向けて歩き出す。




お父さん、お母さん、黙ってこんな事をしてごめんなさい。もしかしたら、物凄く迷惑を掛ける事になるかもしれない。


でも、私はあの子を黙って見ていられないの。




私はお寺に向かって、チョコレート色のキャリーケースを引きずって行った。







お寺は、空気が澄んでいる。そして、いつもとても静かだ。たくさんの杉の木はとても樹齢が高いのか、どっしりとして天高く背を伸ばし、足元の根っこは苔むして、その杉の木が挟んでいる石畳にも苔が少し生えている。


雨の寺の石畳は、まるでこのお寺を天から降る水で湿らせ、浄化しているように、水がいつも通っている石の窪みへ水が流れ、階段へと落ちていく。



私はとにかくどこかに人が居ないかと、お寺の中を歩き回った。








「住職は今手が離せませんで…事前にご連絡を下さいましたならば…お時間も取れたかもしれないのですが…」


「そうですか…」


私は、寺務所らしき建物の戸を叩き、中から出てきた若いお坊さんに、そう言われた。やんわりとだけど、有無を言わさないようなその口調に、私は一瞬諦めかけた。でも、やっぱり諦める気は無かった。




お寺で働く人に対してこの質問をするのって、愚問なのかしら?と思いながら、私はその、まっさらに綺麗な白い袴を履いたお寺の人の目を見つめる。




「あの…あなた、幽霊って信じますか?」



「はっ…?」




その時、私達の後ろで、「お客様かい」という、酷くしゃがれた声が、ゆっくり響いた。







Continue.

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